私が子供の頃には街に「純喫茶」というものがありました。
なぜ「純」なんだろう。他の喫茶店とどこが違うのだろうという疑問が解消されないままに珈琲館などのFC店や、そのつぎにはドトールなどの低価格店におされ、そのうち純喫茶自体がなくなってしまいました。
当時の仮説としては
① 「名曲喫茶」(その当時は廃れつつあったもののまだ新宿とか御茶ノ水あたりには若干残ってました)との区別をしている。
② 普通の喫茶店と違い食事(トマトケチャップとハムとタマネギとピーマンで作ってステンレス製の楕円形の皿に盛られたスパゲティ・ナポリタンとか)は出さない、という矜持を示している。
のどちらかだと思っていました。
そのまま忘れかけていたのですが、たまたま
昨日のエントリで紹介した本に答えが載っていました。
もともと日本の喫茶店・カフェの起源は、明治の末に銀座にできたカフェパウリスタとカフェプランタンでした。これらはパリのカフェを模して作られ、文人たちのサロン的なものでした。
ところがカフェプランタンで女給をやとっていたら、その女給に客がつくという現象が起こりました(その当時は女性に相手をしてもらうには待合で芸妓を呼ばなければならなかったのに対しお手軽だった)。
これを見ていた業者がカフェライオンという店を開き、美人を大量採用して大繁盛すると、後追い業者が次々とオープンし、お色気戦術もエスカレートしてきました。
そしてそのうちにカフェといえば女の人が接待して酒を出すところ、という意味にずれてきてしまった(日本風になまって「カフエ」と発音されるようになり、「カフエの女給」が時代の風俗になりました。)。
話は横道にそれますが、大学の民法の授業で最初出てくる総則の「意思表示」のところで習う判例に
「カフエ丸玉女給事件」という戦前の判例があります(今はやらないかもしれません)。
これは、大阪の道頓堀にある「丸玉」というカフェーに通った男が女給に独立資金として400円をやるといった。女性はこれを真に受けたものの男は酒の上の話と支払わず訴訟になり、男は1、2審共に敗訴。
これに対して大審院(今で言うと最高裁)は
1.カフエの女給に相当多額の金員の供与を諾約しても、直ちに民法上の意思があるとはいえない。
2.浅い馴染客が女給に相当多額の金員を与えることを約しても、相手方は履行を強要しえない。
3.カフエにおいて比較的短期間遊興したに過ぎない女給に対し、一時の興に乗じ、その歓心を買うため、相当多額の金員の供与を諾約しても、贈与契約が成立したとは断じ難い。
そして「斯ル事情ノ下ニ於ケル諾約ハ諾約者カ自ラ進テ之ヲ履行スルトキハ債務ノ弁済タルコトヲ失ハサラムモ要約者ニ於テ之カ履行ヲ強要スルコトヲ得サル特殊ノ債務関係ヲ生スルモノト解スル」として原判決を破棄差戻ししました。
つまり、なじみの薄い客に法外な大金をあげると言われたからといって真に受けてはいけない(正確には裁判所が強制的に履行させるような性格の合意とはいえない)というわけですね。
昭和8年当時の400円がどの程度の価値があるかわからないのですが、たとえば私がキャバクラで店の女の子に1億円あげるとかマンションあげるといっても信じてはいけない(そもそも誰も信じないですがw)ということですね。逆に言ったのがホリエモンとか三木谷氏や村上氏が相当懇意にしている相手(内縁の妻とか愛人とか)に言ったのだったら、払わなきゃいけないのかもしれませんね。
またまた話がそれますが、このように戦前の判例はけっこう味わい深いものが多いです。「出世払いの約束は出世したときか出世しないことが確定したときに履行期が到来する。」なんてのも、けっこう身につまされたものです。
さて本題、このようにカフエ=風俗店というイメージになってしまったために、これに対して本当にコーヒーを味わってもらおうという店は別の名称を考えることになりました。
それが「喫茶店」の始まりです。
ところが、昭和33年の売春防止法が施行されると、赤線を追われた娼婦たちが深夜喫茶にたむろして個人営業を始めてしまいます(東京オリンピック直前には警察の「深夜喫茶狩り」が行われたくらいだったそうです。)。これら深夜喫茶、特殊喫茶、美人喫茶という店はエロと結びつくイメージをもっていたため、これらと区別するために普通の店が「純喫茶」と名乗るようになったということです。
つまり「清純」喫茶の意味だったんですね。
しかし喫茶店と風俗というのは妙な結びつきをしてきた歴史はこれで終わらず、その後もノーパン喫茶やカップル喫茶などができ、これに対して新たな流行として「カフェ」と明治に先祖がえりしてみたにもかかわらず、今度はメイドカフェなどができてしまっている、というわけです。
「歴史は繰り返す。ただし二度目は茶番」
ということでしょうか。