南朝鮮は格差社会だとよく言われます。
原因は急速な成長がもたらしたゆがみなどとマスコミは言いますが少し違う。
歴史的な背景を無視しています。
近代化したからでなくむしろ伝統的朝鮮へ回帰するようになったから、そういう問題が出てきた。
対して日本。
かつて高度成長したがそれほどのゆがみは生じず、今でも極端な格差社会化せずなんとか踏みとどまっています。
これは社会福祉が成長速度を犠牲にしても行われたのもあります。
が、それ以上に差別を許さず格差を広げない風土があった。
この世に強者と弱者、勝者と敗者が存在するのは人類の宿命。
だからと言って弱者や敗者を差別し蔑視していいということはありません。
それを説くのが道徳であり宗教。
なんだか宗教家の説教みたいになってきましたが話を元へ。
朝鮮の道徳や宗教はどう教えているのか知りませんが、朝鮮には負けた者や弱者を切り捨て差別するのは当然という「伝統」があります。
小人軽蔑や倭のような夷狄蔑視のような儒教思想が多分、根にあるからで、朝鮮は儒教や朱子学と不幸な出会いをしてしまった。
とにかく北方の道蔑視のような地域差別、被差別民の白丁、身体障害者蔑視の病身舞と、差別のデパートみたいです。
倭のことを書きましたが朝鮮内部だけでなく、差別と独善は侮日のような形で外国にも向かう。
最近、北朝鮮がオバマを猿と呼んだそうですが、とにかく差別の感覚が他の国とは違う。
確かに差別はどこの国でも多かれ少なかれありますが、他の国のようにいけないことだから改めようという意識がないらしい。
本物の暴力で周辺民族をねじふせて支配する中共が本家の中華思想なら、朱子学的な観念の上だけでの優越感がもたらしたいじけた中華思想というところでしょう。
それでも日韓友好がやりたいとか韓流を好きになりたいなら、この点、しっかりわきまえておいた方がいいのでは。