くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

河田小龍。

2021-11-02 | 日記

2ヵ月に一度ずつ歯石を取ってもらう歯医者さんに 予約日に行ったら
「〇さんが来られたらこちらの部屋にと 先生に言われています」と看護師に
言われて その診察室に入りました。

その部屋にはみごとな掛け軸が二幅かかっており 数ヵ月前に見たときは左の
一幅だけでした。

そのとき 脇にかかれた小龍の字を見て 「河田小龍ですか?」と聞いたところ
 「そうです小龍です」 と先生が言ったことを思いだしました。

前回の会話を覚えていた先生が 二幅に増えた小龍の軸を見せてくれたのです。
写真の許可をもらい撮りましたが 天井の電気を消してもらっても光が入ります。

先生のご自宅は旧家で 蔵にあった小龍の屏風から 汚れてない部分を抜き出し
掛け軸に表装してもらったとのことです。 

  

河田小龍(かわだしょうりょう)   幕末から明治にかける時代の土佐の絵師で
数奇な運命をたどり米国から帰国した 中浜万次郎(ジョン万次郎)を自宅に
住まわせ読み書きから教え 幕府の直参にまで育てあげた人物でもあります。

 

自身も万次郎から英語や異国事情らの知識を得て 聞き取った内容を著した
『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』はのちの坂本龍馬に 大きな影響を与えた
といわれています。

『漂巽紀畧』の現代語訳が講談社から出ていますが 文庫本のため字が小さく
読み終えるには 時間がかかると思います。

  

はりまや橋ちかくの自宅に開いた私塾 『墨雲洞』には 坂本龍馬・武市半平太
田中光顕・岩崎弥太郎・後藤象二郎らがつどい 熱い意見を交わしたようです。

河田小龍の碑は墨雲洞の跡地に立っており 料亭 得月楼(陽暉楼) の目の前に
あります。

碑の前を長い年月 自転車で通勤しましたが じっくり足を止めて見たのは
今回が初めてです。

 

歯医者の先生宅は昔から裕福だったようで お金に困った武市半平太から
うちの田を買うてくだされ と頼まれたらしく 当時の武市家との金銭やり
取りが蔵から見つかり その書状が数年前に 高知新聞に載りました。

しわになり紙屑同然のものを 40代の若い先生が 捨てず新しい命を吹き
込み軸にして 大切に保管していることが 嬉しく思えた一日でした。 
 

コメント (26)
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