団塊世代が結婚した50年前 職場の皆はもちろん 親は勤め先の
上司まで呼び 祝辞をもらったり乾杯の音頭を取ってもらったりの
総勢100名以上になる大宴会。 これが土佐流の結婚披露宴でした。
いつの頃からかそんな派手婚はすたれ 近い身内で食事会をしたり
何もせず 入籍だけのカップルも増えていきました。
親戚の娘の縁談がまとまり 昔ながらの結婚披露宴をするから出席
してねと 老夫婦にも案内状がとどきました。
披露宴は何十年ぶりかねと喜びつつも 定年退職後10年以上経った
夫の体型は変化がはげしく ワイシャツ・背広一式を買いました。
当日 まずはホテル内のチャペルで おごそかに結婚式です。
つぎにホテルの宴会場で披露宴となります。両家で40名弱の
出席者は5卓にゆったり座り 花嫁・花婿の入場をまちます。
拍手で迎えられた2人は しずしずとひな段へ。
披露宴のメニューは お品書きを見てもよく分からんが 食べて納得です。
いっときしたらひな壇の2人は お色直しのため会場を出て つぎに
現れたときは和装になっていました。
50年前は花嫁のお色直しを3回ほどもして ひな壇にはろくにいない
状態でしたが 今回はこれ1回で終りです。
新郎・新婦の 赤ちゃんのときからの写真がスライドで流され 新婦が
小さい頃の写真には 祖母も母も写り 老夫婦は涙を流しました。
コース料理が終わりデザートビュッフェのケーキが並び 待ってましたっ
と目を輝かせる私に 肺炎からこっち 夫と娘のきびしい目が光ります。
明日からちゃんと節制するから 今日くらいは大目に見てよ
両家の身内のみのこの日は 一人一人がマイクを持ち自己紹介をするなど
和気あいあいの時間が流れていきました。
ひな壇の2人のうしろに 代わる代わる両家が立って写真を撮るなどして
少人数ならではの アットホームな披露宴になりました。
お父さん多分これが 私たちが呼ばれる最後の披露宴になるでしょうね
そうやろね いい結婚式やったね と話しつつ帰ってきました。
大昔になる50年前 自分たちもこうして皆に祝福されて一家庭を築いたのだなぁ
としみじみと胸にこみ上げるものがありました。
あれから50年 その間には嬉しいことも悲しいこともありました。
それでもこの日 老いた2人が出席できたことはありがたいことです。
この日の若いカップルが今の私たちの年齢に達する頃は 当然我々はいません。
どうなっているでしょうね 50年先の日本は。
あたたかいアットホームな雰囲気が伝わってきました。
最近結婚式に招待されることが無くなりましたね。
年回りもあるのですが、昔のようにご近所に招待もなく、少し寂しいです。
ほんとうにおめでとうございます、よかったですね。
この日の披露宴出席が 老夫婦の人生最後の披露宴になると思います。
披露宴の司会進行役を こちらの某TV局の美人アナウンサーがしてくれました。
ところが彼女 自己紹介のマイクを順番に渡す役目でしたが 一人飛ばして
やってしまい「すみません すみません」と何度も詫びましたが
そんなこと どうってことないよ どんまいどんまいと皆おおらかなもの。
こういうところも 気を使う人もおらず少人数ならではの いい披露宴でした。
最近は法要でしか親戚と会わないので
結婚式と披露宴で顔を合わせることができるなんて、めでたいです。
両家が顔を合わせて自己紹介、温かい雰囲気で素敵です。
いい思い出になりますね
両家ともに 身内の者ばかりという気心知れた披露宴でしたので
これからもどうぞよろしく という両家の顔合わせの食事会
という感じの披露宴でした。
今も豪華な披露宴をするのは お相撲さんの結婚披露宴でしょうね。
行ったことも見たこともなく 報道だけの知識ですが ご祝儀もすごいらしいですね。
お相撲さんは優勝したら大宴会 昇進したら大宴会
力士を廃業し断髪式にも
たくさんのご祝儀が集まると聞きました。私たちとは住む世界がちがいます。
後援会の人達は もちろんリッチな人達ばかりでしょうね。
昔とは人の考え方も違ってきて 大々的な披露宴はしないのが普通になり
コロナからこっち 多くの人が集う宴会は特に嫌われるようになりました。
同じ県内でもお姉さんが嫁いだ地は 嫁菓子を配る習慣があったのですね。
そしてタンスの中まで披露する習慣があれば 安物を入れるわけにもいかんしで
ご両親は物入りでしたね。
お姉さんはお茶やお琴の教養を身に着けておられ そんな嫁をもらったことが
先方の親御さんは嬉しくて自慢だったのですね。
なんともほほえましい話じゃありませんか。お姉さんは大変だったでしょうが。
昔の披露宴は 大ホールに何卓も並んだテーブルに 知らない人だらけの酒盛り
という状態でしたが 今はもうそんな披露宴はないと思います。
昨年・一昨年と旅行の割引券をもらい このホテルに一泊しましたが
かつての大ホールは 今は何室かに仕切られ朝食会場になっていました。
花嫁さんの嫁入り道具を皆さんにご披露するのもその地ならではの
やり方でしょうね。見られる方はちょっと恥ずかしいけれど・・。
和気あいあいとした身内だけの式は心和みますね
くりまんじゅうさんもお元気になられ
結婚式に列席と聞き安心をしました
お大事になさってください
省略するのが世の傾向となったこの頃にもかかわらず これほどの結婚式を挙げられて
立派ですね。おめでとうございます。
それでも 高知では 昔と比べれば これでも 相当地味な方なんですね。
こちらでも ちょっと土地が違えばもうしきたりが違い 姉が嫁いだところは
うちから20キロも離れていないのに 嫁菓子をもらいに隣の町からも聞きつけて
行列が出来たり タンスの中まで披露するというので 可愛いタオルまで隙間なく詰めて
嫁ぎました。
ちょうど仲人さんのお宅が お菓子屋さんだったので そこで用意してもらったので
仲人さんも喜ばれました。
また お茶やお琴を習っていた姉を自慢して 舅さんが近所の方などを招待して
お茶会やら お琴を弾いて見せたりさせられ 大変だったそうな(笑)
うちの方は 古い集落ですが それほど派手ではではなかったので びっくりしました。
お二人のお幸せを 心より祈ります。
お身内だけのそれでも厳かな結婚式、和やかな様子が伝わりました。
病気回復で、ご列席されてよかったですね。
いまは割り切って簡素化もよし。将来の生活のことを思い、派手さを抑えておこなわれるようですね。
新婚旅行で留守中に、婚礼道具の中身をあらためるというところを読んで、 私の時と同じだとおもいちょっとだけ うふふ~
でも、わたしの正直な思いはでした。
結婚式&披露宴は実に30年ぶりです。昔ながらの大人数の披露宴は親の出費が
数百万円にもなり 披露宴会場のテーブルの この人の隣りはこの人でいいか
この人を上座にせねば失礼に当たる などの気配りも人数が多いと頭痛の種です。
40人弱のそれも両家の親戚だけの披露宴なら 少々粗相があっても
後日の笑い話になるなど それぞれが良い思い出につながります。
デさま お孫さんは中3のお嬢ちゃん1人ですか。私も娘には子どもがいませんので
息子のところの孫娘2人だけです。この孫娘が嫁ぐ頃までに私たち老夫婦の
命が続くとも思われず 今日が身内最後の結婚式&披露宴やねと夫と話しました。
マッチョなお婿さんです 新婦が小柄なので新郎のガタイが増々立派に見えます。
新婦の親いわく「今風でないところが好感が持てる」そうです👈大笑いです。
何とか早く治して この子の結婚式には行かねばならん早く良くなれと
そればかり思っていました。何とか間に合い良かったです。
この娘も 結婚しないと常々言っており それを通すなら死ぬまで困らん額の
お金を貯めておかねばならんよ 親は先に死にます。そうなると頼る人も
いなくなり困ることになるよ と親戚の婆(私のこと)は脅かしてましたアハハ。
今月は私も物入りでした。それに自動車税・各種税金らの納付書が届いています。
税金類は毎年のことで それ向きに対処しておけばいいのに 毎年あ~ぁと思う
これも進歩のない私です。
持ってきたタンスや道具が皆さんに披露されると聞いていました。
そうなるとタンスの中も空っぽとはいかず 着物がずしりと入ったタンスでしょうね。
女の子を3人持てば親は破産しますね。
花嫁が自宅を出るとき そして嫁ぎ先に入るとき大量のお菓子が撒かれたのも
昔はお菓子を 食べたい時に食べられるものではなく子ども達にはご馳走
だったからでしょうね。幸せのお裾分けをしますという気持ちからでしょうか。
土地土地の風習とはいえ 尾張名古屋の人は偉かったですね。
マスク越しにも如何にもキュートなお嫁さん。
ご結婚おめでとう存じます。
両家の…と言えば旧い!と叱られそうですが(笑)
ご両家の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。
くりさんには 披露宴に出られる機会はまだたくさんあると思います。
私の孫は一人、孫の"いとこ"はゼロ!
少子化の典型のようなわが一族こそ 孫娘の結婚披露宴のみ!
それも孫娘(現在中3)が「結婚すれば」ですからねぇ。
それにしても如何にも雰囲気の良さげな披露宴。
わが夫婦の頃は「実行委員会」形式(会費制)で140名余、
そうした"大きな=大味な"披露宴は最早 過去の遺物でしょうね。
和気藹々の披露宴…仕合せ感がしっかり伝わって参ります。
新郎新婦はじめご参席の皆様のご健勝、ご多幸を心よりお祈りします。
いいことも残念なことも。
刺激的で充実した生活を送っておられ波乱万丈と言いましょうか・・・
(病気は良いとは言えませんが)
今は結婚式も少なくなりましたね。
私の親戚にも未婚のままの娘さんが二人いますし。
そんな中の結婚式、本当にうれしいですね。
今月は物入りが多かったですね。
私は節約生活を維持しております。
あとはもう結婚しそうな親戚もおらず これが我々が出席する
最後の結婚式&披露宴になると思います。心に残るいい式でした。
このまえ肺炎になり入院中 病院の栄養士に栄養指導を夫婦で受けました。
私が太っているので 食事に気を付けるよう夫婦で受講するようにと
医者様から勧められ 退院してからも私が暴飲暴食をしないよう
夫や娘に監視されています。仕方がない全て私が悪いですから。
想像してしまいます
親戚の娘さんの披露宴
体調も回復されて出席でき良かったですね
此方でも客人を呼び大宴会を行う結婚式は遠き時代の話になりつつです
名古屋に近い此方
尾張は何事も派手派手な土地柄
自宅を出る時 菓子まきを
お嫁さんが嫁ぎ先に入るとここでも
またまた大量の菓子まきを
嫁入り荷物は
旅行中家人は親戚に本人不在のまま箪笥など披露する
嫁入りはこんなところからスタートでした
古き時代の思い出です
今ならとんでもないバカげたことですが
甘いモノを今日だけ許してと言うくりまんじゅうさん
健康のためと目で語る光景も、両者のお気持ちには軍配は上げられません
何にしてもおめでとうございます
各テーブルには皿鉢料理が並び 新郎新婦のひな壇には立派な鯛の活け造りが
飾られました。
今はそんな派手婚もなくなり 板前さんはせっかく磨いた腕を披露できなくなり
3月の観光開きに開催される『皿鉢祭り』に豪華な皿鉢料理を披露するだけです。
毎年私が写真を撮りにいく 土佐ならではの催しの『皿鉢祭り』です。
そうでしたね 高知⇔大阪間の飛行機は当時プロペラ機で 上がったと思えば
すぐ降りる わずか40分の飛行でした。
そうでしたか そらママさんが華やかな頃の土佐の結婚式を体験されたことが
嬉しいです。
そちらの結婚式も時代が変れば何とかで~
もう50年近く前のことですが、高知での結婚式に
出席させて頂きました、
その時初めて皿鉢料理を頂きました、私の住んでいる所は会席料理が出ますから皿鉢料理にはびっくりしました、
皆で沢山飲んで食べて下さいという感じだったのでしょうね。
あの時は50人ぐらい乗れるプロペラの飛行機でした、
懐かしく思い出しました。