テレビ東京で10年も前から ローカル路線バス乗り継ぎの旅 という番組があり
2年ほど前から観ていますが 最近これが最終回を迎え 今は以前のものを時々
再放送しています。
太川陽介さんと蛭子能収さんが 毎回変わるマドンナと共に 3泊4日を掛けて
路線バスだけを乗り継ぎ 目的地に着く番組で この旅にはルールがあります。
まず 高速バス 鉄道 タクシー等を使わず あくまでも路線バスだけ使うこと
インターネットを使わずに 地図 案内所や地元の人の 情報だけを頼みの綱に
西回りや東回りなど 限られた日数の中で 熟慮しつつ目的地を目指すこと。
県境などは路線バスが繋がらず 10㌔以上を何時間も歩いて山越えし 次の
バス停を目指すうちに 最初の元気はどこへやら だんだん3人は無口になって
あえぎつつ歩くことになります。
リーダーが決めてください 私たちは従います! と太川に向かい言う蛭子氏は
言った割には 歩きが長引くと文句を言い それを 本気で怒る太川 怒られて
泣きだす蛭子。。。 決して 演出とは思えんガチンコ勝負に まず吹き出します。
蛭子能収氏を 好きなタイプと以前綴ったところ 皆に呆れられました ⇒ ☆
旅の途中の食事も バス停近くの昔からの大衆食堂で メニューの大エビフライが
運ばれた時 ええっ~! これが大エビ? ちっちゃ~~ と大声で叫んだ
蛭子さんに 店の主人が もう撮影はささん 帰ってくれ! と切れました。
このようにまさに 脳と口の間に関所がない蛭子さんは あちこちで問題発言して
リーダーに叱られつつ 泣いたり笑ったり じわじわと 人気番組になりました。
今は不定期の 再放送を待つのみですが DVDが出ているそうで 買おうかな
と思いますが またこのコンビで新シリーズを始めてくれたら それが一番です。
歩きが多いですが 蛭子さん69歳 まだまだ若いです 日本中の蛭子ファンが
次のシリーズを きっと待っていますよ。
路線バスのみ、って難しいですね。
私の古里に向かうときも、高速バス以外に無く、
断念していました。
デジタルな時代にアナログ感のある番組は、
かえって新鮮かもしれませんね。
裏表のない蛭子さん・・・とは
一緒に旅はしたくないけれど
好きにもなれませんが
憎めません
なんとなく皆 行きどころのない自分を
蛭子さんに見てしまうから
この番組に 惹かれてしまうのでしょうか・・・
くりさんの好きなタイプですか・・・ほぉ(o^―^o)
そんなくりさんの私はファンですが
笑えちゃいますよね
蛭子さん TV用ではなく 素のままですものね
こんな旅も楽しそうですが バスの無い間は
歩かないといけなくなるのが 無理かなぁ
また 始まれば良いですね
太川陽介さんの真剣さ 蛭子能収さんのある意味いい加減さが笑えます
土地の食べ物を推奨する太川陽介さんに対して 食べたいかつ丼などを注文してしまう蛭子能収さん 良いコンビでした
この番組から派生して バス乗り継ぎ旅 鉄道乗り継ぎ旅など似たような番組が沢山出来ました
旅す派の私はいつも録画して 好きな時に見ます
路線バスはどちらかというと地域だけのものなので
つながっていないところがあるんですね10キロも歩くなんて無謀な旅だ
でも面白そうですね
私はまたくりまんじゅうさんが行かれたかと思ったら
テレビの話だったんですね
再開されるといいですね
最終回は確か 会津若松⇒秋田の由利新荘へ雪の中を
旅し 時間切れで到着できませんでしたね。このときも
山中を10㌔ほど歩きました。高速バスはダメ 路線バスだけ
というところが厳しいですね。台本がない番組でしょうね
また始まらんかな と待っています。
記者会見でお詫びするかと思えば 金を賭けずに麻雀
する人がいるのか!と驚きのコメントをしました。これを
聞いたとき あ 蛭子さんをパクったな と思いました。
蛭子さんもかつて賭博で逮捕され その後の会見で
金を賭けずに誰が賭け事をするのか!と真顔で切れました。
不思議な人ですね 何を言っても干されることもなく
この番組も蛭子さんのキャラで10年の間に人気番組に
なりました。 そうですね ふきさんが言われるように
行きどころのない自分を 蛭子さんに見るからでしょうね
私ね 好みのタイプの記事を載せたとき
ばあさんになっても せめて理想は高く持とうよ
と皆に注意されました アハハ。
ありました。高知は路線バスがなかなか繋がらず難儀
したと思います。不定期に放送がありましたが最終回が
第25弾だったと思いますので 10年間で25回旅したのですね。
10年前は蛭子さんも若かった いやいや今でも十分
若いです。また始まらんかな ファンは待っています。
真面目 ちゃらんぽらんで文句たれの蛭子さん ベスト
カップルでしたね 太川氏はもう蛭子さんとは旅したくない
と言ってるそうです そりゃ分かります。そうそう 蛭子さんは
毎度他の人と違うものを食べてましたね。宿の交渉は
蛭子さんの仕事で 3部屋取れたときは嬉しそうでしたね。
言われる通りこの番組から数々の似たような番組が
生まれました。しかしやはり このコンビが最高でしたね。
歩けません。 山道を10㌔以上歩くなんて訓練してないと
だめですね。それも雪が降ったり雨の中だったりでとにかく
次のバスの時間までに着かねばならず辛いですよね。
ヒッチハイクはだめ 高速バスもだめ それらをきっちり守り
10年もの間やってきたことはとても偉いです。
また始まらんかな と待っているファンはたくさんいます。