枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

にぎやかな時間

2009年05月02日 | Weblog
 昨夜は、二人の孫に雑多な思いをする。手巻き寿しをしようと、姉の方に卵を割らせた。ハムを冷蔵庫から出したり、シーチキンにマヨネーズを混ぜたりと、手伝ってくれる。妹の方は、お皿を並べる。自分ですると食べられるのか、大人の量を腹に収めたよ。

 こちらは美味しければいいか、と寿司飯を丹念に作った。誰が食べるのでも、心がこもっていれば、美味しいのですね。いつもは9時には眠るらしいが、本を読んでもらおうと、眼をこじ開けて起きている。読み終わると、直ぐに眠った。二人とも朝までぐっすり!!銀河に乗っかられても起きなかったよ。しかし重かったろうな・・・。

 妹がちょっかいをかけるので、もっぱらこれに集中してましたね。今夜の打って変わった安泰さに、ほっとして身だしなみを直しています。銀河は淋しがりやですが、べたべたされるのは好きません。極度な猫可愛がりは苦手です。

 勤務先で思うのは、人間の生き方です。言葉には魔力がありますね。良くも悪くも、自分で放った言葉が、周り回って還ってくるのです。そのことの不思議さもそうですが、私は自分が守られていることに驚く。神の意思を感じます。

 神とは、自然を意味します。自然とは宇宙そのものです。風、木、水、火、土の全てが神であり、それらが集まった元が宇宙で、神そのものなのです。命はあらゆる処に存在しており、人間は自分自身では何一つ創りだせない。それなのに感謝の気持ちもなくて当たり前のように思う。

 神の雷を、裁きを受けるのには、手段としては選べないのだ。陪審員制度が始まるが、ふいに飛び出して来る以外は、追突や信号無視、無理な追い越しでの死亡には、殺人罪があってもよい。車は走る凶器です。ましてや命が奪われたともなれば、殺しでなくてなんなのでしょう?証拠も確かにいります。でもそれ以前に、人間としての良心は?心の欠片さえ持ち合わせていないのでしたら、死刑になって当然です。

 弁護士をつけて、正当化しようなどとは、言語道断ではありませんか?冤罪は避けなければなりません。断じて!!でも。事件を起こしたことへの責任は、自分でとらなければ。嘘を言うなんて、信じる値もないでしょう。

 明日は、天気がちょっと崩れるようですね。腰の調子が悪いので、気をつけましょう。サンタさんに珈琲をお願いした。市販品の安さより、美味しいのが飲みたい故です。喉越しが違うよ。痰が絡まない。喉がすっきりするよ。Rさんのお陰で、この珈琲に遇えたのは、とてもラッキィです。インスタントも飲んでいます。

 無農薬の珈琲を買うことには、そこに働く人の賃金を保障してあげることにも繋がるのです。私も長い間働けなくて、貧窮していましたが、賃金を得るようになった今日、働ける有難さを痛切に思います。

 玄関より左手、北西の方角に、種を植えていたもの。今は、移植して鉢植えになっている。小さいなりに新芽を吹いています。
コメント
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