このところお天気続き。各地の薔薇が盛況ですね。埼玉の西武ドームでは、国際バラとガーデニングショーがあった。ちょっと遠いので、気持ちばかりで行けていない。鎌倉にも、薔薇の庭園があるようですね。
田舎の庭園では、田の畦や、川の石垣に、たわわにしな垂れる野いばらが、白い花を咲かせ、風の波を受けては、軽やかに揺れていました。子どもの頃の風景は、穏やかで、爽やかで、甘い香りのする、何だか少し切ない想いが、入り混じっています。やがて田植が始まって、蛍が夕闇に飛び交うと、蛙の合唱も賑やかさから、五月蝿いまでになっていく。
子どもの頃って、なんだってああも、片時も落ち着いて居られなかったのか?始終あちこちと場所を変えては、遊んでいたよ。誰に咎められる訳でもなし、なんという自由があったのだろう!蚊や蚤こそいたし、刺されたり、咬まれたりして、泣きべそもかいてはいたが、『今泣いた鴉が、もう笑った』と言われるほど、くるくると表情も変えていられたよ。
私は、お祖母ちゃん子で、自分が変わったのは、祖母の亡くなった頃。今でも、何かあると、きっと夢枕に起つ。お墓参りに行って、心を込めて墓石を磨く。枇杷葉をするようになったのも、祖母のしていたことを思い出したから。母は言うだけで、自分ではしようとしない。病院の薬の方が、手軽でいいのであろう。
今日は、昼からの勤務なので、午前中は布団干しと、水遣りをした。色芹がどんどん伸びていく。フェンスの向うに、土が流れ出ないように、縁飾りで植えた。アイビーがフェンスに絡んで、蔓バラもフェンスを登っているよ。道路側なので視覚感覚で、爽やかさを演出してます。
庭の中では、金魚草が風に泳いでいます。まるで夜店の金魚すくいです。紋白蝶がチュチュを着て、花のワルツを踊っているよ。自然が奏でる交響曲に、耳を澄ませていました。
5月7日は、チャイコフスキーの生まれた日です。彼が幼少の頃のエピソード。深夜の寝静まった部屋のドアが開く。そっと裸足で廊下を、階段を下りた行く手にはピアノがある。昼間の興奮が冷め切れない彼は、いきなりピアノを弾こうとするが、鍵がかかっていた。だが、鍵盤が弾けなくても、小さな指は正確にキイを弾いていく。母親が彼を見つけて駆け寄るシーン。
マリア・プリセッカヤ演じる、デジル・アルトー。白鳥と黒鳥に目を見張った。バレリーナに憧れた青春時代。人間は、環境の中での努力が必要なことを、教えてもらった。その時にはわからなかったけれど、ここまで来て、やっと飲み込めた。
田舎の庭園では、田の畦や、川の石垣に、たわわにしな垂れる野いばらが、白い花を咲かせ、風の波を受けては、軽やかに揺れていました。子どもの頃の風景は、穏やかで、爽やかで、甘い香りのする、何だか少し切ない想いが、入り混じっています。やがて田植が始まって、蛍が夕闇に飛び交うと、蛙の合唱も賑やかさから、五月蝿いまでになっていく。
子どもの頃って、なんだってああも、片時も落ち着いて居られなかったのか?始終あちこちと場所を変えては、遊んでいたよ。誰に咎められる訳でもなし、なんという自由があったのだろう!蚊や蚤こそいたし、刺されたり、咬まれたりして、泣きべそもかいてはいたが、『今泣いた鴉が、もう笑った』と言われるほど、くるくると表情も変えていられたよ。
私は、お祖母ちゃん子で、自分が変わったのは、祖母の亡くなった頃。今でも、何かあると、きっと夢枕に起つ。お墓参りに行って、心を込めて墓石を磨く。枇杷葉をするようになったのも、祖母のしていたことを思い出したから。母は言うだけで、自分ではしようとしない。病院の薬の方が、手軽でいいのであろう。
今日は、昼からの勤務なので、午前中は布団干しと、水遣りをした。色芹がどんどん伸びていく。フェンスの向うに、土が流れ出ないように、縁飾りで植えた。アイビーがフェンスに絡んで、蔓バラもフェンスを登っているよ。道路側なので視覚感覚で、爽やかさを演出してます。
庭の中では、金魚草が風に泳いでいます。まるで夜店の金魚すくいです。紋白蝶がチュチュを着て、花のワルツを踊っているよ。自然が奏でる交響曲に、耳を澄ませていました。
5月7日は、チャイコフスキーの生まれた日です。彼が幼少の頃のエピソード。深夜の寝静まった部屋のドアが開く。そっと裸足で廊下を、階段を下りた行く手にはピアノがある。昼間の興奮が冷め切れない彼は、いきなりピアノを弾こうとするが、鍵がかかっていた。だが、鍵盤が弾けなくても、小さな指は正確にキイを弾いていく。母親が彼を見つけて駆け寄るシーン。
マリア・プリセッカヤ演じる、デジル・アルトー。白鳥と黒鳥に目を見張った。バレリーナに憧れた青春時代。人間は、環境の中での努力が必要なことを、教えてもらった。その時にはわからなかったけれど、ここまで来て、やっと飲み込めた。