枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

奈良時代の風呂

2009年12月06日 | Weblog
 時代が変われば、多々な変化が見られる。昔の人々は、入浴というより、沐浴のような感じだったらしい。速く言えば、シャワーだけ。しかも夏場だけ。加えて庶民は入らない。と言うか水は貴重な物だったので、飲み水にすることはあっても、風呂など思いつかなかった。天皇、皇族、貴族のみであった。華人は香を焚き染める。というが、そうでもしないと臭うのである。

 それを行なったのは、光明皇后であった。釆女の和気の広虫が、孤児に施した病気の手当てにヒントを得る。この頃には、中国から(隋かな?)仏典やら調度、学問の類が僧によって渡って来ていた。施浴と言う方法で、広虫は病を癒す。当時の文献が正倉院のおもつ蔵にあり、薬草を床に敷いて、その上に休む。下からは湯気が上がっていき、動けない人にも効果があった。

 これに使ったのが枇杷葉。床に敷き詰めた枇杷葉には、温たためる効果があり、血行を促したようです。それによって、血液が正常に流れていき、何日かそこに横たわっていると、体が楽になる。足萎えも、おできも膿も、きれいに治り、人々は光明皇后に感謝して、崇め奉った。と記録にあります。

 歴史の事実と、史実とには、大抵何かしらの差があります。ここでも、光明皇后が先にしていたのを、広虫が真似てしたものか、こちらが先かは言明できない。敢えて言えば、そういった治療法を、国をあげてするべきなのに、大仏殿を建てたりすることばかりで、庶民の暮らしは返り見られなかった。という事実。広虫の人柄を見ていない者が云うのだから、怪しいのは当たり前です。でも、献身的な心が、広虫にはあったのも事実。

 枇杷葉は、中国三千年の歴史があり、日本では、千年以上もの歴史を持っています。当時の様子を描いた物や、文献が残っているというのにも、大層驚かされることです。神や御仏のお力に縋るしかなかった当時の人々には、枇杷葉の力は驚異的なものとして写り、以来、事或る毎に活用されてきたのですね。何という不思議なことかしら。と驚くばかりです。

 また広虫の、わが身に換えても、この命を助けよ。と祈る心が御仏に通じたものと思われますが、命と言うのは、自分のものでありながら、人のために使わなければ、報われることがない。神は信じる人種を過たず、平等で慈悲深い宇宙に、変わりはありません。そこに存在するのが、イエスさまであり、お釈迦さまであるのです。ブラフマーというか、天地創造の発端は、たった一つの意思である、宇宙そのもので成し得て創られたのです。

 我が家の近くに、『竜ヶ鼻』という地名あり。先日観た龍は、どうやら何かで、此処に鼻を預けて山肌に居たらしい。そうでないと、此処にそういった地名のある理由が納得いかない。また、直ぐ傍を1級河川が流れているのも、伝説を生んだ元でもあろう。何という事もない昔の話だが、そのルーツを探るのも楽しい。

 玄関のは入り口、左手の横に植えてある、地植の淡路田中。北側に面しているため、一向に木丈が伸びない。3年は過ぎると言うのに、30cmなのです。日照時間は3時間くらいです。これは枇杷葉での使用に決めています。
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