枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

摩訶不思議

2009年12月29日 | Weblog
 冬休みの夕方には、子ども達が集まり、拍子木を叩いて家々を回る。「マッチ1本、火事の元」と呼ばわって歩く。火の用心である。風呂を焚きつけたり、竈や七輪があったりしたから、火事になり易かった。山火事も多かった。一度など、家の直ぐ側まで火の手が迫り、木々の爆ぜる音に肝を冷やした。

 火事の後始末に、猪の丸焼けがあったらしい。あの顔は怖そうに見えるが、子どもを庇って焼け死んでいた。と話の種に聴いたものだ。そう言えば、野生の生き物は、人間の手に触られた者へは、仲間と認めないのだそう。自然の掟の厳しさ。それを知ってかしらずか、乱獲で生態系が変わってしまったよ。

 枇杷葉も、猫も杓子も飲み始めたら困る。従って誰にでもは飲んでもらわなくてもいい。花粉症や、自律神経失調症に、鬱にも効くが、何も枇杷葉でなくてもいいし、処方箋が出るから、漢方でなくてもいい訳。私は薬の害が怖いのと、自分が自分で無くなることへの畏れがあって、すんなりとは飲めない。枇杷葉と出遭って、心から感謝している。

 以前のところにも書いたが、枇杷葉との出会いには、龍が出てくる。そして、路に迷い、枇杷の大樹に出遭うのだ。仙汝であったか、薬効を丁寧に説明し、必ずや自分で飲み、また伝えていくよう諭された。あのことは夢だったのか?何だか夢のような気がしない。こんなに鮮明に覚えているのが夢なのだろうか・・・。

 聖武天皇の后、光明皇后でいらしたのであろうか。とても気品のある美しい方であった。そこだけが凛として、清らかな空間であったよ。観音さまの変じたお姿だったのか。不思議な情景でした。龍は、帰り道に出現して、私を髭で掬い上げると、風を切って宇宙を翔けた。不思議と寒いとも、怖いとも思わなくて、何だかとても懐かしい想いがした。

 私と、同じような体験をされた方って、居ないのでしょうか?龍は、架空の生き物として描かれていますが、目が爛々としてはいませんでした。涼やかで、憂いのあるやさしい眼差しでしたよ。あの瞳の輝きは、私の知っている人ととても似ていた。人間が化身したのでしょうか?それとも、人間に化身しているのでしょうか。

 鳳凰には、宇宙を悠々と飛んでいるのを視ました。玄武と白虎には遭遇していません。そういうのを見た人も居るのではないのでしょうか?信じようと疑おうと、自由です。私は、何故視えるのか知りたかったのですが、最近は有難く想えています。早々ある訳ではないので、感謝の念で過ごしています。
コメント
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