枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

今年も、僅かになり・・・

2009年12月17日 | Weblog
 なんだかんだと騒いでいる内に、今年も押し迫ってきたようですね。私の場合は宇宙のことで1年が過ぎていったような気がします。メインは日食でした。勤務中なのと、そういったことに興味のないスタッフに、サンドウィッチされての無謀さは、流石にできませんでしたが、空が暗くなっていくのは、室内でも解りました。

 天照大神が、天の岩戸に隠れてしまうのを、弥生時代の人々は恐れ、うずめという巫女に躍らせて、岩戸を開けさせた。という神話には、日食への恐怖が伺える。科学的なことも、天文学的なことさえも、何一つ知らない人々には、太陽の輝きが消えてしまうことは、天変地異に他ならなかった。また、神々に祈るしか、手立てはなかったのでしょうね。

 現代の方が、情報も知識も余りあるほど、氾濫しているのに、興味がなかったりすると、さっぱりわからないことになる。また、調べてみようとか、知っておこうとか、考えない限りは、知ろうともしない。淋しい限りだ。偉人と言われる人が素晴しいのではなく、頭の中に???を一杯持っていなければ、同時に疑問に思ったりしなければ、学んではいけない。

 勉強は、学校や机に於いてだけ可能なのではなく、知りたいという意欲や、不思議に思う心が反応していかなければ、学んではいけないように思う。また、調べればするだけ、解らないことが出てくる。それによっては、更に深く研究していかないと、真実がわからない。人間である以上は、死せるまでそうすることを、課せられたものに違いないのだから。

 枇杷葉も、調べていくほどに面白い発見があり、驚くべきことがわかる。昔の人は、口頭で伝えながらやってきた。真実を見極めることは、とても困難なことに違いないのに、とも思う。西洋医学が入ってきて、漢方医学は、脇に押しやられた。にも拘らず険しい道を歩んで、廃れなかったのには、民間の人々に受け継がれて、受難の時代を忍んできたことと思える。

 真実は何か。まやかしであるのは、何なのかをじっくり考えた結果だと思う。どちらにも、何にでも、利点があり、不都合が生じる。だが怯まず、諦めずに無心でいけば、必ずや達成できることでもあるよ。頑張らないけど、努力はしよう。どん底に落ちても、這い上がろう。その全てが自分に却ってくるのだから。

 今日は、午後からは休みでした。愛車の掃除をしました。私の車は、基本的には土禁にしてあります。ですが、時々汚れるのです。今回は掃除機をかけて、枇杷茶で拭き掃除もしました。洗車は、年末が近くなったら、燃料補給に行ってします。ポイントが貯まっているので、使うのです。

 枇杷葉の花芽が、そのほとんどを咲かせていました。匂いもちょっと弱くなっています。今朝は、バケツに氷が張っていました。さぶかった!風も冷たかった。
コメント
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