枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

感謝しこそすれ・・・

2009年12月30日 | Weblog
 朝起きたら、抜けるような青空だった。雲と空のコントラストも綺麗だ。ところが午後になって、曇って来たかと思う間に、時雨れ始めた。まるで秋のようなお天気です。温暖化の影響なのでしょうね。まあ、暖房も必要ない程の暖かさです。身体に着ていれば、それなりの暖がとれます。外気温があるので、室内では乾燥し過ぎになって、注意報が発令されています。

 電気製品の発明で、生活は豊かになり、お金さえ出せばなんでも買えるため、家事が随分と楽になった。それと共に、考えることをしない人間が増えた。知らない事を学ぶ、という姿勢に欠け、おや?あれ??という疑問を発しなくなり、働くことを、生きることさえどうだっていいように思う人間が増えた。

 身勝手、とかプライバシーの侵害とかでは、簡単にできない問題で、直ぐさま弁護士が登場する。昔は、諍いや難問題には、大家さんやご隠居さんが出て来たが。今の時代には、隠居などと呼ばわろうものなら、目を剥かれるのではないか。然も賑やかさには引けをとらない有様。知ったかぶりの体たらく。

 大家族の世代同居などは、夢の話。核家族では、学べることが少ない。嫌々、息が詰まるだの、性格の不一致で、結婚と離婚を臆面も無くショーに見立てる。昔ながらの伝統を守っていても、家が傾いたのでは意味が無い。無人の空き家の目立つこと。世の中、変わったねぇ。かといって、変わらなければ、進化もないものか。

 来年は、寅年です。虎は猫科ですね。大きな猫と想えばいい。あ・ちょっと手強いか?マタタビが売れるだろうな。ああ、旅行も増えそう。亦、旅に出る。と言いますか。センチメンタル・ジャーニーです。感傷旅行。私は、北国の春が見たい。新潟、秋田、青森、岩手です。共通しているのは、りんごかな?

 まあ、計画は立てても、倒れてしまいそう。おななはん、で見た林檎の花の咲いたのが見れたら。と思うよ。小川未明の童話に、『赤いろうそくと人魚』というのがあります。この冒頭の情景は、冬の海のことでしょうが、厳冬の海に行く勇気はない。其処に暮す人々には、当たり前の生活も、余所者には知る術もないのでしょう。数日間で、その地域のことがわかるなんてこと、あり得ないもの。

 来年のカレンダーに、阿修羅王像の写真集を買った。この仏像に魅せられて、何度奈良に足を運んだことか。興福寺の南大門での、御薪能も観に行った。5月の夜気が迫る夕暮れに、浮かび上がる煌びやかな衣装には圧倒された。金春、金剛、宝生、観世と流派があるが、室町幕府を立てた、足利義満の冠者だったとも言われている。当時は、辻のあちこちで舞っていたらしい。

 奈良は、冬にわざわざ出かけた。雪の降る猿沢の池からの、興福寺が見たいがために、新幹線に逸る想いを乗せて行った。阿修羅王像にも無論遭って来た。あの仏像には、独りで向き合い、静かに語れるのがいい。どうにも人出は苦手である。もらわなくてもいい、気を遷されたり、鞍替えされたりするから・・・。

 Aさん地に今年最後の水を頂きに出かけ、お正月の品々をもらってしまった。ありがたいなぁ。独りでは絶対に買わない品物ばかり。然も高級品です。枇杷葉のマッサージで、料金を頂戴しないといっても、これは戴き過ぎ。まるで笠地蔵の心境を味わう。ありがたいことです。

 リエさんには、サンタさんを経由して、珈琲が送られてきます。りささんからはセンスのいい品々が届きます。浜さんは困った時の助っ人をしてくれます。何だか1年中、頂き物の生活をしているようです。まあ、不自由なく、感謝ばかりです。
コメント
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