枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然の摂理

2010年08月11日 | Weblog
 お天気ばかり続いているのではない。この時期には、台風が接近して来る。心なしか風が湿り気を帯びている。無風状態には寝苦しく、布団を蹴飛ばすが、毎晩用意はしておく。やはり、足が冷えるのはよくない。腰にくる。これが体全体に支障を起こすので、要注意が必要となる。先程も、勤務先で研修講義があったのですが、冷房の利いた場所での1時間は長かった。寒くて震えこんでしまったよ。

 日本の四季には、其れなりの特徴がありますが、一年を通じての花が咲くのには、其々に意味があるのですね。その季節にならなければ、咲くことは稀です。人間も、旬があって、その時がくれば自然と花が咲くのですね。その花の、咲いているのを、視れる者になりたいです。一人ひとりの、個性豊かな花が、咲かせるようにもしてあげたい。自分には、花など咲かせない。と思っている人に、それがどんなに綺麗かを、教えてあげたい。

 Aさんの手当てに行っていて、近所の方が用事で来られ、私がしていることをじっと見ていた。きっと私が、Aさんにしていることを訝しく思ったに違いない。その様子からして、酷く興味があるのが見てとれた。今日の午後、出かけてみれば案の定である。そしてAさんから言われたことが極め付けだった。いつもなら、動こうとしても直ぐに立てれないのがどういうのか、よっこらしょで立ち上がれた。と驚かれたそうだ。

 私の手当てをしてもらえないか?と、Aさんのご主人に話されたらしい。(Aさんは、私の車の誘導をされていたため)ご主人も咄嗟の返事ができず、返答に窮されたそうだ。何でも私が診たてた体の異常を、以前に何方かに言われたことがあったらしい。その人と同じことを、私が言ったのが、気味が悪いほど、当たったらしい。そりゃそうですよ。体をじっと視ていたかと思うと、こことあそこが悪いから、そうなっていて、治療法はこれこれです。何てこと言われたら正直、怖いでしょう?

 で。その近所の方は、私がしているAさんへの手当てを、体が感応して、すっくと立ち上がれた。と言われたそうです。何と考えても不思議で適わない。この手当てを、自分にもしてもらえないか。と、懇願されたらしい。いや~ぁ、びっくりしちゃった。足湯から初めてください。としか言えなかったが、何を於いても、自分でその気になってされるのが一番効きます。枇杷葉での気の浄化をされて、体に取り込んでいかれることです。生きてこられた年数にもよりますけれどね。

 我が家の枇杷には、枇杷葉の効果に、私の力が加わって、不思議なことが起きます。或いは、私の心がその方の体に入り込んでいき、体内の悪いところを、引っ張り出すように働きかけます。そのバランスとタイミングが、実に絶妙に拘らなくては、病気がなくなって、元気にはならないようです。書籍に書かれていることは、以外にすんなり信じるものですが、私の言う想いが、相手の心に届くことは稀です。だからこそ、効目も大きいのですが。

 台風が近づいているようなので、ベゴニアの鉢を部屋に入れました。パンジーのプランターは、土を入れて、石灰を振っています。用意を怠らないように、準備をしておかなければいざと言う時に、役立ちませんね。自然を相手にするということは、自然を知っておくことでもある。同時に、添うことで上手くいくのですよ。枇杷葉の苗を移植するのは、葉が繁る夏場にはしない。と言うのも、自然界の約束事で、無理やりは好ましくありません。

 故安房直子さんの、きつねの窓を思い出しました。自然の野山に咲く桔梗は、もっと澄んだ青色をしていますが。これに、桃色もあるのですよ。子どもの頃には、田の畦でよく見かけました。祖母は、竹筒に投げ込んでいました。
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