宮部みゆきの『孤宿の人』の中に、御仏のおられるところは、西方浄土でもなく、仏間でもない。と言う件があり、ここよ。この中よと心を指す場面がある。神を信じて行く教会でなく、やはり心の中に存在する。と想えるのは、視えないものがみえたり、聴こえない声がきこえたりするからだ。今日もAさんの体に触っていて、突然にわかったことがあったり、納得できる想いがあった。訝しく問いかけるAさんだったが、そう云ったことの説明ができるくらいなら、私には視えないのだ。と思う。
特等席に寝転んでいる愛猫に近寄り、じっと手を当てた。逃げるどころか、気持ち良さそうに喉をならしている。電気に反応はするものの、治したい一心が掴み取れる。終わると、眼で礼を云う。私が危害を加えないことや、何をするかが分かっているのだ。人間は、自分の損得勘定で相手を見下すが、猫にはそれはない。信じる心のみなのだ。だから治りも早いのだろう。人間ほど傲慢で、自分勝手で、都合ばかりを言うものだ。
勤務先で困ることは、いつも先を読んでしまうこと。理屈でなく、体が勝手に動く。先日も、掃除をしていなくては、何方かが来る。感が働いた。時間的にはずれて、始めると同時においでになった。普段からしておけば慌てなくて済むものを。個々の優先順位が違うからだが、一番は危険度による。私は、埃やゴミの中での生活が厭なだけです。横着をすればそれまでだが、体は動かさなければならない。と、自分で思っている故。
主任が居ようと、リーダーが居ようと、居なくてもだが、自分の与えられた仕事をしたいだけ。どんな仕事であろうと、皆で協力しあっていかないと、何事も立ち行かない。見守りというのは、トイレに行きたい兆候を見逃さず、気分の佳いように過ごしてもらうこと。衣類の清潔を保ち、居心地のいい空間を設えること。結論から言えば、相手の存在を認めて、今を過ごしてもらうこと。そこには信頼と愛しかない。
休みの日には、花木の水遣りに一日が過ぎる。枇杷葉を心行くまで見やって、傷んだ葉を取り、生き物に声をかける。蛙が暑さを凌いでいた。何と、葉と葉の間に体を入れて、熱を遮断している。毛虫があちこちに卵を産んで、いつしか孵化して、蛾になっている。蝉も枇杷葉に止まっている。蝶もひらひらと飛んでいる。暑いなどとは思わないのだろうか?花の蜜を吸っている。
連休であったため、昨日は、Sさんの本命日でもあり、お墓参りに出かけた。暑い時間でないと、長い物が出没するので、じりじりと照りつける中を参った。草を抜いておいた。家人がお盆にお参りされたようです。花が活け替えてあった。この暑さでは萎れている。元気で立ち働いていることを報告。此処に来るようになってから、夢の中に出てこなくなった。よかった。
我が家の今夏の様子。庭の西側です。3年目になる枇杷葉が育っています。狭い庭の中には、何本もこんな風に植えています。これらが大きくなったら、たくさんの枇杷葉が採れるでしょう。何事も辛抱が肝心です。
特等席に寝転んでいる愛猫に近寄り、じっと手を当てた。逃げるどころか、気持ち良さそうに喉をならしている。電気に反応はするものの、治したい一心が掴み取れる。終わると、眼で礼を云う。私が危害を加えないことや、何をするかが分かっているのだ。人間は、自分の損得勘定で相手を見下すが、猫にはそれはない。信じる心のみなのだ。だから治りも早いのだろう。人間ほど傲慢で、自分勝手で、都合ばかりを言うものだ。
勤務先で困ることは、いつも先を読んでしまうこと。理屈でなく、体が勝手に動く。先日も、掃除をしていなくては、何方かが来る。感が働いた。時間的にはずれて、始めると同時においでになった。普段からしておけば慌てなくて済むものを。個々の優先順位が違うからだが、一番は危険度による。私は、埃やゴミの中での生活が厭なだけです。横着をすればそれまでだが、体は動かさなければならない。と、自分で思っている故。
主任が居ようと、リーダーが居ようと、居なくてもだが、自分の与えられた仕事をしたいだけ。どんな仕事であろうと、皆で協力しあっていかないと、何事も立ち行かない。見守りというのは、トイレに行きたい兆候を見逃さず、気分の佳いように過ごしてもらうこと。衣類の清潔を保ち、居心地のいい空間を設えること。結論から言えば、相手の存在を認めて、今を過ごしてもらうこと。そこには信頼と愛しかない。
休みの日には、花木の水遣りに一日が過ぎる。枇杷葉を心行くまで見やって、傷んだ葉を取り、生き物に声をかける。蛙が暑さを凌いでいた。何と、葉と葉の間に体を入れて、熱を遮断している。毛虫があちこちに卵を産んで、いつしか孵化して、蛾になっている。蝉も枇杷葉に止まっている。蝶もひらひらと飛んでいる。暑いなどとは思わないのだろうか?花の蜜を吸っている。
連休であったため、昨日は、Sさんの本命日でもあり、お墓参りに出かけた。暑い時間でないと、長い物が出没するので、じりじりと照りつける中を参った。草を抜いておいた。家人がお盆にお参りされたようです。花が活け替えてあった。この暑さでは萎れている。元気で立ち働いていることを報告。此処に来るようになってから、夢の中に出てこなくなった。よかった。
我が家の今夏の様子。庭の西側です。3年目になる枇杷葉が育っています。狭い庭の中には、何本もこんな風に植えています。これらが大きくなったら、たくさんの枇杷葉が採れるでしょう。何事も辛抱が肝心です。