へそ曲がり、と言おうか。気難しい、というのか。取りも直さず、偏屈なのである。右と言ったら、必ず左を指す。しかしながら、失敗が多い。腹立ち紛れに、そこら中に八つ当たりをしている。天邪鬼本人は、仕返しのつもりであるが、さほどでもなく、報いは自分にしっかり還っていくのだ。蹴飛ばしたら、足が腫れた。というような様になる。陰で見ていて笑える。本人が気づかないのが、何とも可笑しい。
最近は、そういった天邪鬼を見かけなくなった。悪戯も、何とはなしに、からりとした好感的なものから、陰湿な雰囲気が漂う。不気味である。天邪鬼の上手をいく、嫌われ者に転じている。なぜか、淋しい。鬼の仲間でありながら、鬼ともちと違い、人間により近い。人殺しはできない。小心者でもある。人間を脅かしたり、ちょっと困らせたりがうれしいらしく、小憎らしいが、憎めなくもある。
勤務先の若い子が辞めると言う。自分のやりたいことと、仕事場の方針とが合わない。と言う理由だが、納得いかない。何か違うように思えてならない。働くということは、自分を犠牲にすることである。辛いことや、我慢をしなければ、越えていけないハードルなのだ。何年も、同じことの繰り返しをしてこそ、自分のできることがわかったり、進めていける道筋が見えてくるのだ。入って2年経たない年数では、わかるものはない。
介護の基礎。って、なんだろう?自分のことでなく、相手のことが考えられることも、やり方が違っていて当たり前。でも、その基本には、思う心・気持ちがなくては。人生の先輩に対しての、言葉使いや態度は、スタッフ同士でも同じだよ。命のあることを感謝しましょう。形だけでなく、心から思わないと、相手には通じませんね。何度も失敗しながらも、やってみなければできません。それは即ち、教えてもらうことなのです。
夏祭りがあって、浴衣を着られた方に、「まあ、素敵ですね。よくお似合いですよ」と、きちんと顔を、目を見て言うのと、何かをしながら、付け足しのように、「可愛いわぁ!」と、大声で言うのと、どっちが心地好く聴こえるでしょうか?人間ですから、失敗や間違いはありますが、次には、同じ事を繰り返さない、心で接することが大切なことでしょう。働くという事、その対価をいただくという事は、自分に対する責任の持ち方でもあるのです。
イタリアに移住してしまったMさんに、赤ちゃんが誕生して、満1歳になった。ちょうどブログを読んだので、メールを入れておいたら、返事が返ってきた。お元気らしい。実は、日本に居るよりは、外国で生活される方が、運気がよくなるよ。と言っていたものだが、彼女が、あちらの生活に慣れなくて、心細い想いでいるのを知って、とても後悔していたのだ。いただいたメールには、素直な気持ちが綴ってあって、心がキュ~ン、となった。
私のブログも、時々は見てくれているらしい。自分の心の襞を書きながら、人間として後悔しないことなどあろうか?精一杯の努力はできても、絶えず反省の日々であり、学ぶことの多い毎日なのです。帰宅すると、何をする気力も無いほど、虚脱感が襲い、悔し涙が出る始末。試行錯誤は言うまでもないよ。命を見守る。ということの無力さを、ひしひしと感じますね。何方も、自分が一番です。心のざわつきが視えるのも、厭な気持ちになるのです。
梔子の木の葉が、ない。!!!!!敵は、葉と同じ色なので、なかなか見つけられない。あっというまに、葉がなくなった。敵は、石灰も何のその。今日も2匹捕まえた。枇杷葉にも、たくさんの卵がついていた。美味しいらしい。あちこちの葉が、黄色くなったり、芸術的センスを問われる、傑作を生み出している。彼らにも、葉の好みがあるらしい。人間で言えば、キャンパスの大きさかな?
今晩、って言うか、明日の明け方に未明にかけて、流星群が飛ぶのだが、天文台まで行けれないのね。仕事なんだ。家から観ようとしたが、生憎曇が多い。天の川と夏の大三角は綺麗に観えている。台風の後なので、大気が不安定なのだろう。まあ、地上部では困難でも、山に登れば観えます。横着をしたか。
真夏の早朝。早起きして撮影しました。枇杷葉の葉が青々として、瑞々しい。夏には活動期なので、水をたっぷり遣りましょう。
最近は、そういった天邪鬼を見かけなくなった。悪戯も、何とはなしに、からりとした好感的なものから、陰湿な雰囲気が漂う。不気味である。天邪鬼の上手をいく、嫌われ者に転じている。なぜか、淋しい。鬼の仲間でありながら、鬼ともちと違い、人間により近い。人殺しはできない。小心者でもある。人間を脅かしたり、ちょっと困らせたりがうれしいらしく、小憎らしいが、憎めなくもある。
勤務先の若い子が辞めると言う。自分のやりたいことと、仕事場の方針とが合わない。と言う理由だが、納得いかない。何か違うように思えてならない。働くということは、自分を犠牲にすることである。辛いことや、我慢をしなければ、越えていけないハードルなのだ。何年も、同じことの繰り返しをしてこそ、自分のできることがわかったり、進めていける道筋が見えてくるのだ。入って2年経たない年数では、わかるものはない。
介護の基礎。って、なんだろう?自分のことでなく、相手のことが考えられることも、やり方が違っていて当たり前。でも、その基本には、思う心・気持ちがなくては。人生の先輩に対しての、言葉使いや態度は、スタッフ同士でも同じだよ。命のあることを感謝しましょう。形だけでなく、心から思わないと、相手には通じませんね。何度も失敗しながらも、やってみなければできません。それは即ち、教えてもらうことなのです。
夏祭りがあって、浴衣を着られた方に、「まあ、素敵ですね。よくお似合いですよ」と、きちんと顔を、目を見て言うのと、何かをしながら、付け足しのように、「可愛いわぁ!」と、大声で言うのと、どっちが心地好く聴こえるでしょうか?人間ですから、失敗や間違いはありますが、次には、同じ事を繰り返さない、心で接することが大切なことでしょう。働くという事、その対価をいただくという事は、自分に対する責任の持ち方でもあるのです。
イタリアに移住してしまったMさんに、赤ちゃんが誕生して、満1歳になった。ちょうどブログを読んだので、メールを入れておいたら、返事が返ってきた。お元気らしい。実は、日本に居るよりは、外国で生活される方が、運気がよくなるよ。と言っていたものだが、彼女が、あちらの生活に慣れなくて、心細い想いでいるのを知って、とても後悔していたのだ。いただいたメールには、素直な気持ちが綴ってあって、心がキュ~ン、となった。
私のブログも、時々は見てくれているらしい。自分の心の襞を書きながら、人間として後悔しないことなどあろうか?精一杯の努力はできても、絶えず反省の日々であり、学ぶことの多い毎日なのです。帰宅すると、何をする気力も無いほど、虚脱感が襲い、悔し涙が出る始末。試行錯誤は言うまでもないよ。命を見守る。ということの無力さを、ひしひしと感じますね。何方も、自分が一番です。心のざわつきが視えるのも、厭な気持ちになるのです。
梔子の木の葉が、ない。!!!!!敵は、葉と同じ色なので、なかなか見つけられない。あっというまに、葉がなくなった。敵は、石灰も何のその。今日も2匹捕まえた。枇杷葉にも、たくさんの卵がついていた。美味しいらしい。あちこちの葉が、黄色くなったり、芸術的センスを問われる、傑作を生み出している。彼らにも、葉の好みがあるらしい。人間で言えば、キャンパスの大きさかな?
今晩、って言うか、明日の明け方に未明にかけて、流星群が飛ぶのだが、天文台まで行けれないのね。仕事なんだ。家から観ようとしたが、生憎曇が多い。天の川と夏の大三角は綺麗に観えている。台風の後なので、大気が不安定なのだろう。まあ、地上部では困難でも、山に登れば観えます。横着をしたか。
真夏の早朝。早起きして撮影しました。枇杷葉の葉が青々として、瑞々しい。夏には活動期なので、水をたっぷり遣りましょう。