枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

笹百合

2013年06月06日 | Weblog

 そろそろ笹百合の咲く頃だ。子どもの頃に見た、あの景色が瞼に浮かぶ。朝日を僅かに受けて咲く、その姿は、清楚そのもので、佇まいにもはっとする。背筋の伸びた、きりっとした立ち姿だ。笹百合の、楚々とした風情にも惹かれる。

 今朝の不穏な気温に、厚着をして行った。ところが、不測の事態に慌てふためく。心得不足を痛感した。生身の人間の弱さを実感。でもだからこそ、理解を深めたり、通じ合うこともあろうというもの。千差一隅の確率でもいいではないか。

 以前、胃腸が弱く、ちょっとしたことで胃痛になり、食事が咽喉を通らず、挙句には血便が出た。何も食べていないのに、ほしくない。やっとのことで食べれば、戻した。自律神経失調症には、枇杷葉茶が覿面で、張り詰めた神経が解れる。

 数日立てば、除々に食欲が戻り、美味しいという感情が甦る。無理に詰め込んでいたのが、食べようという気にさせる。ささくれ立った神経が、柔軟な撓みに転じる。好き嫌いなく食べられるようになればしめたもの。文句など是非もない。

 枇杷葉茶にも、其々に好む煎じ方があって、時間的なことや枇杷葉の種類にもよる。そんなことは無い、然したる違いはない。という向きもあろうが、やはり微妙に色が異なる。同時に風味も。煎じる過程は同じでも、水が違っているのだ。

 また、薬缶にもよる。土瓶というか、薬瓶での煎じたのと、鉄瓶とでは更に異なろう。症状や気分的なことにも差があるとは思うが、些細なことでも変化はある。言葉の持つ魔力、何気ない言い方にも、受け取る側にも、心理的に違うのだ。

 まあ、そういった性格、気質だからこそ、枇杷葉茶を飲むのだが、効果の現れ方は、全くと言って違う。その結果、枇杷葉茶の効き方が、心理的に及ぼす影響は大きい。疑問を差し挟む余地はなく、何事に於いても感謝以外はない。

 青いヒヤシンス。ナルシスト。冷やかなる自己愛。そう想ってみれば、青い花が多い、我が庭でもある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする