太宰治没。年代は違うが、土方歳三戦死とある。歴史を辿れば、名を馳せる偉人。当時は、今ほど情報が豊かでなかった分、紛らわしいこともあり、隠せることもあった。然し尚、謎にしている方が面白い。小説は更に読みでがある。
雨である。然も横なぐり。窓を開けていては、雨が吹き込むので閉める。毎朝、出窓に置いてある鉢に、水遣りをする。適量を遣っている心算で、腐ったりすることも。加減が難しい。どんどん増えていくのは折鶴ランで、花を咲かせている。
今朝、枇杷の袋が外れていた。???誰かが業としたのだろうか。先日、地元の中学生が、一棟裏の家に来ていたが、用もないのに、枇杷の袋に触っていた。声をかけると、ぎょっとして不気味な笑いをしていた。善悪も知らないのか。
子ども頃には、例え偶然にせよ、靴の紐が解けても立ち止まるな。と言われていた。泥棒と間違えられても仕方ない。つまりは、出掛けにきちんと身だしなみを整えて、不測の事態を避けるようにしていた。家での躾ができていた。
今や、躾が何たるものか、どうあるべきかがわかっていない。親になる世代事態が無頓着。子ども様様の時代だ。犬や猫に使う言葉さえ、意味不明の有様だもの。加えて、英語を小学生から必須科目に入れている。学ぶ事には賛成です。
だが、それには正しい日本語の意味と、文法がなかったら、英語は話せないような気もする。基本をお座なりにして、外国語はない。日常的な会話では、必要がないかもしれない。でも、知っていて損はないし、使えれば有利にもなる。
高齢者に、可愛いという言い方は相応しくない。幼児に対しては、保護の立場から、或いは愛らしいことを言う場合がある。年を重ねて生きてきた者に、可愛いとは失礼極まりない。そうした時の言い方に、値する言葉があるのだ。
東側の枇杷葉の傍には、プランター植えの椿がある。桃色の乙女椿で買ったんだが・・・。下の枝に、カメリア・白椿が咲いた。