今夜は、菖蒲湯である。祖母が元気であった頃、朝早く草刈に行き、汗びっしょりで帰って来る。風呂の湯が、水になる温度で残っているのを、外で行水に使っていた。その夜、何やら臭う草を湯舟に浮かべており、嫌々入らされた。
ちまきは作ってもらえなかった。柏の葉か、ぐいの葉に乗せた、蒸かし饅頭を食べた。餡は、申し訳程度入っていた。貧しい農家では、それでも精一杯の、子ども日である。そう言えば、兄の饅頭だけは、餡が多かった。今思い出した。
帰宅して、花のあるドクダミを刈る。電気屋さんにあげると約束した。自分のは、根槐があるので、必要時に洗って飲む。いずれにしても、困った時には直ぐにはないのだ。たくさんは要らないのだが、随時確保はしておきたいもの。
枇杷葉の枝が撓ってきた。実が大きくなってきたのだ。今年の天気で、熟れるのが早いのだろうか。先日、花屋さんで、青い実のついた枇杷葉があったが、季節外れではあるらしい。花芽の咲く頃か、秋口過ぎからに思えるがなぁ。
つまりは、その頃に剪定をするからで、活花に使うのでしょう。或いは、挿し木にするかです。私の考えでは、治療法に用いる一辺倒なので、あらもったいないこと。とびっくりしたまで。人間の都合に振り回して、とばっちりがあるよ。
暑いです。冷房を入れるので、薄着にはなれない。可と言って、着込んでいると外に出た時が悲惨。汗びっしょりになり、風邪を引く。帰宅しては梅ジュースを飲む。汗疹になり、枇杷ローションを塗布する。夏分はこれで対応。
精神的な要因で、毒素が排出されないで、体内に留まることがある。いつまでもくよくよする。気が滅入る。読書を愉しみ、静けさを好むので、ざわつきが神経を逆立てる。仕事の能率が落ちる。そこんところの切り替えが不十分。
花芽を頂上と、横を採った後。それでも未だ、たくさんの花芽がついている。花芽茶は、生きているので冷凍保存のこと。