枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月、下弦・小潮

2015年01月13日 | Weblog

 昨夜は、比較的早く寝たのに、体が言うことを効かない。意を決して起きたのが、AM9時を可なり回っていた。曇り空であるので、洗濯だけを干す。遅い朝食・昼食を口にしていたら、宅配が届く。通販への注文品だ。新聞を広げて、ゆっくり眼を通す。

 正午を過ぎた頃から天気が回復する。然し、これから布団は干せない。柚エキスを指に塗ったのが意外と効く。職場から、繕い物を持って帰っていたのをする。縫い目が取れているだけなので、針と糸で直る。最近は穴が開くことが少なくもったいない。

 夕方には、外部研修があるので、早めにAさん家に寄り、用事を済ませてから出席しよう。明日の弁当のおかずも、ストーブにかけておく。シクラメンの水量を確認し、窓拭きやら片付けもしておく。掃除は、雑巾掛けだけ。寒いので、横着を決め込む。

 柚エキスの効力には、ちょっとばかり驚いた。メンタムも白色ワセリンも、トフメルでさえ傷口が塞がらなかったのに、数回で完治した。柚の種と一緒に、房の滑りがいいようだ。風呂にも入れたが、枇杷湯でつるつるなのに、更に滑々となった。塩も佳い。

 自然の物には、人間の持っている、治癒能力を促し、抗体や免疫に補足するエネルギーが充ちている。然しそれらには、化学と言う代物には、為り得ない元素が含まれる。従って、遺伝子への影響には隔たりがあるのだ。個人的な効き目しかないか。

 人間は、神の領域には踏み込まない配慮と、自然への畏怖を忘れてはならない。恩恵を感謝し、戴くことを祈る想いには、無償で与えてくれる筈だ。利益に結びつくことや、儲けにしか思えない人等には、手酷い仕返しをもたらすのではないだろうか?

 幸せという想いには、姿も形も無い。生きている実感も、死に直面しなければ理解できないかもしれない。臨死体験をすると、命のありがたみを切に感じる。生かされていることへの、無償の愛には神の意思を想う。だが人間の命は、必ず尽きるもの。

 盛夏。白い花に寄せる想いが、一面の花に変わる。緑と白、赤のコントラストが美しい、我が家の庭。

 

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