四季折々の行事は元より、伝統を受け継ぐことの難しさに、後継者の減少、じっくり取り組む作業への愛着が薄くなってきている。庶民の家々にある、漬物や食物の保存法等、昔は個々に違っていた。家屋の建ち方や、風向きもあった。
薪を積んで置く場所、稲作の備品。藁を保存する納屋に、縄綯い機や筵、菰等を仕舞っておいたりした。何故、そこに置いておくのかは、傷みや腐りを防いでいた。子どもの頃には、祖母のしている意味がわからず、遊びの道具だった。
叱られましたよ。苦労と言うか、苦心惨憺しなければ仕上がらない大切な農具を、遊びに使ったんですから。祖母の傍にくっついていると、そういった作業の大変さが、眼に見えてわかるのだが、自分で作れない物には関心が薄いもの。
大寒に入ると、山際に近い田の小川に出かけて、蜆を掘って取る。寒蜆は、滋養と効能が佳いので、冷たい水に長靴を履いて入り、粒の大きいのを選ぶ。時折、黄蜆が混ざっていたりで、祖母の顔が綻ぶ。砂が口に残るので厭だった。
柿も、西条や富有を植えており、枝にたわわに生るのが自慢だった。これも、毎日では飽きてしまうが、蜜柑や林檎は、お正月だけだった。だからこそ、大切に戴く心があったのだ。この頃は程ほどにあればいい、と思うようになり買わない。
旬の頃に戴き、年中店頭に並ぶ物には、興味が失せる。夏の野菜は、その時期にだけ、腹八分にしておく。自分の口に入らなくても、命を取られる訳でなし。贅沢を言えば限がなく、我儘ばかり言ってはおれない。緊急時の対応を心がける。
明日は新月なので、Aさん家に寄る。お好み焼きをご馳走になる。12月の枇杷葉が佳い。と言うのは、旧暦でのことだが、そこまで考える人は少ない。即ち師走という表現でも、同じに思うだろう。尤も、枇杷葉は1年中、何時でも採れる。
ゆりかごのうたを口ずさみながら、夜の庭に下りてみた。4番は、夕方の暮れゆく情景だが、夏の月も美しい。