枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

明けて三日・・・

2015年01月03日 | Weblog

 晴天である。小春日和に恵まれた、穏やかな正月三日。昨日の不安定な空とは、打って変わった天気に、布団を干す。洗濯物は少ないが、乾ききってない物を陽に当てる。午前中に、ストーブを換えたり、拭き掃除をしておく。

 午後から、息子の家族到着で、雑煮をしたり、蛤の吸い物を作る。ワインで乾杯をして、箸を取る。朝はパンにし、息子等と食卓を囲むが、食べ過ぎに注意しておく。明日は、散らし寿しの予定なので、今晩から散り掛かろう。

 枇杷葉の写真も何枚か撮り、花芽の様子を見て回る。雪や霜の寒さに弱いので、結実が危ぶまれる。昨年のよりはいいかとも思えるが、楽観は禁物だ。晩春になってみないとわからない。ここでの春は遅く、厳しい寒さが待つ。

 今年が如何なる年か、不安に駆られる。庭に、小さな菜園をこさえたので、じゃが芋やほうれん草、葱を植え付ける予定だ。夏には、西瓜やメロンも、胡瓜にトマトもやってみよう。枇杷葉の苗の周りに、猫の額ほどの畑である。

 今日日の正月は、夏休みの反対にある長期の休暇とも思える。心身ともに引き締まる空気もなければ、行事も空々しい。神社仏閣だけが潤う訳でもなさそうだが、この物価高に、庶民はのんべんだらり。然したる変化は見えない。

 個人的には、多くを望まない。原発が無くなり、自然エネルギーへ向けた取り組みなら、如何なる努力もしよう。企業にとっては、実績と結果だけだ。業績が上がらぬことには、儲けに繋がらない。そこには個人の幸せは存在不可。

 然し、例え小さな声であろうとも、原発再稼動反対や、秘密保護法の施行に対し、否と言える態度を貫きたい。戦争に加担する、闇の取引には賛成できない。地球人としてのモラルは最低守りたい。心にある闇も、良心で覆いたい。

 体を温かくして、何もしなかったら、可なり疲れが軽くなった。自然治癒能力だけではなく、やはり休息は必要なのだ。この当たり前の、当然のことが案外できない。働かなければ暮らしが成り立たない。でもこれでは、精魂尽きる。

 昨夏の合歓の花。青空市までの道路沿いに、大木で咲いている。行き交う車では、誰も気づかない。

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