小暑 暑熱、いよいよ盛んとなるので、小暑と言う。毎年、七月七日頃である。朝から雨である。自宅の前が道路なので、車の音で降っているのが分る。新暦での七夕となっているが、晴れた試がない。10年か12年に一度の確立ではないだろうか。
仙台の七夕祭りは、来月の七日だ。地方に依っては、この日が多い。早朝に起こされて、畑まで露を取りに行く。芋の葉や、稲の葉先からのを、ボールに入れて持ち帰り、硯に入れて磨ったものだ。祖母が牛の餌の草刈で、採って来た萱草が紙縒りだ。
茄子や胡瓜に足を付け、牛や馬に見立て飾った後は川に流す。今は、ゴミで出すのに、情緒も何もない。絵に描いておいて、毎年使うのが経済的。田への水の恵を感謝し、米の出来を祈る風習とはかけ離れて、冷房の利いた部屋で過しての違和感。
夏は暑くなければ、上質の米が取れない。天日干しではないから、乾燥機では胴割れや発育不良で、小米になるのだ。ふっくらとした炊き上がりに欠け、米がぱさつくのだ。今年のような夏は、不作の作柄が多くなるのは避けられない。太陽の大切さだ。
日本は、四季のある国が特徴だが、それに合わせた家屋にしている。便利で簡単な建物では暑いし寒い。昔にも因るが、原発のなかった時代まで、遡りたいもの。自然災害は、いつの時代にもあったが、食べ物も生き物も、放射能には汚染されていない。
勤務先での研修が、講義の後には小テストの設定にたまげる。見返りシートであったのが、小テストになった訳だが、何か違う気がする。自分なりの考えを、感想的な言葉で書くのとは違和感がある。問題の設定にも、疑問が残るのだが、言葉がないです。
寒中に咲く水仙には、やがて訪れる春を、心待ちにして佇むワクワク感が含まれる。花の姿のラッパに、耳を近づけてみましょうか。