枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

土用の丑、上弦・小潮

2015年07月24日 | Weblog

 桃農家に、その時期が来たら、贈ってくれるように依頼して、住所を渡してある。従って、緊急事態が発生しない限りは、自動的に発送される。以前は、青空市屋、農家に出かけて求めておたが、時間的な余裕がない。快く引き受けてくれ安心。

 某作家さんからはアドレス宛に、リエさんからは携帯にメールが届き、はり灸さんからは、直接声のお礼だった。さて一軒は、ご丁寧な封書で届けられる。どなたにも日頃からお世話になっており、自慢できる物と言ったら我が家の枇杷と、この桃。

 向こうさんは、著作がたくさんあっての作家さん。何かとそれらを送ってくださる。然も、サイン入りである。包みを開けて、真新しい書籍が現われ、捲ったページの最初に、作者のサインと我が名を見つけた感動を。この世の何よりも、うれしいよ。

 ファン冥利に尽きる。然し、あまりこういう感動は伝わらない。尤も、いい年の大人が、1冊の書籍を胸に抱えて、ニマニマしている姿など、却って気味が悪いのかもしれない。子どもの頃に図書館もなく、雑誌でさえ兄にしか買ってもらえなかった。

 かのファンタジーの知名度を持たれる方が、自分の作った枇杷や、送った桃を頬張ってくれている姿を、想像できたであろうか。こんな繋がりをさせてもらえること自体、身に余る幸せというものに等しい。それに依って、新しい作品が誕生すれば。

 今は、図書館での利用に変えているが、どうしても手元に置きたい書籍は買う。殆んどをリエさんが送ってくれるが。本は、自分の場合は片割れ、分身かも知れない。庭を見回る以外は、活字と向き合っているもの。テレビを観る気にはなれない。

 望んでいた暮らしかもしれないし、そうでないかもわからないが、環境がいいのは有り難いこと。仕事はきついが、そうも言っておれない。先日も、同期で同い年の方が辞めた。気力も体力も限度にきているのだ。迷惑をかける前に辞めなくては。

 寒の戻りがあり、雪花が舞った。寒さにめげず、凛として咲いている姿は、何だか見習いたくなる。 

コメント
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