帰宅すると、キリギリスが居る。1匹捕獲し、庭を見て回る。台風が接近しているとかで、影響がないか、木香バラの新芽を落としたり、トマトの熟れ具合を確かめたりする。玄関にやっと辿り着きポストを見れば、不在通知が入っている。田舎の郵便事情は最悪。
夕方の5時半を過ぎると、絶対に配達をしない。時間指定でも持って来ない。昼間に家に居るのは、休日か病気だ。便利なようで、全く信用もない。不信感の固まりの企業だ。お役人気質が抜けない集まり。宅配なら、何度か足を運ぶか、遅くに持って来てくれる。
台風が多い年か?早くから1号が発生し、既に11号に達している。例年の如しとも思えるが、大当たりになるかもしれない。他国の援助も必要だが、福島県を切り捨ててはいけない。未だ除染も終わらず、野晒しの家々がある。避難しているからって、支援は?
国立競技場など、前回の時の建物を修復したり、何がしかの工夫をすればいい筈だ。あれだって、オリンピックの時だけでは、余りにも無駄使いであろう。戦争へと駆り立てる解釈にも、大いなる疑問を持つ。日本の国って、何時からそんなに豊かになったのか。
義務教育として、9年間を学び、受験して高校に行く。発展途上国の子供等は、勉強したくても働かなければならない。一昔前の、二宮金次郎だ。近代化が目覚ましい、日本の国では、親が児に行ってもらう。子は、親に対して、頼まれるから行ってやるんだの感。
平和な時代に、産まれてきたことを感謝することもなく、当たり前の現象で受け止める。父母や祖父母、祖先の努力を忘れている。満州事変さえ、太平洋戦争の発端も、不思議そうな顔をする。真珠湾攻撃を、沖縄の悲惨さを更に、原爆の恐怖を語り継ぎたい。
忘れてはならないのは、若い命が散ったこと。死ななければならない理由など、何一つとしてないのに。たった一枚の紙で、戦地に行かなければならなかった。無念さ、悔しさ、哀しさも、誰も保障をしてくれない。戦争はいけないよ。原爆では、一瞬に消えていく。
春の陽射しが暖かさを感じさせる日。やっと綻んで来た梅の花。何とも清々しい香りに、心に沁みていく。