枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

水無月、大暑・小潮

2015年07月23日 | Weblog

 大暑 暑熱、最も甚だしい。と言う意で、大暑と呼ばれる。毎年、七月二十三日頃である。然しこの寒さはどうだろう。湿気は多く、べたついてはいるが、扇風機などとんでもない。足が冷えてくる。家中に居れば涼しいのを通り越している。米は不作だ。

 サンタさんに、我が家のサンタ枇杷を送ったら、お礼に娘さんが小さなごんごを作ってくれた。豆河童であるのが、何とも可笑しい。市販の枇杷は、大きいが味が薄い。我が家の枇杷は、粒は小さいが、糖度は高い。それにしても、親指大の大きさだ。

 こちらでは、河童とも言うし、地方に依ってはごんごとも言う。町興しに一役かって、愛嬌ものになっている。河童って、悪戯ものでもあるらしいが、百姓とは縁が深い。何を於いても、水の守りとして祀られる。胡瓜を供え、水乞や雨乞いに重要である。

 某児童文学作品に、水のしろたえの書籍に登場する。この児童書は、三部作になっていて、地と潮の王、水のしろたえ、波のそこにもである。タイトルに拘りがあると言えば、同人誌に連載時には、はるかな岸辺にだった。こっちの方がしっくりとくる。

 出版社も、其々に異なり、作家は同じだが、挿絵は違う。読者の勝手な想いとしては、イメージの感から同じが好いとも、舞台が移っているのであれば、代わって当然かもとも。いずれにしても、日本古来の御伽草子や、伝説の下敷きがあり面白い。

 これ等は、個人的に謎であったことが伏線に張られていて、古事記や日本書紀を読み返すきっかけにもなった。児童文学というジャンルにも、子どもの時とは違う感想もあり、大人になって読み返すのは以外にも愉しい。奥が深い書物もあるんだね。

 以前、童話を書いていたが、創作とは嘘の羅列だ。それをどんなにかリアルに、言葉巧みに内容を展開していく。起承転結はむろんのこと、伏線もきちんと想定しなければならない。最後のどんでん返しの工夫も要る。人真似では書けないことだ。

 児童書によっては、やたらと お をつけたり、言葉の表記の間違いが目立つ物が多い。そういう下らないのは直ぐに閉じるか、読む気にならない。童話であるからと言うが、れっきとした小説でもある。お花にお水を上げる等、以ての外で腹立たしい。

 庭の、枇杷葉の樹の下に置いてある鉢。夏の暑さを嫌うため、枇杷葉の葉影がいい。年毎に一輪増えていく。

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