枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

薬酒で・・・

2017年07月26日 | Weblog

 通草酒で、風邪が酷くならぬようにしている。長生きはするほどに、価値は不明だが、医者に行かなくてもいいと言う利点がある。田舎の総合病院は、見知った顔が大半で、話し掛けられるのが厭だ。加えて、聴きもしないのに症状を説明する。

 こっちはしんどくて受診に行っているのだ。他人の頭の蝿まで追えない。静かに順番を待ちたいのを邪魔する。近づかないでもらいたいものだ。どうされたんですか?って、調子が悪いから病院に来てるんです。従って、少し離れた診療所に行。

 最近の医者は、パソコンの画面ばかり観て、患者の顔を見ない。そりゃ、若くて綺麗でもないですから、視線を合わすのも面倒でしょう。脈を取ることも、口の中を覗くことも、目力を確認もしないで、ひたすらパソコンを見つめ、無駄な質問をする。

 藪なら未だしも、筍にもなっていない。医は仁術と云っていた頃が忍ばれる。漢方も洋学や蘭学にも通じ、医学の東洋を選ばず、様々な症状を熟知して、医療に中るのは、最早金が掛かり過ぎるのだろう。加えて、半端な分野ではないからねぇ。

 専門の、それも小分けにした科にして、あちこちを盥回しにする。結果的には、手遅れになる。そうならない為には、日頃から、自分の身体を知り、ちょっとでも変化の看られた時には、自ずと覚悟をしておきたい。どう足掻いたって死は避けられぬ。

 葬式の費用はないから、献体を申し出る。ホルマリン漬けのまま、時を待つのも、或いは愉しいかもしれない。使える臓器は、必要な方に提供する。枇杷葉茶を飲んでいるから、綺麗な物らしい。心臓と腎臓の調子はイマイチだが、無理をせねば。

 還暦から5年を経過し、歳相応の衰えはあるものの、全く使えない物ではない。身体を、騙しだまして、人生の終焉に向う。来年のことは言えません。鬼に笑われるくらいならいいが、無視される恐れもある。真夏の夜の怪談。我が家は平屋なので。

 冬の宇宙には、何を於いても、一番星の輝きが観える。金星・宵の明星・ビーナスとも呼ばれる惑星。

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