枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷屋敷が・・・

2021年07月13日 | Weblog
 連日の雨に枇杷葉の間と言うか、あちこちに蜘蛛の巣が張ってあり顔に掛る。青紫蘇を採るにも薔薇の花殻を摘むのも、確認しての行動でないとたちまち纏いつく。近距離と言うのも問題で、まるで居住者への嫌がらせかな?とも勘繰る。餌が無いのかなぁ…空腹なのは気の毒だが、網を張るのは加減してくれよ。

 昼に最後まで残していた淡路田中の5粒を戴く。農薬を掛けていないから少し皺が出来ているくらいで、腐ってもいず甘さもそのままだ。不思議なことだが、これが無農薬の素晴らしさだ。今年は一方的に送ったリエさんを始め、大量の枇杷を受け取ってくれ食べてくれた人に感謝。種を植えて居られる方もおいで。

 夏分の体調不良?どこ吹く風であるが、枇杷葉のお陰なのは言うまでもなく有難い。冬は無論の事だが夏場にも冷たい物は慎み、身体への毒を吸収する食べ物には近寄らず買わない。何が哀しくて態々病にするのだろう、旬の物以外を買ったり口にするから危険な状態を創り気づけば重篤な有様へとなっていくのだ。

 身体は年齢と共に衰えていくので、PCのように初期状態には戻せない。医者に罹れば当たり前のことだが、不具合を見つけられるのは分かっていること。だってそれが医者の仕事なの、そうして内科で外科で盥回しになり気持ちまで病気に陥るのだ。暗示と言うか呪文なのか、精神的に弱い方はどんどん悪化一途。

 そんでもって、医者に罹るのも薬を呑むのも止めた。身体がカフカの変身を遂げ要らぬ感情の高ぶりも起伏も消えた。これまでに陰鬱としていたのは一体何だったの?すんごく楽になったし気持ちも和らいだ。ご飯が美味しいので食べる割には肥らない、旬の物で祈り・感謝の日々でもあるが愉しい気分は上昇中よ。

 これが枇杷葉のお陰でなくて何だろう?贅沢している訳でもなく、他所さまの物を黙ってかっぱらっているのでもない。他人さまから見れば気の毒に思われるようなことでも、本人は意に介さずこれが当たり前と感謝している。生かされていることへの、素朴な気持ちがあれば充分でしょう?自然からの恩恵である。

 誤解のないように、これは一個人の偏見と見解であり他人さまへの批判でもお勧めでもない。わたくしが想っていることの範囲で、それを実践されることへの責任も持ちません。加えて個人差もあるし、何通りの考え方もありますので勘違いは平行棒です。枇杷葉には一切責任もなく、飽く迄も個人的な意見ですの。

 午前中、晴れて青空が見えていたのが少し降って止む。冬物のスカートの洗濯(手洗い)をして、トイレのカバーと敷物を換えた。明日は弁当配達も手当も無いので、アイロン掛けに精出う。マスクもAさんから貰った綿・反物があるので、夏用のマスクを縫うかな。魔女の血族上に填まった。魔女の覚醒・3章。

 

 
コメント (4)
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