枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

日記は目立たなくて好い

2021年07月20日 | Weblog
 新しいことをすれば必ず異変が起きるので、ブログをアピールしようと言うが遠慮している。確信するが画面がどうにかなったり、要らぬアクセスで更新も出来なくなる気がする。煩く厭なのと苦手でもあるので放置している、中にはチャンスを逃したと大騒ぎ。フォロー数だけを訪問して、丹念に読むのさえ至難の技ヨ。

 簡単にボタンだけ押せれたらとも思うが、文章をきちんと読んでみなければ意味も通じない。日本語の無茶苦茶なのもあるし、読解不能・解析無能なのもあるのを何とか解き明かす。ワトソン、君は偉い!嫌々、小林少年も健闘しておりますわ。生き難い時代ですから、相当の覚悟も必要な訳ですが真夏だけに融けそうよ。

 虐めをしていたのは自分だと名乗り、その内容を告白して平気な者も居る。世間で騒がれれば済んだことだと謝ればいいのか?止めてほしい、謝る態度にも言葉にも慚愧の気持ちは見えない。記憶は消せない。虐められた本人にも届かないよ。オリンピックが華やかで有名になれる等、その感違いこそが自分本位で残虐だ。

 今朝は少し起床が遅れてしまったが、手早く新聞に眼を通して弁当を作り届けAさんの手当に向かう。昨日は検査に行かれていて、枇杷葉エキスでのマッサージ施行ごっそりと角質が剥がれる。既に80齢であり、医者に罹れば悪い箇所の見つかる度合いは増える一方。一割負担でも個人的には行かないが、立場上権利もなく。

 再再度の検査入院らしく、前回の病院とは専門分野の違う所らしい。手当を施行してやっと体調維持できると思えば、何やかやと元の木阿弥にしてしまう。意地と云うか根性が続かないのにも眩暈が起きるが、自力でどうあっても治そうとは思わないのか。そこんとこ何か無理もあるようで、ひたすら角質剥がしに励むが。

 Aさんの手当を終え、水を分けて貰っていったん帰宅してから燃料補給に行く。その後、青空市へと寄って新鮮な野菜を大量に買い込む。茗荷も見つけて1袋¥100、南京は片手に乗るくらいのを買い白茄子も。コンビニに支払いに寄るが何だかややこしい、店員さんも説明してくれるが年寄り苛めとも取れる遣り方ですな。

 近代的な方法には抜け穴もあるようだが、ネット詐欺は元より複雑になっているのだろう。触らぬ神に祟りなしで、知らないことや覚えのない事例には警察に通報するとの脅しに乗らないこと。悪だくみには誰でもが関与できますし、それで金銭が入って来れば罪悪感は薄れる。まあ・騙される方が悪いと言えば金が絡むから。

 わたくしには、何もないから与えて貰えるので有難い。大金を持っていればそれが惜しいだろうし、減らしたくない。誰かがお腹を空かしていれば、あるもので満たしてやりたいのは自分であるからなのだ。飢えていては物事は悲嘆的になるし殺しも厭わない。ああ無情のジャン・バルジャンの心情、25年間の投獄・脱走。

 
コメント (2)
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