枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

盛夏に

2021年07月26日 | Weblog
 夏は暑いのだが、それも限度を過ぎてしまうと言葉も出ない。然し、バケツの水温は上昇して丁度良い湯加減となる。入浴は出来ないが足湯は可能で、枇杷湯を使っての行水に汗を流している。天日の温度の高さは有難く、電気代を使うよりは安上がりである。まあ、こういう時の独りは都合の好いものだと。

 昨日の夕方には、プラ塵の再生物を指定の置き場まで持って行く。態々車を出す距離でもなく徒歩での往復で、帰路に見つけたのが蕨。何と数十本が風に揺れており新鮮そのもので、試しに手折ったらぽきっと音がした。持ち帰り玄関に挿し、瓶にも入れて台所にも飾った。偶さかの散策も好いものだなぁ。

 蚊取り線香を点けて、野良猫を追い払う心算は頓挫した。すばるが鳴かねばいいものを、習性からか度々に呼んで困惑する。本能も換えられないので仕方のないことではあるが、耳障りになり煩わしい。獣医の手違いだろうか?手術をしているのに可笑しい。小さな内には気づかなかったが、叱っても駄目。

 今朝は寝不足ながらも起きるが、Aさんの手当があるためゆっくりは出来ない。洗濯機を回し干して、バケツに水を満たして外に置いて出かけた。手当に行けば角質が剥がれて落ち、たちまちの真っ黒に訪問客の多かったことを知る。わたくしの体調変化は、実に明確に当たるので喜ぶべきかどうなのかな?

 手当を侮っている節も感じないではないが、自分でも少しは考えてしないとと話す。リンパ腺は遣っているようだが、効果は著しくない。強いて言えば、して貰える感が否めないのだ。わたくしが幾ら心を籠めて施行しても、翌日になれば元の木阿弥状態を繰り返すのでは身体が持たない。本人気づかず。

 身体の変調に自分で気づき、それに対処できる方法も見つけたい。夏場は暑くて汗をかくが小まめに衣類を取り換え、肩や腰を冷やさないように気をつけよう。痛みのある部位には熱感もあるので冷やし、その後は温めることだ。腰痛を侮っていると歩行できなくなるが、それでは遅いので早目の対策を。

 仕事に行っていた時には、絶対に腹巻は放さず枇杷葉焼酎漬けの湿布は欠かさなかった。冷房からは逃げ、室内では重装備で勤務していた。辞めてからは然して変わりはないが、油断しない気構えで日々を送っている。枇杷葉茶は毎朝煎じて飲み、枇杷湯にも欠かさず浸るのを常としている用心・養生で。

 コロナ禍でなくても、何処かに行きたいとか出かけることが嫌いなため尚更引籠り。それが何と言うこともない者では平気だが、反対であれば苦痛なのだろなぁ。リエさんが居るから上京もするし、はり灸さんにも行くが計画して予定を立てる。観光目的は余りなく、其処に往きたいだけの目的であるよ。

 然しである。わたくしのような者ばかりでは経済は回らないし、多々なる交通も土産の売り上げも無い。飛行機だって客船にしろ発明して造った甲斐がないだろう、要は世界中を行き来してくれるからこそ、金持ちは太り権力も誇示できるのだ。其処までなら歩けばいいとか、枇杷葉だけで好いでは如何。

 

 
コメント (2)
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