枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

予感は的中、八せん終わり

2021年07月14日 | Weblog
 以前の勤務者へのメール、ひょっとしたらと送信したら夜勤だった。ストライク!で・午後から来ると言うので、向日葵畑を見てもらうかな。我が家のではありませんが、図書館の駐車場の側に咲いていますから都合がいいの。隙間がないくらいに植わっていて、古典映画を連想しますが今時の方は戦争とは無縁で。

 本日の予定も多少の変更を余儀なくされたが、時間的に遣り繰りをすれば済む。ブログの訪問は途中であるが、更新を忘れてはと急遽書くことにした。雨のせいにはしたくないが尿臭が漂う。さては裏の坊主かと閉口、誰にも分らないとか気づかれないとかでしているようだが馬鹿垂れめが、親の前だけのよゐこは。

 床の拭き掃除も終え、昼食の準備も整えて待つ時に限って来ない。足湯の用意も怠りなく、すばるにも伝えて待機中である。そうこうしていたら連絡が入りこれから向かうとのことで、雷神さまの機嫌がイマイチなのを伝えておく。走行中には心配は要らないが、下りた時にシャワーでは気の毒なので注意報を話す。

 自然を人間の都合で変えていくと、思わぬ災害に結び付く。長い年月で培われた風景には自然の力が大きく働いていて、観光スポットにしたりだが落とし穴も待ち受ける。潮の流れには表面的な物と、深海での動きは異なるように思える。異変が起きれば姦しいが、人間の都合勝手な行いが原因なことが多い事実も。

 地球は、人間だけが創った星ではない。天地創造も、後から人間が介したような記述だが違和感もある。人類の栄誉栄華ではなく、命のある生き物の集まりが棲む星ではないか。虫を嫌うのも勝手だし捕獲して売るのも都合で、それらは彼等にとっては迷惑な行為だろうな。人間だけが偉く素晴らしいのでもないね。

 森羅万象をつかさどる存在は何だろう?生命反応での生死も一体誰が決めるのだろうか。神さまだと云うが、姿も視えずなのに信じられます。視えなければ不安なのか、見えるから安心できるのかは疑問だが混沌としている想いだ。難しく考えるからかも?では容易い考えって何なのかなとも聞きたい気持ちも混ざる。

 雷鳴轟く中を迎えに行き昼食を食べての足湯を施行、その後枇杷葉エキスでの角質剥がしに気分が良くなったのか睡眠中。膝下から脹脛での角質が多くでてき、腕は然程のこともなくほっとする。暑いというので設置温度を下げておく。風邪を引かないことを祈り、更新途中を思い出して追加している。よく寝てます。

 ヴァイオリニストの辻久子さんが亡くなったとの報に、天才少女の名を冠しての演奏には努力の一途であったことも想いが深い。彼女が関西を拠点する神童ならば、才能の豊かさに前途を有しながらも果たせなかった渡辺茂夫さんを偲ぶ。人生を生き抜くのは何と厳しいものであろうか、惜しまれる業績に感無量でも。
 
 
コメント (2)
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