枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦、七夕・小潮

2020年08月25日 | Weblog
 昨日も期待してはみたが、雨の無い割には曇っていて湿気の多い日であった。それでも青空は広がるし洗濯物も乾く。水遣りをどうするか考えながらも遣る。図書館で借りた本もあるのを、宮部みゆきさんのあやかし草子・文庫に眼がいく。この誘惑には勝てない。ハードカバーで借りて読んではいるが惹きこまれる。どうにも不思議な感覚である。魔術はささやく。

 読書には魔力があるのを呪文で振り切り、弁当の用意にかかる。肉じゃがとサラダを添え、ネタは茗荷に胡瓜と卵焼き、青紫蘇と蒲鉾とを用意した。胡瓜は昨日から切って塩を振り冷蔵庫、蒲鉾は何時もよりは高めの鯛入りで、卵は厚めに焼く。山葵がチューブしかないが仕方がない。ご飯は硬めに炊いており、酢で手を湿らせて握る。小さくなので20程にした。

 夜間の天気が気になるが、何とか天の川が観えはしないかと望む。一年に一度の逢瀬も、意外と台風で渡れない年がある。志村けんさんと沢田研二さんとのコントのようには、天界では時間の経つのが地球とは違うが、何時までも歳は変わらないのだろうか?時々、宇宙を観あげては異なる展開を想うのもまた、愉しいものでもあり残酷なことかもしれないのです。

 弁当・握り鮨を作って届けると、お局さまがおいでになって、何時もお裾分けを頂いていますとのこと。そう思って多めに持参しているが、口に合うかは微妙な処ですね。本音を申せば作ることは苦手で、片付けや掃除洗濯の家事は、工夫したりで得意なのだが、食事はこれまでに散々嫌味や不味いと言われ、気力が失せてきていた。でも誰かの為と思えばやる気も。

 テイカカズラが崖に垂れ下がっていたり、木に絡まって白い雲のように咲いているが、デジカメで撮るのが至難の業である。望遠があればアングルも良く撮れそう。何しろ近づくと高いし、遠くからだと小さくなる。尤も、この時期に何が何処に咲いているか、無関心な者が多く、車なら尚更スピードを上げ追い越す。時速50kmでのんびりでは嫌がらせのようだ。

 それも沢田研二さんのCDを、ボリュームを上げて聴きながらの運転である。運転と景色を見ているのも結構気を使う。自宅では読書もしなければならず、本日は昼寝をしておいて、夕方からの来客を待つ予定だ。流れ星は観えるか未定だが、旧暦の七夕なので声をかけたもの。来客者は夜勤明けなので、帰宅後昼寝をしてのことだろう。蒲団も枕も風に当てているよ。

 枇杷葉茶の飲用には、実に様々な効果があるが、脳への血管障害を除けてくれるのは明らか。血管が次第に細くなるのを防ぎ、汚れた官を綺麗に掃除してくれる。それが分かるのは、肌のクスミが消えていくからで、艶は無論の事、紙魚や雀斑等の気になる状態が改善される。肌が白くなるのではなく、陰りがなくなり表情が冴える。身体の中から改善したいもの。

 枇杷苗がすくすくと育っているのがうれしい。年金暮らしになったので、苗を無料で分けれるが、遠くの方には取りにおいでもらうか、送料負担をお願いしたい。隔月支給であり、これが2ヶ月間の金額なのが腹立たしいのだ。働いた年間にも依るらしいが、切り詰めて遣り繰りしないと足が出る。食事の管理をきちんとしないと、腐らせるのも棄てたりもできない。

 フェンスに絡ませてのアーチを作りたかったが、何故か一年後に枯れてしまった。挿し木にしたのは小振りになって咲く。

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