枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

衝撃・今昔

2020年08月24日 | Weblog
 今時のファン心理も、有名人に対しては然したる変化はないのだ。変わって来たのは支持する人等で、アランドロンやショーンコネリー、ザ・タイガースの面々やら、橋幸夫に至り、山口百恵まで多々なる芸能人。一番ショックだったのが沢田研二さんで、清水の舞台から投げられた衝撃。誰しも一般人であるから、どんなに想いをかけても適う筈もない。

 住む世界が違うと言えばそうだし、どんな人にも好みがあるし、チャンスや運命もある気がする。唯、そういった出遭いをどんな風に構築して、生活を築くかはそれぞれに異なるだろう。芸能界に居る人も元は一般人であったろうし、見出されたかチャレンジしたかで成った結果だ。そういった事にも向き不向きがあろうし、才能の開花にも左右されよう。

 だが所詮は他人の事である。隣の芝生は青いというが、詮索しても自分のことにはならないから、それはそれでいいんじゃないの?エデプスの恋人にはなれない。自分のことを好きでいて、他人の幸せをよろこべる人にはなれるので。自由と平等の中での、様々な想いの決断に拍手したい。朝顔の澄んだ赤い色が咲き誇っている。百日紅も満開になってる。

 昼が来る前に、コンビニ・銀行と本屋・役場と出かけるが、マスクを付けると暑さが増す。明日は手巻き寿しをするので胡瓜を求め、久々にスーパーに寄った。消費税分も含む金額にため息が…、消費は底冷えと言うがレタスが350円では誰も買わないよ。胡瓜も萎びているし鮮度も悪いのだが、何も真っ直ぐでなくていいからと思う。曲がってても胡瓜。

 Aさんちに寄って水を分けて貰い帰宅する。すばるの姿が見えないと思ったら箪笥の上だった。昨夜は夜中にドンガラガッシャンと、俄かに天が荒れ狂いだして雨も湿りくらいあった。雷さまも出番が少なかったので、残りを暴れていたいのは分るが、雨が待たれているのも切実。すばるは雷に怯えて膝に丸まる。大音響の演奏にびびりつつ抱っこしていた。

 明日は、旧暦での七夕さま。この時期になると天は晴れて来るし、大気も澄み始めるが台風はどうかな?昨夜は、多少観られたものの雲が広がっていた。誰に咎められることでも無しと出ているが、宇宙を眺められる幸せに感謝する。沖縄への辺野古工事は、そこにある生態系を壊して、元に戻らない海にしてしまうの。モーリシャスも沖縄も同じです。

 地球は誰の物でもないのです。資源が見つかって儲けを得ようとするが、資金に物を言わせて買収して売りつけても、地球の怒りには想いを馳せない。環境破壊をしているのは人類であり、生活できないという状況を作っているのも人類です。命があって暮らしの営みをするのは、人間だけではありません。させて貰っていることへの感謝も忘れないで。

 すばるがまだ小さかった時、膝に飛び移るのも、下りるのも出来ないと啼いてしまう。やんちゃくちゃ坊主だがビビリ。

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