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二十四節気 処暑 旺盛な太陽も、次第に衰え、暑熱も退く。という意で、処暑と言い、天地清く爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃である。初秋とは言えども、梅雨時の長雨に寒さを覚え、明ければ短い夏を取り返せんとばかりの暑さ。身体がもたないうえに、コロナでのマスク着用では、何処にも行かぬのが一番と引篭もる有り様。外出も短時間にして。
24時間テレビは嫌いだ。テレビがなく勤務も辞めたので観ることもないが、やらせは無論の事、取材して放送することに違和感を抱くのだ。平常者とは何だろう?障害を持っていることの何が問題?普通であることの何がどうなのか?そういった者は、昔から産まれていたし生きても来た。健常者がそういう人達に対して、生き難いように生活形態をしている。
苛め・虐め。どちらも自分とは違うことを嫌っての排斥でもある。人間は等しく同じと言うが、何を以ってのことだろう。実るほど頭が下がる稲穂かな、と謂うのにも、謙虚さや慎みがあっての事、自分程素晴らしいとか偉いのだと上から目線では出来ない。やさしさはなんだろう?自分に対しての厳しさでもあり、同じ人間として、困っていれば援けの行動に。
介護施設でのコロナ対応には、個々の症状に大きな差があって、マスクは渡しても部屋に持って行って隠したりする、挙句には水道で洗い始める方も居て、どんなに言葉を尽くしても、繰り返して装着しても無駄だった。風邪を引いとらん、病気じゃないと拒絶する。昔人間であれば尚更で、職員の気づかぬ内に、大量のマスクが消える事態になり混乱を極めた。
職員の感染対処を幾ら厳しくしても、密着状態は避けられないし、介助が仕事内容の大幅を含むのだ。無理としか言いようがない。ああいったことが言えるのは、現場を知らないで綺麗ごとばかりでの視察だ。自分の親であれば面倒見れば良いじゃない。と憤りさえ感じてしまう。体力気力は無論の事で、精神的な自分を保つのも、並み大抵な事ではない実情がある。
政府主体の施策での介護保険導入にも、個人の意思の尊重をしてであって欲しかった。住所がなかったり、路上での生活であれば適用されない。自由で平等とは名ばかりの民主主義、椅子に座ってだけの在位を幾ら延長しても、施策の中身は何もなくでは辞めてもらいたい。働いても辛抱してもドン底からは抜け出せない。かと言って死ぬこともできないのでは。
台風が接近している模様。湿った空気が広がっているが、雨はさっぱりなのも…。昨日、一昨昨日と雷鳴はあるものの、夕立は馬の背を分けるというのか降ってはくれない。水遣りをするものの、天水の威力には及ばず天を見上げるばかりだ。すばるのトイレを換える。飼い主が何時頃換えてくれるか、時には催促もして待っている。箱の汚れや中味を入れ換えて。
飼い主の行動を熟知するのも、慣れてきてのことにもなるが、初対面というか知らない人や苦手な者には近づかない。一体何処に隠れるのか素早い。最近は、寝室にある衣装の向こうや箪笥の上、出窓のカーテンの端に身を伏せて動かない。今は、腹も充分になり傍で昼寝をしている。冷房の温度は29℃なので心地好いのか。夜間には30℃にして眠るが寒いよ。
サンタ枇杷葉の近くに植えている。毎年、剪定をしているが忘れずに繁って来る。ドクダミが根元に広がっていて押され気味。
24時間テレビは嫌いだ。テレビがなく勤務も辞めたので観ることもないが、やらせは無論の事、取材して放送することに違和感を抱くのだ。平常者とは何だろう?障害を持っていることの何が問題?普通であることの何がどうなのか?そういった者は、昔から産まれていたし生きても来た。健常者がそういう人達に対して、生き難いように生活形態をしている。
苛め・虐め。どちらも自分とは違うことを嫌っての排斥でもある。人間は等しく同じと言うが、何を以ってのことだろう。実るほど頭が下がる稲穂かな、と謂うのにも、謙虚さや慎みがあっての事、自分程素晴らしいとか偉いのだと上から目線では出来ない。やさしさはなんだろう?自分に対しての厳しさでもあり、同じ人間として、困っていれば援けの行動に。
介護施設でのコロナ対応には、個々の症状に大きな差があって、マスクは渡しても部屋に持って行って隠したりする、挙句には水道で洗い始める方も居て、どんなに言葉を尽くしても、繰り返して装着しても無駄だった。風邪を引いとらん、病気じゃないと拒絶する。昔人間であれば尚更で、職員の気づかぬ内に、大量のマスクが消える事態になり混乱を極めた。
職員の感染対処を幾ら厳しくしても、密着状態は避けられないし、介助が仕事内容の大幅を含むのだ。無理としか言いようがない。ああいったことが言えるのは、現場を知らないで綺麗ごとばかりでの視察だ。自分の親であれば面倒見れば良いじゃない。と憤りさえ感じてしまう。体力気力は無論の事で、精神的な自分を保つのも、並み大抵な事ではない実情がある。
政府主体の施策での介護保険導入にも、個人の意思の尊重をしてであって欲しかった。住所がなかったり、路上での生活であれば適用されない。自由で平等とは名ばかりの民主主義、椅子に座ってだけの在位を幾ら延長しても、施策の中身は何もなくでは辞めてもらいたい。働いても辛抱してもドン底からは抜け出せない。かと言って死ぬこともできないのでは。
台風が接近している模様。湿った空気が広がっているが、雨はさっぱりなのも…。昨日、一昨昨日と雷鳴はあるものの、夕立は馬の背を分けるというのか降ってはくれない。水遣りをするものの、天水の威力には及ばず天を見上げるばかりだ。すばるのトイレを換える。飼い主が何時頃換えてくれるか、時には催促もして待っている。箱の汚れや中味を入れ換えて。
飼い主の行動を熟知するのも、慣れてきてのことにもなるが、初対面というか知らない人や苦手な者には近づかない。一体何処に隠れるのか素早い。最近は、寝室にある衣装の向こうや箪笥の上、出窓のカーテンの端に身を伏せて動かない。今は、腹も充分になり傍で昼寝をしている。冷房の温度は29℃なので心地好いのか。夜間には30℃にして眠るが寒いよ。
サンタ枇杷葉の近くに植えている。毎年、剪定をしているが忘れずに繁って来る。ドクダミが根元に広がっていて押され気味。
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