枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

初夏の枇杷

2008年08月21日 | Weblog
 五月晴れの空の下、枝の先の花芽が随分と大きくなったと見れば、すでに小指大になっている。
 枇杷の実の一粒を大きくしようと幾つか落とす。が、思い直してそのままにしておく。

 枇杷狩りを楽しみにしているであろう、孫達の姿が視えて、小さくともおいしいのを食べさせてやりたかった。
 自然に任すことは、人間の知識を遥かに超えたもので、原点であるはずだ。
 水遣りと、有機肥料を与えて、その後の成長を見ることにした。

 実家の近くの薔薇園に行く途中、枇杷の養生所があったり、田畑に植えてあったりするのが見える。
 今まで、興味がなかった時には、気づかなかった枇杷の木が至る箇所にあるのがわかる。
 人間の身勝手さで、自然を利用していることになんだかすまない気がする。

 枇杷は、枇杷葉として、祖母がしていたのは、お茶である。
 藪に自生している枇杷の葉を、包丁か、牛の餌に使う押切という道具で切っていた。

 薬缶に井戸水を汲んで、火を熾して七輪で沸かす。
 お茶じたいが自家製であったから、枇杷茶という感覚はなかった。
 祖母のしていたことを朧だが覚えているに過ぎない。

 また、焼酎に漬け込んだ葉やエキスは、医者にかかるまでの処置に用いていたように思う。
 怪我にしろ、なんにしろ、当時は1時間以上の距離である。

 祖母は、漢方に詳しく、経験と工夫とでしていかなければ、生活が立ち行かなかった。祖母のしていた事は、母に受け継がれ、自分も思いだしながらしているのに苦笑する。

 今は、調べるのにネットがある。
 それでも、各々の先祖の知恵や経験がそこに記載されているのは否めない。

 今年、初めて成った赤枇杷の実は、東側の川沿いに地植でしていたのだが、丈だけ伸びていっこうに花がつかないでいた。
 淡路で聴いてきた糠を入れて花芽がついたのだ。
 これだけ7月まで、袋かけをして採った。今までで最高の味であった。♪

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