枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

大寒、枇杷葉を剪定す。

2015年01月21日 | Weblog

 緩やかな陽射しに、ゆっくり目覚める。さて、大寒でもあるし、剪定をしよう。と朝食後、取り掛かる。東側のを大きく伐りこみ、長崎茂木は、伸びた枝を切った。花芽が付いているが仕方がない。庭の月桂樹や、百日紅、梅も蕾のない枝を伐る。

 枇杷葉は、お茶にするので、葉だけを離す。新聞を広げて乗せる。枝は、燃やせないので、取敢えずは外に置いておく。図書館、コンビニ、青空市と本屋を周り、帰路に燃料を補給しておく。おおっ!価格が極端に下がっているのにびっくりする。

 帰宅して、炊いておいたご飯を酢飯にする。菜の花寿しを作る。材料は、海老、牛蒡、蓮根、蒲鉾、竹輪に漬物。むろん金糸卵も。出来上がって、あまりの豪華さに顔が綻ぶ。上司の子どもさんとの約束なので、連絡して職場まで持って行く。

 その帰りを、Aさん家に寄り、何時もの如く、水を分けて戴く。寒中の水は、腐りも無く円やかで美味しい。こんな寒露な水を飲めることもうれしい。病気も逃げていく勢いだろう。旧暦の師走と新暦の12月の違いの話をして、やっと納得してもらう。

 近年のカレンダーの記述が、そもそも間違っている。1月 JUN 睦月とあるが、本来は師走が正しい。新旧暦を混ぜるよりはいいか、その記述を明記するのが親切か?一般には、そこまで詳しく知っても、使い方が解からないのが現状かもね。

 山の木を伐るのも、火入れをするのも、田畑を耕すのも、農時期では旧暦を用いる。所謂、季節の取り決めが其々にあり、異なったことを行うと、作物が取れなかったり、災害が長引くもの。自然の恩恵をもらうには、その取り決めを知っておくべき。

 戦争へと突っ走ることへの警告は、武力でも金銭でもない、と言うが、人質を取られてはどうするのか。卑怯極まる行為だが、べらぼうな金額には唖然とする。政治の中枢には、金銭感覚がないのか。テロに屈するのも腹立たしいが、命は一つだ。

 昨夏の胡瓜。花は、次々に咲くが、一向に結実しない。買った苗が悪かったの?今年は、種を蒔くか。

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大寒、師走、朔・大潮

2015年01月20日 | Weblog

 大寒 二十四節気の中でも、一番寒い日のこと。万物を凍らせる、と言われるほど、厳しい寒さを迎えるので、大寒と言う。毎年一月二十日頃である。陽射しは弱く、風も穏やかではあるが、一向に気温が上がらない。読み物もなく、手持ち無沙汰だ。

 友人に連絡すると滞在で、我が家を訪問してもいい、と言うので、珈琲の豆を挽いて待つこと暫し。やって来た友人と淹れた珈琲を飲み、枇杷談義に講ずる。人間とは勝手な者で、こちらが幾ら真剣に話しても、何かの犠牲を払わないと納得しない。

 友人の場合は、母親の膝痛だったらしいが、焼酎に漬けた枇杷葉を、膝に当ててみたらと薦めたらしい。その効き目に家族は驚き、信じてしまったと言う。その時点で、枇杷葉の威力に眼を瞠ったとも。どういった方法にせよ、実行することに尽きるが。

 同じ職場で働いていた時には、特に親しくしていた訳でもない。どちらかと言うと一人で過す方が性に合っていて、つるんでいたりの集団が苦手である。来る者は拒まずだが、極力近づかない。辞めてからの付き合いは、時間的な余裕でやり易いもの。

 従って、枇杷葉の薬効を耳蛸にして話したが、全く気乗りではなかった友人だ。母親で確信して飲み始めたが、枇杷葉茶は合わない。と直ぐ止めた。枇杷葉酒を匙1杯、珈琲に入れて飲むのはできるらしいが。種を挽いて飲んでみたらと言っておいた。

 枇杷葉茶の効き目には、体臭を消し、利尿作用をもたらし、記憶力を増す。血管の通りを良くもする。体の中から冷えないように働きかけ、老廃物をきちんと排出し、抗体や免疫を援けるようだ。この時期の生葉を採って刻み、天日干しにするのも大事だ。

 焼酎に漬けるには、必ず35℃以上を用い、2ℓに対して30枚が目安。枇杷葉は、硬くてごわごわのを使うこと。葉先と軸は切り、果実瓶に漬け込む。3ヶ月経てば使える。エキスは、切り傷・擦り傷・捻挫・浮腫み・炎症・火傷等、殆んどの症状に効果が。

 枇杷葉は、自然からの贈り物だが、命の元になる働きも大きい。不妊治療にも佳いかもしれない。但し、そういったエネルギーをもらっている者は少なく限られる。人間の寿命を延ばすことはできないが、奇跡は起きる。信じることの可能性も大きくなる。

 生活は貧しくても、心は否だが、何かと言えば病院を頼る。然し、昨今の医者は自分で診ない。機械の性能に任せて、パソコンの操作だけだ。患者本位に立った、親身さが甚だ低下している。それくらいなら、自然療法のやり方が、有効な場合もあろう。

 道端のねじ花の群生。我が家に植えてあったねじ花が、何時しか風で飛んで根付いたらしい。毎年、姿を見せるようになった。

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継続は力成り・・・

2015年01月19日 | Weblog

 四季折々の行事は元より、伝統を受け継ぐことの難しさに、後継者の減少、じっくり取り組む作業への愛着が薄くなってきている。庶民の家々にある、漬物や食物の保存法等、昔は個々に違っていた。家屋の建ち方や、風向きもあった。

 薪を積んで置く場所、稲作の備品。藁を保存する納屋に、縄綯い機や筵、菰等を仕舞っておいたりした。何故、そこに置いておくのかは、傷みや腐りを防いでいた。子どもの頃には、祖母のしている意味がわからず、遊びの道具だった。

 叱られましたよ。苦労と言うか、苦心惨憺しなければ仕上がらない大切な農具を、遊びに使ったんですから。祖母の傍にくっついていると、そういった作業の大変さが、眼に見えてわかるのだが、自分で作れない物には関心が薄いもの。

 大寒に入ると、山際に近い田の小川に出かけて、蜆を掘って取る。寒蜆は、滋養と効能が佳いので、冷たい水に長靴を履いて入り、粒の大きいのを選ぶ。時折、黄蜆が混ざっていたりで、祖母の顔が綻ぶ。砂が口に残るので厭だった。

 柿も、西条や富有を植えており、枝にたわわに生るのが自慢だった。これも、毎日では飽きてしまうが、蜜柑や林檎は、お正月だけだった。だからこそ、大切に戴く心があったのだ。この頃は程ほどにあればいい、と思うようになり買わない。

 旬の頃に戴き、年中店頭に並ぶ物には、興味が失せる。夏の野菜は、その時期にだけ、腹八分にしておく。自分の口に入らなくても、命を取られる訳でなし。贅沢を言えば限がなく、我儘ばかり言ってはおれない。緊急時の対応を心がける。

 明日は新月なので、Aさん家に寄る。お好み焼きをご馳走になる。12月の枇杷葉が佳い。と言うのは、旧暦でのことだが、そこまで考える人は少ない。即ち師走という表現でも、同じに思うだろう。尤も、枇杷葉は1年中、何時でも採れる。

 ゆりかごのうたを口ずさみながら、夜の庭に下りてみた。4番は、夕方の暮れゆく情景だが、夏の月も美しい。

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旧暦では、師走が・・・

2015年01月18日 | Weblog

 年賀状の、当選番号が発表されたようだが、最近は楽しみが減った。切手シートの図案にも、其々の等にも、もらってうれしい、当ってよかった感があった。この頃では、だからどうなの?と言う商品が多い。従って、当らなくても困らない。

 期限無しの旅行券、商品券はありきたりだし、全国の特産品も、実際に送られてくるまでは疑わしい。1年間、税金納入が無料(低所得者)とか、各施設への入場が待たなくても好いとか。ふなっしーとの共演ができるってな企画が・・・。

 中村玉緒さんとさんまの企画に、何でも叶えたろ、というのがあったが、ああいうのって、その日だけのことなのか?テレビ局の陰謀で、謂わば視聴者への宣伝もあろう。薪ストーブの家に住み、自家発電で、自然との暮らしができれば。

 こういう暮らしを持続するためには、資金が必要だし土地も要る。我が家では、薪ストーブを焚こうにも、山もなければ場所もない。木は植えて育てなければならず、手入れをちゃんとしていかなければ意味が無い。家族の協力も必要だ。

 新しい物、きれいで簡単な物には、便利なことの他に、修理が利かない。働けば収入を得られるが、賃金は安価である。忙しいとは、心を亡くすと書き、殺伐とした世の中を創っていく。子どもの躾はおろか、思考することも放棄していく。

 蒔いていた大豆の収穫をしていたが、中々片付ができなかった。ようやく処理する。一握りの大豆だが、枝豆で口にしてもいるので納得。祖母や母が、あくせく働いて得ていたことを思い出す。農業も様変わりしたが、現状は厳しいのだ。

 枇杷葉茶を飲んでいるから、健康を保てているが、つい年齢を忘れてしまう。尤も介護の仕事は、最終的には看取りであり、認知症も進む相手とどう向き合っていくかだが、排泄や入浴介助は外せない。自分の想いとは裏腹に激務増す。

 寄る年波には勝てない。と言うがその通りだ。技術があっても、体力がなければ倒れてしまう。次から次へと迫ってくる業務に抹殺され、頭脳編での勝負が必要と思い知る。認知症とは言え、人間であることも難しくさせる。倫理論である。

 ねじ花。買って植えているのが、やっと咲いた。昔は、何処にでもねじ花の群生があった。可憐な姿に、古里への想いがつのる。

 

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霜月、阪神淡路震災20年・・・

2015年01月17日 | Weblog

 この時、直下型の地震だと、気づいた人はいなかっただろう。早朝の靄を破る、大きな揺れに誰もが我を失った。地面は裂け、火災が起き、建物が倒壊した。一瞬にして失われた命に、涙も出なかった家族の想い。自然災害は善人も悪人も区別しない。

 目覚ましい復興で、表面的には元に戻ったかに見える。然し、人々の心の襞までは視えない。これは自然災害であるが、人間のもたらす科学が、機能的で住み良く整理した結果だ。この場所に原発がなかったから、これ以上の犠牲は防ぐことができた。

 川内原発を再稼動すれば、何が起きるかを考えたことはないのか?青森の六ヶ所村の、プルトニュームの保管も、量に限度がある。原発を動かせば、金が入るので、自民党は躍起になっている。自分たちの懐が潤うだけで、庶民には利害は無関係だ。

 九州全土は汚染され、日本海側も避けられない。桜島が活発になっている最中に、どうしたら再稼動へと舵が切れるのか。原発に頼らない暮らしを、本気で考えていかないと、子孫への付けは大きくなる一方だ。福島の被害さえ間々ならず復興は遠い。

 今朝は、天気が良かったのが、洗濯物を干す頃に雲が広がる。急に耳が痒くなり、慌てて布団を仕舞う。その直後にわか雨に見舞われる。阪神淡路大震災の、多くの犠牲者の涙かも、と空を見上げた。既に、二十年が経ったことにも哀しみが深くなる。

 友人が、店で買ったケーキを手に訪れる。豆を挽いて珈琲を淹れる。寒中の作業を着々とこなしているようだ。枇杷葉の生葉を採って束子で洗い、干しているそうだ。何と律儀なことか。私など、洗わないままで焼酎に漬ける。葉先と軸を切っただけだ。

 枇杷葉の裏に付いている毛ばを洗わないと、被れたり痒みが生じるのだ。最初は痒みもあったが、最近は気にならない。寒中の作業では水洗いでいいが、他の季節には黴の原因になる。焼酎で洗うか拭くのがいい。節分までの時期に、行っておくこと。

 白いカラー。花束でもらいたいものの一つ。すっくりとした立ち姿が美しい。他所の庭先に咲いていると、迷わず車を停めてしまう。

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珈琲の飲みかた・・・

2015年01月16日 | Weblog

 以前は、インスタントが当たり前であった。ここ数年は、無農薬の珈琲を、注文して淹れる。事の発端はリエさんが、上京した際の土産に持たせてくれたことに始まる。砂糖はおろか、ミルクも入れない。味と香りが抜群にいい。以来、病み付きになる。

 サンタさんは、無農薬の珈琲を扱っている。東京近辺を注文に応じて、配達して回る。こちらの都合から、送料込みで送ってもらう。スーパーでの200gが¥198の価格では、インスタントの方が益しかも。そういう安価では、胃痛が起き砂糖も要る。

 本来は、豆を買って陶器で焙煎し、ミルで挽いて淹れたい。小川珈琲のは、炒った豆であるので、自宅で気分に依って淹れる。主に、友人が来た時にしている。殆んどがブレンドしてあり、自分ですることはないが、単品でもわかるようになりたいものだ。

 珈琲も紅茶も、日本茶にしても、湯温で味や香りが左右されるし、淹れ方にも因る。お茶汲みのテクニックは奥が深い。一服の、或いは一杯の気遣いで、時間を共有できる幸せを感じたいもの。そういう心が伝わるように、珈琲を淹れていきたく想う。

 枇杷葉茶にしても、先ずは丹精込めた葉を選び、寒中に収穫して刻んで乾燥する。何時でも何でも好いには違いないが、ちょっとした配慮で味や色、効果にも差が出る。自然からの恩恵を分けて戴き、そのエネルギーで援けてもらうことに感謝したい。

 我が家の枇杷葉は、そういった想いで採って、大切な人に送っている。何処がどう違うのか、証明もできないし根拠もないが、受け取った方の思いで、効果が異なってくる。我が家の庭に枇杷葉が育っているのも、神のご加護かもと、日々宇宙に祈る。

 リエさんからの猫の時計、kazu君からのふなっしーのコイン入れ。ネット通販で買ったデズニーのキャラクター。黒猫のぬいぐるみとキューピー。

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霜月、小正月

2015年01月15日 | Weblog

 小豆粥を戴くのは、餅に飽きてきた頃で、胃腸の弱りを治す働きがある。粥には、胃膜の爛れを和らげるのと、少しばかり気持ちの切り替えを行う、役目がある。正月気分は程々に、そろそろ平常の生活に戻る区切りだ。そのための成人式でもあった。

 寒中の作業に、凍み餅・氷餅作りがある。餅つきは同じ手順だが、砂糖を入れて搗く。一晩筵に広げて乾燥させ、大きな庖丁で小さく切っていく。これに普通の庖丁で切り目を入れて、様々な形に仕上げる。食べるのが、もったいないような花餅である。

 氷餅は、長方形の形で、トランプの大きさだ。乾燥してから炭火で焼くか、油で揚げるかする。子どもの頃には専ら、風呂の焚口で焼いていた。熱々を吹きながら齧るのが、たまらなく美味しかった。風呂は電気なので、情緒が無い。止む無くストーブで。

 一日、雨の降る天気だった。久々のまとまった雨だが、東北地方は豪雪とか。家が雪で埋まっているのに、びっくりした。宮沢賢治の童話に、月夜の電信柱があるが、キックキック・トントン、という表現がどうにもわからない。雪の岩手を想像するばかり。

 新美南吉の、てぶくろをかいに。おててがチンチンする、という件に納得。こんな手袋屋さんがあったら、小きつねでなくたって買いに行く。仕事を辞めたら、小物を縫ったり、編んだりしよう。材料はたっぷりある。木漏れ日の差す庭で、枇杷葉に囲まれて。

 そうそう。枇杷葉ローションの優れたところは、潤いが持続すること。かさつきや肌の荒れがないことだろう。手の平を当てると、吸い付いてくる。やわらかくふわふわである。仕上げのファンデーションが小豆大なのも経済的。丸っきりの自然物がいい。

 昨年、貯金箱を割ったので、新たに始めている。塵も積もれば山となる、とせっせと入れているがさて。毎月、確実に貯金するのと、どっちがいいかな?税務署が調査するし、税金ばかり取られる。ガソリンが値下げしているって、あんまり感じないねぇ。

 西瓜。ピンポン玉大である。下に敷いているのは、枇杷にかける袋。祖母のしていたことを思い出し、懐かしくもあった。

 

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手荒れの原因・・・

2015年01月14日 | Weblog

 どんなに柚エキスを塗っても、紙手拭に触らない訳にもいかず、洗濯物の洗剤も、干したり取り入れたりで、どうしても手に触れる。入浴介助も同じだし、そこで働いている以上は、関わらないことは皆無だ。一晩で無に返る。介護の仕事は侮れない。

 かといって、手袋をしてやれば、とも思うが、滑る危険が伴う。排泄時には、特に注意を要することになり、却ってめんどくさい。家でなら、何もしないで居られるが、介護の仕事は食事、移乗に排泄、入浴と何れも手を使うのだ。辞めるか、耐えるかだ。

 化粧品も、界面活性剤が厭で、自分で作っているが、自然の物には不純物が混入していないだけ、被害も少ない。枇杷葉ローションには、美白効果もあるのが有難い。これにして10年経過したが、トラブルは一切なく、角質は剥れ滲みも雀斑も消滅。

 N社のファンデーションも、価格としては高いが、使用年数と、1回の使用量を計算すると、格段に安くなる。普段使いのは、¥1,000位のを使っている。勤務先で、素顔では失礼になるかと塗るが、途中で直さない。めんどくさいのと、肌のためでもある。

 年齢を重ねると、身だしなみが無頓着になると言うが、お洒落な方は自分のスタイルを壊さない。そうでなく、他人の真似をしていると、似合わないことで挫折する。自分の欠点をカバーし、似合う色の配分を、上手く使うと、肌も綺麗だし、姿勢も保てる。

 化粧はその次で、肌の健康状況を維持でき、何気ないことに気づき、基本の手入れを欠かさないこと。それには貪欲なほどの、学ぶ姿勢だろう。生きる程に、知らないことが増えていく。おや?どうしてなの?おかしい?何故。と言う想いかもしれない・・・。

 今年の目標も、そういった探究心を、持ち続けること。また、書籍に親しみ、世界名作を読破し、文字の持つ魅力に迫りたい。原発の再稼動に反対することも、憲法の改正や、言論の自由にも注目したい。自民党の独裁政治には、戦争に突っ走る危惧が。

 りささん枇杷葉。苗で育って何年きたかな?品種は、不明です。長崎茂木の気がするが、田中だったかも。

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霜月、下弦・小潮

2015年01月13日 | Weblog

 昨夜は、比較的早く寝たのに、体が言うことを効かない。意を決して起きたのが、AM9時を可なり回っていた。曇り空であるので、洗濯だけを干す。遅い朝食・昼食を口にしていたら、宅配が届く。通販への注文品だ。新聞を広げて、ゆっくり眼を通す。

 正午を過ぎた頃から天気が回復する。然し、これから布団は干せない。柚エキスを指に塗ったのが意外と効く。職場から、繕い物を持って帰っていたのをする。縫い目が取れているだけなので、針と糸で直る。最近は穴が開くことが少なくもったいない。

 夕方には、外部研修があるので、早めにAさん家に寄り、用事を済ませてから出席しよう。明日の弁当のおかずも、ストーブにかけておく。シクラメンの水量を確認し、窓拭きやら片付けもしておく。掃除は、雑巾掛けだけ。寒いので、横着を決め込む。

 柚エキスの効力には、ちょっとばかり驚いた。メンタムも白色ワセリンも、トフメルでさえ傷口が塞がらなかったのに、数回で完治した。柚の種と一緒に、房の滑りがいいようだ。風呂にも入れたが、枇杷湯でつるつるなのに、更に滑々となった。塩も佳い。

 自然の物には、人間の持っている、治癒能力を促し、抗体や免疫に補足するエネルギーが充ちている。然しそれらには、化学と言う代物には、為り得ない元素が含まれる。従って、遺伝子への影響には隔たりがあるのだ。個人的な効き目しかないか。

 人間は、神の領域には踏み込まない配慮と、自然への畏怖を忘れてはならない。恩恵を感謝し、戴くことを祈る想いには、無償で与えてくれる筈だ。利益に結びつくことや、儲けにしか思えない人等には、手酷い仕返しをもたらすのではないだろうか?

 幸せという想いには、姿も形も無い。生きている実感も、死に直面しなければ理解できないかもしれない。臨死体験をすると、命のありがたみを切に感じる。生かされていることへの、無償の愛には神の意思を想う。だが人間の命は、必ず尽きるもの。

 盛夏。白い花に寄せる想いが、一面の花に変わる。緑と白、赤のコントラストが美しい、我が家の庭。

 

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成人の日

2015年01月12日 | Weblog

 晴れがましい日である。然し、一人で育ったのではない。親も居れば、家族や友人もいる。自分との様々な関わりがあり、想いがあり、この日までの命もある。親もまた、感無量の気持ちにもなる。振袖や袴を着なくても、大人になっていく自覚が必要。

 神戸の震災から、早や20年が経過する。小さな命が消えたことに、痛恨の極みがある。親は子を想い、子は親を偲ぶ。戻れるなら、今直ぐにも還りたい。誰しも元の生活になって、家族と供に暮らしたい。時は、歩みを止めないし、そこには往けない。

 この先も、地震の被害、津波が押し寄せる災害は続くだろう。人間への警告を無視することなく、自然からの声に耳を傾けよう。文明の発達には、人類の驕りが付く。謙虚であり、宇宙からのメッセージを見逃さないこと。神の領域に、踏み込まぬこと。

 柚のエキスで、指を擦っていたら、先ず先ずの治りになってきた。洗剤の被害が、ここまで酷いとは思えず、紙の手拭等を使っていた。ここ数日手拭のタオルを持参、洗剤を使った後は小まめに柚エキスを塗ることにしたら、やっと改善に兆しが出た。

 冷え性なので、手が冷たい。柚エキスを塗って両手を擦り合わせていたら、手の平が熱くなってきた。触ると火が揺らめいているようで、びっくりされた。何故かはわからないが、交差すると更に熱くなる。炬燵のようだ、と言われてしまった。人間炬燵?

 帰宅して、愛車を停め玄関までを数歩歩く。枇杷葉の花芽の匂いが、ふんわりとしてくる。これは白枇杷だ。9年きっちりで生りだした。りささんのも、リエさんのも今年は、花芽が咲くかなぁ。サンタ枇杷葉は、品種は田中。雪が多いと枯れてしまうのよ。

 サンタ枇杷葉と、りささん枇杷葉の間に、夏の間だけ出して置く。ランタナやベゴニアが咲き誇る。

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