枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷葉の実、収穫

2018年06月19日 | Weblog

 午前中に何とか取り終えて、箱詰めをしていたら、ポツンと天から雫が落ちた。雨になってしまった。本日の送る予定は、リエさんの勤務先と、りささんに。丁度良い熟れ具合で、袋の上から野鳥に食べられている。我が家のは、無農薬でもあり、美味しさが違うからと、妙に納得してしまう。

 午後に荷物を持って、宅配所に行く。箱が小さくても、値段が上がっているので、送料代にたまげる。お礼の程はいいですから、種を捨てないで、ローションにしてください。この種が貴重なんですよ。わたくし等食べるのをじっと待っていますよ。もったいないこと、この上なきことですよ。

 帰宅して暫くしたら携帯が鳴り、今月で勤務先を辞めた者が着いたらしい。途中まで迎えに行って、連れ帰る。2時間ばかり、珈琲を飲みながら喋り、再び送って行った。生活が苦しくて介護の仕事は辞めたが、遊びには来たいと言うので、我が家で良ければ何時でも。と、返事をしておいた。

 くしゃみが連続で出る。昨日の落語の時、冷房が効き過ぎていたようで、風邪には至らないが、調子が悪い。加えて、地震の影響からか、雨になって冷え込んでいる。湿度は高くて不快指数は大きい。連休の明けは、三連勤になるが、身体が持つだろうか案じている。地震の揺れは大きかった。

 枇杷葉は、南側の初生りも、長崎茂木も、リエさんのも収穫した。フェンスの場所のも少し採ってみたが、意外に美味しかった。白枇杷は未だ見ていない。送る予定にしていた方には、これで済ませたが、お礼を貰うのが怖い。我が家に植えて、勝手に名前をつけて、育てているだけなんだがな。

 一年間世話をして、この時期の収穫を迎えるが、心をかける以外のことはしていないのに、甘くて瑞々しい実が熟れるのが、愉しくて止められない。生葉も採って漬けたり、用いたりの日々だが、何とよく援けてくれるのか、と感謝に堪えない。人間の勝手都合を、聴いてくれるあり難さである。

 すばるが安心しきって伸びている。留守には淋しく、お客さんには遠慮している。1年が経って、すばるの居ない暮らしは、想像し難くなった。暑さに伸びて、蒲団の傍には来ないが、後を追って来るのはいじらしい。キャットフードにも慣れたが、時にはパンもせがむのが、可愛いものである。

 木香バラも、一時期には換気扇を這って登ってきた。屋敷中を覆い尽くさせるのも夢だったが断念。

 

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旧・端午の節句

2018年06月18日 | Weblog

 菖蒲の新芽が長くなってきた。と感じる頃には、丁度端午の節句となる。季節は正しく周り、草花は決して忘れないものだ。今晩は菖蒲湯にして、香りを楽しもう。夏風邪を引き難くにもなるかしら?男の児の節句なのだが、店頭には置いていないだろう。知人との約束に、持って行こうかな。

 本日の予定では、桂文我さんの落語を、市内まで聴きに行くが、その前に、昔の知人に会う。どちらも枇杷を持って行くようにして、りささんのと暁子さんのを採る。これは丸い実で、房州枇杷だ。長崎茂木も入れておく。味はまずまずであろう。歪なのは送れないので試食してみると、甘い。

 リエさんからも、お礼の電話が入り、凄く甘かったとよろこんでもらえた。市販品の形のいいのは、甘くもなくてがっかりとのこと。まあ祝島のは、多少の外れはあるが、比較的甘い方だろう。糠と塩が程好く効いているのもあり、無農薬の拘りも大きい。何よりも自然からの恩恵があり難い。

 残るは、フェンスのと白枇杷で、後半の収穫になる。これは、中々熟れないのだ。サンタさんに送ったのは、淡路田中だが、今年は格別な大きさになった。加えて甘酸っぱいと思える。この味が好きで、丹精込めている割に個数が少ない。今年は剪定した方がいいかな?初生りも美味しかった。

 野鳥が啼き交しているが、我が家の味を占めているらしく、あらゆる物に群がる。ブルーベリー等、先ず熟れたのがない。無農薬の味に気づいたようだ。枇杷葉の実も袋の上から啄む。大きな穴が開いておりびっくりする。まあ、人間が全部を口には出来ないので、多少のことは言えないもの。

 すばるでさえ、枇杷葉茶を好むので、これは品質と水質にも依るが、我が家の枇杷葉茶は最高の味である。カルキの入った水道水等、口に出来ない。Aさんちの水を分けて貰えるからだ。自分が元気でいられることにも、Aさんご夫婦がおいでのことにも。居なくなれば無理と知っているので。

 風のよく通る日で、洗濯物の乾きも早い。出掛けるのに、衣類を見たらアイロン掛をしていなかった。慌てて遣ったが皺にもなる。片の痛みに我慢せず、枇杷葉の生葉を貼っていたのが効いた。然し、アイロンは手強い。コツがあるのですね。冷房から逃げるので、羽織物を忘れないように出す。

 昨年の枇杷葉の袋掛け。収穫は上出来で、たくさんの熟れた実が採れた。鈴生りにうれしかった。

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父のこと・・・

2018年06月17日 | Weblog

 子どもらしくない娘で、父が嫌いだった。父にとっては、初めての女の子で、対応の仕方が分らず、おろおろしていたものらしい。晩年の父は気の毒な程、気弱になって、妹を頼りにしていたようだ。兄は、長男でありながら家を出て、自分達の家族だけでの生活を選び、金だけの介護であった。

 この時期になると想いだすのは、我が家で生った枇杷の実を取り、実家まで持って行って食べさせたこと。甘い、美味しいと喜んで、持って行ったのを全部食べた。その後、田舎の雑貨屋に買いに行ったそうだが、同じ味のはなかったらしい。母も残念がって翌年、食べさせる心算であったが。

 どんな物にも命が宿り、心を籠めて作れば、その気持ちに応えてくれる。丹精籠めて育てて、花芽が咲き、結実すれば感激で胸が一杯になる。暁子さんのにしたのは、房州枇杷、毎年生るのは長崎茂木、サンタさんのは淡路田中だ。其々に大きさも、形も違い愉しいもの。リエさんのは茂木かな。

 白茂木もあるが、これは中々結実しないし、途中で枯れるか育たない。土肥の白枇杷が、我が家にあること自体奇跡で、花芽が付くとは思わなかった。本当にあり難い。自然からの恩恵を感謝して、宇宙に祈り、風や雲の様子に心を向ける。何が幸せかは誰にも分からないが、有りがたいことね。

 勤務先でも、次第に枇杷葉茶の愛用が増えているが、自分でするのと、人任せにするのでは意味が違うよ。我が家の枇杷葉の生葉を、料金も貰わずに上げているが、寒中に作っておきましょう。には誰かがしてくれるからでは、何も起こらない。めんどくささや、大儀であっても自分ですることだ。

 枇杷葉の樹も葉も、邪気を祓うが、自分の心掛けを清めないと、効果は覿面出てしまう。それは、これまでの己の生活にも依り、陽となるか、陰と出るかは決められない。我が家の屋敷の周りは、結界が張られていることがある。摩訶不思議な体験をするのも、宇宙の彼方と繋がっているのかもね。

 本日の介護業務は、メンバーにも依って、上出来の日だった。誰も文句を言わず、お互いが協力し合ってやり、無事に勤務を終えることができたのだ。出勤してきてから、私語ばかりの者も、業務を考えずにする者も居なかった。我儘を言わず、皆が的確に行動できたのはよろこばしい。充実の日。

 日本鈴蘭は、湿気や陽当たり状況で、中々育たないが、このドイツスズランは、旺盛な繁殖。

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老後の暮らしに・・・

2018年06月16日 | Weblog

 激務を終えて帰宅したら、役場からの通知で、介護保険料が上がる記載に驚く。何を根拠に、明日の生活への不安を抱えた者に、更なる非道な追い打ちをかけるのだろう。死ぬ時は、自分で責任を持ってするので、放っておいてくれ。介護の世話に等、誰がなるものかと腹立たしい。金だけ取るな。

 集団の場所に、のこのこ出掛けて行き、雀の学校や、メダカの教室等、断じてお断りだ。何が哀しくて、幼児の真似をしなきゃならん!老後は、自分のために愉しく暮らしたいもの。何を好き好んで出かけて行く必要がある。小さな親切かも知れないが、大きなお世話でしょう。野垂れ死にがまし。

 孤独死。と言うが、人間の末路は、大方が独りで死ぬのだ。産んではもらうが、誰も道ずれには出来ないのよ。死にたい者は、勝手に死ねばよいのを、誰彼なしに殺めるなんて、言語道断です。何を以って勇気と言うのか、命は何よりも重い筈が、自分さえ好ければの考え方だ。余りにも身勝手だ。

 謝罪と言うが、誰に何を謝っているのだろう。何かが起きても、釈明して記者会見を開いて、頭を下げればいい。というのでは、物事は収まらない。何がいけないのか、何故嘘をついてはいけないのかを、家庭や学校で教わらなかった結果だ。或いは自分勝手な解釈で、そのまま大きくなったか。

 JAとJRはよく似ている。昨日のことだが、塵袋を買いに行ったら、在庫がない。客は、何時いかなる時にも、必要であるから来るのだ。切らしています、では済まぬわ。知っている職員がいたので、お金を預けて、届き次第連絡して、と頼んでいた。夕方持って来てくれたが、対応した拙さを反省。

 客に対しての詫びには、在庫が本日の何時に届きますから、ということがほしい。代金を渡してのことなら尚更、配達の便で良ければ届けますでしょう。偶々、知った職員がいたから、事なきを得たが、子どもでなし、大人の応対を望みます。JAさん、職員の基本研修を行って。田舎の不便さ一考。

 職人気質、という人種は絶滅危惧になっているが、言葉の最低範囲でのことは言いましょう。打てば響くような対応なら、在庫の切らしはないでしょうから。狭い田舎の事情にも依るが、そこにしか置いていない物は、確実に最低限の確保で願いたい。不便な場所からの移動は、誠に不快なものですよ。

 枇杷葉の実を、サンタさんと、リエさんに送ったが、ちゃんと熟れていたのか?気になってしょうがない。佐藤さとるさんには、奥さまの名前でお送りした。娘さんからのメールが入って、お供えしてくださるとのことだ。どうか熟れていますように、甘い味でありますように。そろそろ着いたかな?

 夕方の暮れゆく宇宙には、無限の可能性が秘められている。彗星の流れも、新星の発見も、彼方より。

 

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俄雨に・・・

2018年06月15日 | Weblog

 午前中、せっせと枇杷葉の実を捥ぐ。リエさんのがたくさんあって、一箱に収まり切れない。未だ熟れていないのもあり、月曜日にしよう。サンタさんのは、何と5個がとても大きく、色も綺麗な実だ。枇杷葉も一緒に梱包した。佐藤さとるさんにも、奥さま宛てにして送った。ちょっと早かったかな。

 枇杷葉の実は、元々が甘酸っぱいのだが、熟れてしまうと甘さが増す。同じ茂木枇杷でも、フェンスの場所のは、未だ青い。これは沢田研二さんのコンサートに、充分間に合うようだ。それでも瑞々しさは満点で、革を剥くと汁が滴る。袋の中で育たなかったのもあり枯れている。焼酎に漬けエキスを。

 枇杷葉の種を綺麗にして、焼酎で漬けて置く。可能な限り、水洗いは避け、曝し布で拭くか、ペーパーで水分や汚れを拭う。一両日置いて容器を用意し、35℃のホワイトリカーに漬ける。冷暗所で保管するのが望ましく、最低でも1年はそのままに。夕焼け色になってくるので、小分けにて使います。

 枇杷葉ローションは、全身への散布は無論ですが、傷口への塗布や、捻挫に打ち身にも効果があり、依って医者要らず、と言われています。個人的には合わない方もおいでなので、試してからにします。また、アルコールが苦手な方には枇杷葉茶で。何れも体内の毒素を排出してから、用いるのが望しい。

 ドクダミをお茶で飲用し、臓器の安定を図り、枇杷葉茶で体調を整えることも大切でしょう。何事も、一朝一夕にはいきません。継続と努力と根気も、自分自身の考えようにも影響します。健康は、自らの工夫で遣っていかねば、医者任せでは治りません。詰りは、薬に頼り過ぎるのではなく、自然治癒。

 朝取りの枇杷葉の実は、実に美しい物で、つい顔がほころぶ。リエさんや、サンタさんの顔が浮かんで、こちらもうれしいものだが、勝手に決めて、枇杷葉を育てているのであって、頼まれてではない。従って送る必要もない訳で、迷惑なのかも知れないが、その愉しみだけに育てている。無農薬が自慢。

 枇杷葉の袋が破られているのがあった。野鳥が朝早くから、姦しくしていたので、もしやと思ったら、一番熟れたのを齧っていた。口にすると甘い。自然の生き物は実に良く知っているのだ。人間は、袋を外さないと分からない。今月の終わりが収穫時期かな?白枇杷もきっと熟れるだろう。自然は豊だ。

 栴檀・樗が咲き終わり、合歓の花が咲き出した。この花のやさしさが好きで、つい運転中に見上げる。カラーも花壇に見えてきた。青空市に行ったら、すっくりと立っていた。思わず2束抱える。見事なまでに美しい花だ。背筋を伸ばして、生きて行きたいもの、と姿に見惚れてしまう。心映えもしよう。

 ザ・タイガースのDVDを買って、時折観ているが、瞳みのるさんのドラムは、心に響く。

 

 

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皐月、朔・大潮

2018年06月14日 | Weblog

 何となく怪しい雲行きだが、蒲団を久々に広げる。洗濯物も、昨日のと干す。今朝は塩換えの日で、早めに起きてする。ご飯も仕掛け、酢飯の用意をしておく。計画の実行にも体力が要る。だらだらでは時間が迫るので、一つづつ片付ける。流しも掃除して、鮭寿しにした。それに青紫蘇と茗荷を。

 勤務先の昼食に、どうにか間にあい、約束していた何人かに渡す。商売ではないので損得抜きだが、余分には作らなかったのである。この時期には、食中毒が怖いし、いくら寿しでも、時間の経過が不安定だ。気温にも依るし、そこらに置いた儘でも困る。受け取った職員に、冷蔵庫に入れてもらう。

 直ぐに帰り、友人が来るので待つ。その間に、ドクダミを摘み、枇杷葉の実の状態を確かめる。摘果していないので、粒は小さい。味がどうかなと案じているが、総じて甘さが変わらないのが特徴。明日には、リエさん、サンタさん、りささんにも送れそうである。リエさんの勤務先には、もう一度。

 祝島に依頼していた枇杷は、加工用なので、多少の傷みはあるが、これはローションにしたり、お茶にするので問題はない。一挙両得で、食べても好しと、その後もいいのだ。種の重要性は、然して気にせずが多いが、実際には、この捨ててしまう種に、大切な薬効が隠されている。アミグダリン。

 友人にも話したが、すばるの気配がしないそうで、風呂にも入れていないのに、臭いが全くない。夏への毛変わり時期だが、抜け毛も少ない。反して、賢いのである。これは枇杷葉茶の効用だろう。人間にもいい物は、猫にとっても同じなのだ。先日の爪の割れも、エキスで治り膿も出なかったのよ。

 アトピーにも効くようだし、喘息や蓄膿症にも効果が大きい。然し、最近の枇杷葉には、儲けに走って、農薬を掛けているようだ。我が家のは、一切しておらずで、多少の癖はある。何よりも、心を籠めて、丁寧に採っている。糠と塩だけの施肥も寒中のみだ。たくさんの方には送れないがそれもまた。

 幸せの基準は、自分で決めていかねば、気づくこともないだろう。今の、この状態を何よりもあり難く想い、感謝する。年金が少なく、介護保険料を勝手に徴収されるのは、心外である。個人的には、枇杷葉があればいいので、介護の世話になどならないからだ。地道な暮らしをし、命を全うしたいもの。

 真夜中に外に出て観ると、言葉にならない。昨夜も、星月夜で眺めていたら、流れ星が観えたよ。

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卯月三十日

2018年06月13日 | Weblog

 青天の気分の良さに、初生りの枇杷葉からと、長崎茂木からのを少々捥ぐ。今年初めての収穫である。夕方にAさんちに寄る予定なので、初物をお届けしよう。祝島からのも届いており、袋に入れておく。勤務先には、少しだけ持って行く。種は捨てないで、ローションにする。皆知っていて返す。

 勤務を終えて、Aさんちに寄る。枇杷葉の実を見て、殊の外喜んでくれる。我が家のは小さいが、無農薬なのを知っているので、とてもうれしそう。初生りの初物なので、長生きも3乗になるかしらん?リエさんには明後日になるが、サンタさんやりささんにも送ろう。皆、楽しみに待っていてね。

 さて。帰宅してのこと。すばるが玄関まで出てこない。ん?ドクダミを摘んだり、弁当入れを流しに置いたりの後、洗濯物をしようと・・・鉢がひっくり返ってる。トイレも綺麗にして、流しも掃除をする。洗面台の鉢の移動をした。これは怒っても仕方ないことで、置いているのが悪いと反省す。

 つい先日が正月であったような気分だが、既に新暦では半年が経つ。何と言う気忙しさだろう。生きていることへの怠慢かも知れぬが、早いことに無気力になる。のんびりもゆっくりも、一体何処に消えてしまうのだろうか?還暦を過ぎてからが、反省の連続である。活字の世界は、ゆっくりとだが。

 沢田研二さんのDVDは、ジュリーマニア。次いで、ジュリー祭りがいいなぁ。若い時のもいいのかも知れないが、それはソロになった時点での、沢田研二さんから離れてしまったから。何にも況して、タイガースの瞳みのるさんが、2度とステージに立たないと言ったから。心に封じ込んでしまった。

 ずっと変わらずファンの方には、申し訳ないが、感覚が異なるんだ。それが今は、太ったことによって、親しみが増したのと、声の質に惹かれたから。歩んできた人生は、歌声を魅力的にする。納得の人生を送れることも、とても素敵だと想えるから。そういった観点で、生の沢田研二さんに遇えるのが。

 来月のステージがとても愉しみ。一緒にチケットを買った方と、会えるかも知れない。暑い時期なので、お疲れの出ませんように。わたくしは、特性の枇杷葉茶で、暑さには平気です。困った時には枇杷葉、というくらいの頻度で飲んでいます。何しろ無農薬であり、ちょっと変わったパワー・スポット。

 長崎茂木。昨年で13年は過ぎた。欠かさず生ってくれるが、剪定をしたりも大切だ。裏年もあるよ。

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梅雨の晴れ間に

2018年06月12日 | Weblog

 午前中は、降るのかどうなのか案じる天気であったが、夕方になって来て、からっと晴れてくれた。今晩は、星月夜だ。卯月も終わりで、皐月になっていく。洗濯物が乾かないと嘆き、コインランドリーに乾燥だけしに行くとか。ああ、もったいない。部屋干しの臭い対応には、枇杷湯の残りです。

 枇杷葉茶を飲んでいると、体臭が消え、不快感をさせないが、意外と知らない。消臭効果もあり、美白にも好いのだ。既に何年も続けているから、当たり前の習慣になっている。それまでは臭いが厭だった。洗剤にも依り、ボディシャンプーを使う。高いようで、安いのがあるので、桃のを使って。

 洗濯機の中はピッカピカだし、洗濯物は皮脂の汚れなので、部分的には擦ったり、一晩浸け置く。ハイターを使うことも有るが、極力避ける。生地が傷んで、直ぐに破れるからだ。枇杷湯に入って、身体を温め、角質を取り剥ぐのだが、塩も適当に擦る。高価な材料は一切なく、知恵と工夫で暮らす。

 最近買ったDVDは、黒馬物語。これは、秘密の花園にディコン役で出ていた男の子が、ここでも重要な役をしているから。そして何と偶然だが、小公女で、ミンチン女学校・先生役の方も出演していた。もう1枚はチキチキ・バンバン。酷く印象に残っていたが、全体が観えていなかったからだが。

 本日は、沢田研二さんのReniiy Iove ya!!が届いた。近々、コンサートがあるので聴いておこうと。ジュリーマニアはお気に入りだが、それ以前のを持っていない。タイガースのCDも買ったし、ちょっと余裕も。宝石よりも、自分の納得した物が佳いですね。チャイコフスキーも、白鳥の湖も素敵だ。

 図書館でも言われるが、相当にジャンルが広いのね。興味を持てば、とことん追求するし、のめり込むからで、非現実的な要素が大きいのだ。最高の愉しみは、瞳みのるさんのコンサートに行くこと。これはもう、実物にお目にかかって、長年の夢を適えたいから。最後の最後まで取っておきたいのよ。

 真夜中の南の宇宙に、かなり際立つ惑星は、木星である。西の天には金星が輝く。ジュピターとビーナスの、何と美しいことだろう。大熊座も小熊座も、北の天から動くことはないが、無窮の針の下には、何と多くの星座が廻っていくのだろう。晴れていれば外に出て眺む。デジカメも携帯も活用して。

 ギリシャ神話を読むと、星座の謂れが良く分かる。天を眺める時には、無意識で観ていよう。

 

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入梅

2018年06月11日 | Weblog

 例年の入梅であるが、今年は早くからの天候不順と、温度差が激しく、不快指数も多い時期となった。休日の過ごし方にも、晴耕雨読に徹しているが、枇杷葉の熟れるのが待たれる。色づきはしているし、送る分にはいいとも思うが、甘さはどうだろうか?雨量の多い年には心配が増える。

 天気を見ながらドクダミを摘む。段ボールを広げ、新聞紙を重ねて、その上にドクダミを切っていく。乾燥したら、ちょっと移動させ、これを繰り返していく。すばるが手伝ってくれるのはいいが、はみ出してしまう。うれしそうに遣っているのは、未だ子どもに値するからだ。片付けが。

 用事で出かける時には、ちゃんと言わないといけない。一人で留守番をするのが淋しいらしく、帰宅すると拗ねている。加えて甘えん坊になる。膝に乗り、足に縺れ、歩行を妨げるのに困る。仕事に行く日は分るのか、黙って見送るが、服装で見分けているようだ。賢いのである。感心する。

 銀河もだが、すばるも涼しい場所は良く知っている。人間は、機械で温度を調整するが、猫は本能で判断する。飼い主が、自然に暮らしていると、猫も賢く対応する。どうやったら体を涼しくできるかを、実行しているのも微笑ましい。出窓も網戸にしたり、換気扇で空気を入れ替えたりする。

 留守中に、野良猫や不審者が来たりするのが怖い。泥棒が来ても、本ばっかりだから、持って行く物もない。個人的には、それらの書籍の方が、宝石よりも大事なのであるからだ。ダイアモンドは金銭的に価値があっても、宇宙の輝きは広くて深い。この世の始まりと終わりがあり、神秘的だ。

 我が家の庭にも、小さな宇宙が存在する。わたくし自身にも、見えないけれども持っている。ちょっと変わった者が視れば分ることも、無意識だと観えないのかもしれない。自然への畏怖の気持ちや、小さな物にも命を感じていれば、風や雲の動きに遇わせて知ることもある。摩訶不思議が。

 薔薇の挿し芽と、紫陽花が付いただろうか?昨年の時期には、大輪の花を咲かせた深紅の薔薇が枯れて、今年は新芽さえ出てこない。枝を動かさないでいたら、咲いていたものか?鉢植えにしているのは、蕾が付いて咲いたが、肥料の遣り過ぎかもしれない。命は芽生えて消えて行くのが当然。

 毎年、花が咲いて実が熟れる。今年も、青い実がたくさん付いている。ヒヨドリが狙っている。

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台風が接近・・・

2018年06月10日 | Weblog

 台風である。それも既に5号と言う。この蒸し々した天気に、不快感が増す。日曜日の昼食作りをするのに、魚の餡掛けを考える。出汁と砂糖と、料理酒に醤油である。そこに玉葱とアスパラガスを微塵切りにして入れる。これに片栗粉を混ぜて出来上がりだ。初めてにしては、美味しくできた。

 夕方になって雨粒が落ちだす。洗濯物が乾かないのに、次から次と洗濯物が出る。排泄の有無も分からない、何だか悲しくなってしまう。施設に居ると、時間が止まったようで、何もしなくなるからだ。テレビにばかり顔が向いて、流れる映像を見ている。内容が分かるのでも、聞いているのでも。

 自分の生き方を、きちんとしていても、仕事を辞めてしまったら、認知症状が出るのだろうか?自分らしさにも多々あるのだろうが、信念を変えないことも大切だ。頑固と言うか、他人と同じのは厭でもある。不平を言いつつ、我慢をしたくもない。やっと手に入れた自由を堪能、満喫したいもの。

 例年、施設のイベントを思うが、惰性で行っているようで、新鮮味に欠けるのが気になる。ご褒美をあげますから、参加してください。ってのが厭だ。そこら辺にある安価な物で誤魔化し、皆同じようなピースサインをして、カメラに収まる。それからして気に入らぬ。何でそういった画一的な顔で。

 怒ったような顔も、困ったような顔で、ちょっとはにかんだ格好では、何故拙いのだろう。笑顔でないと写さない。笑顔でないと載せられない。それは職員の都合勝手で、どんな姿でも、それがその方の現在である。服を褒めるのも、可愛い等莫迦にしている。言葉は様々にあり、言い表すのも多彩だ。

 ヒューマンライフ。意外と、自分達の生活は、見えていないものだと分かる。生きることには、他人様の入り込む余地もない、漠然としたものだけ。ヨーコさんの言葉には、クスリと笑える愉しさがあり、じんとする言葉もある。涙が堤防を越えて、ナイアガラになることも、氷点下の厳しさに落下も。

 本は愉しい。絵本も面白い。活字の並び方で、どうしてこんなに違うのか?哀しみにも、嘆きにも、胸が詰まって苦しいのも、温かくなり、冷ややかにもなる。書籍の真実に我に返りつつ、唖然とすることも。何度も繰り返して読めることもうれしい。自分を失わず、それでいて異世界を探検できるのだ。

 長崎茂木の下にあるスズラン。こちらは南向きなので、ちょっとばかり早く咲いてくる。

 

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