枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

ゆりかごのうたを・・・

2018年06月09日 | Weblog

 ♪ゆりかごのうたを、カナリアがうたうよ。枇杷葉の実が熟れて来ると、口ずさむ歌詞だが、あの木から木へと渡された綱に、木鼠がいるのだろうか?リスのことかしら、とも思える。夕方の天に浮かぶ月の姿も美しい。枇杷の実が揺れている様を、庭に立って見る。もう直に色づいてくる。

 自然の枇杷葉の実は、今月の十五日過ぎから収穫できるだろう。昨日、リエさんに連絡していたら、今朝電話が掛った。昨年からのリエさんの枇杷葉には、たくさんの実が見えている。一度には無理かもしれないが、勤務先にも送ってあげよう。しーちゃんにも分けてください。甘いですよ。

 しーちゃんちの枇杷葉は、そろそろ9年が経ちませんか?今年の暮れには、花芽が見えるかもしれません。皆さんで飲んでくれているので、すごくうれしいのです。でも、我が家にある、しーちゃんのに決めているのは、結実がしないの。これは白茂木かなとも。畑があればと思うのですが。

 勤務中に腹痛がきた。そろそろ勤務も終える、という時間である。今朝、小川珈琲でなく、他社の安いのを封切った。いかんなぁ、たちまち結果が出てきたのに当惑する。何とか勤務を終えたら、すっかり治ってしまった。明日は休もうかと、考えていただけに、安堵の気分とどっと疲れが。

 佐野洋子さんの、ヨーコさんの〝言葉”1から4までを読んだ。どうということもない本だが、少ない活字の表現に、たくさんの心があるのに気づく。百万回生きたねこが、どうやって出来たのか?息子さんがいらしたこと、結婚の経緯等、決して笑えない本音が、隠れているのに気づいた。

 すばるが暑いので、だれているのだが、これは毛皮をつけているせいで、すばるが悪いのでも、飼い主が毛刈りをしない訳でもない。枇杷葉茶を飲用しているせいで、抜け毛は少ないが、それでも抜ける。暑いのは夏であるからだ。四季折々の気温を知って慣れてほしいが、無理だろうか。

 袋を掛けているのを外してみたら、あらっら、青いのも混じっていた。同じ枝にあったのに。

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梅雨なので・・・

2018年06月08日 | Weblog

 今朝は雨となる。昨夜から、軒下を打つ雨垂れに気づいていたが、今朝には止むかと呑気に構えていたのだ。休日の予定が変更になったが、ドクダミを摘むことで、急ぐものでもない。雨に濡れたのは、黴が来るので出来ないのだ。図書館に行き、返却と貸出しをしてもらって、燃料補給をしておく。

 ガソリン代が急上昇で、その費用に頭が痛い。これは車を持つな、と言うことかも知れないが、田舎では移動手段に事欠く。仕事を辞めたら、てくてく歩こう。健康のためにもいいことです。ちょっとが通じない場所では、時間的な問題が生じるが、それも致し方ない。枇杷葉茶を飲んで健康維持だ。

 このブログを読みに来てくださる方の多さに、時々びっくりすることがある。上手い話もないし、単刀直入の物言いだし、はたまた、実践するのも、根気も持続もなければと、手厳しい文字内容に、嫌気の指す方も方もおいでだろう。と内心では思ってはいるのだ。でも、美味しい話は転がってない。

 テレビを観ていて、商品の売り上げが、実際に高いなら、黙っていても口コミで売れはしないのか?と疑問を抱く。枇杷葉なら、この場合にはこうだし、ああいう時には、この方法をするのだ。とつい思ってしまうのが間違い。他人のお節介には何も言わぬがいい。見てみぬ振りが、知らん顔が好い。

 然し、世の中には一方的に、資産のある所にはあるんですねぇ。殺されたらそれまでなのに、無造作に放りだしておける方が。反対に、生きて行くことにあくせくしたり、儲け話はないかと思ったりもする。この格差は何だろう。同じように働いても、頭の使いようなのかも。悪いことも偶にはいいか。

 還暦を過ぎた頃から、修業を積んだら、魔女になれるものかと、本気で考えた。魔法学校というものさえ定かでないが、こっそり魔女の学校も、高度な技術と頭脳に、薬草の作り方さえあれば、万が一にもなれるかも。じゃあ、探してみようと遣っているが、中々難しいことでもある。はて?呪文がね。

 雨に濡れた庭に、薔薇の花とドクダミの、芍薬の白が際立つ。緑の瑞々しさに、何と言う清々しさだろう。そのうちに、霞草と銀梅花も咲き出すのだ。枇杷葉の実が一粒だけ、袋を掛け忘れて見える。未だ、青くて硬いので口には出来ぬが、日に日に熟れて行く。愉しみであり、心が躍り弾む待遠しさ。

 室内の出窓で、どんどん増えていく。挿し芽をしたら、ちゃんとついて花も咲く。名前は忘れた。

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卯月・下弦、湿度高めで・・・

2018年06月07日 | Weblog

 今朝は、生き返ったようで、蒲団から起き出せた。弁当も用意をしていたので、手早くできたが、新聞を読んでいると、湯気が出て上昇する。これが民主主義と言うの?庶民のわたくしでも分る莫迦さ加減だ。最早民主主義は既に死に、往く手に輝く未来などあるものか。ぶぁっかにしおって。

 宮部みゆきさんの楽園上・下を読む。これは新刊でなく、以前から図書館にあったものだが、何故か読み落としていた物。然し、今読むと、自分の不思議な夢や、精神的な状態が重なる。そうなんだな・・・何故かは判らないが、この類のことが起こっているということに尽きる。夏の夜話だ。

 沢田研二さんのコンサートが近くなった。今回は、ザ・タイガースの映像も、武道館や東京ドームの様子も、ちゃんと記憶に留めて、出掛けて行けるのだから、鬼に金棒である。再度言うが、ソロになった直後や、その辺りのジュリーは、あまり好かない。今の沢田研二さんの方が自然体で好い。

 勤務先を辞めるのが、お世話になったからと煎餅をくれた。物凄い量に、一瞬たじろぐ。お礼の電話を掛けて、どうすんのよ・・・笑いながら、心配ない食べれるよ。違うでしょう?お金をたくさん使わせたのが、すんごく気になるのよ。育ち盛りの子どもさんが居るのに。長い目で見ながらだね。

 枇杷葉の生葉を採るのは、硬くてごわごわなのを使いたいのだが、そうかと言って何時でも、という訳にはいかない。寒中の時期、旧暦の師走が良いのは言うまでもないが、それが出来ないとなると、焼酎に漬けておくのをしたい。便利で簡単はなく、自分ですることの大切さ。誰もしてくれない。

 我が家の駐車場の辺りには、ドクダミが自生しており、花が咲くのを待って摘む。寒中には、根魂を掘って乾燥させ、花と同じように煎じて飲む。身近な薬草として知られ、誰でもが簡単に作れる。然し、除草剤を一度でも撒くと駄目で、先ずは10年は飲めない。白い可憐な花である。消臭効果も。

 臍の胡麻を取るのに、オリーブオイルを垂らして湿らせるようだが、これよりも簡単で殺菌効果のある、枇杷葉エキスの方が好い。手間も要らず、そんなにしなくても直ぐに取れる。でも臍の胡麻って、取ったらいけなくはないの?子どもの頃、臍をいじくっていたら、雷さまに持って行かれるそう。

 昨年の収穫時の、枇杷葉の実。今年は裏年にあたるので、たくさんは生っていないが、我が家は多いか。

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卯月、芒種・小潮

2018年06月06日 | Weblog

 二十四節気 芒種 芒(のぎ)のある、穀類の種子を蒔く、大切な時期なので、芒種と言う。毎年六月六日頃である。そういった季節に打ってつけの雨に、精神の箍が外れて、動けなくなってしまう。早朝、と言うか、起きなければならない時間である。弁当の用意は、昨晩にしてあるので。

 勤務先に連絡を入れるが、応対している同僚の声さえ、判別できない。上司にも連絡しなければ、という思いが頭を掠めたが、不甲斐なく蒲団で眠りこけ、気づけば昼前である。出なくてもと着信だけを残しておく。もう無理なんだから、歳を考えないと、という気持ちと、来年の春までは。

 この年齢まで、務められたのが不思議な位で、何とか自分を保ってきたが、それにも限界が来ているのだ。やっぱりね、そうだよねと独りごちる。介護の仕事はきついし、金銭的には少ない。最終的に、何とか資格で以っているが、それも段々と怪しくなって来た。年齢には勝てないものだ。

 何度も挫折してきた今は、潔く辞めてしまいたい。うじうじとする必要もない。それが出来ないのは、自分の優柔不断のせいである。枇杷葉や、薬草だけでの賄いでは、到底成り立たないので、金額は少なくても、仕事を見つける必要もある。然し、田舎では何処を探しても、高齢者には。

 自分の特技や軽作業なら、至って簡単に見つかる、と思うだろうが、そういった類のことは、仕事ではなく報酬はない。介護関係の仕事でも、依頼件数は限られる。伝手もあることだし、先ずは信用性のこともある。そういったことこそ、気疲れがして続かない。出不精の性格が災いなのだ。

 だが。健康でいられること。何とか生きていられることを感謝し、自分のことは凌いでいかねばならぬ。日々の暮らしを見直し、これからのことも視野にして、備えていかねば。夏は、暑さには我慢できるが、冬の寒さに耐えれるかだ。身体を鍛えて、向き合わなければ、冬眠する手もある。

 枇杷葉の実が、大きくなってきている。たくさん生っているのが、掛けた袋が破れてしまい、そろそろ色づいてきたのが分る。来週辺りには、熟れて来るだろう。旧暦の皐月になるので、菖蒲も伸びてきており風呂に浮かべられる。独特の臭いがするのが特徴で、花菖蒲とははっきり違うよ。

 小さな庭だが、所狭しと枇杷葉を植えこみ、何かと花も植えている。季節になると咲き出す。

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手伝ってる・・・?

2018年06月05日 | Weblog

 本人には(本猫)手伝っている心算らしい。ドクダミを摘んで切り、新聞紙の上に広げているのを、傍で見ていて、僕も出来ると思ったらしい。右手でチョイチョイをしている。じっと見ていたら、ひっくり返して乾燥させるのを遣っている。でも、外に出してしまう。単なる悪戯かな?

 それを数回繰り返すので、こちらは考えてしまう。そうか、手伝ってくれているんだと納得するが、そこは猫である。やはり面白くなって、ドクダミの干してあるど真ん中に座って、チョイチョイする。その様子も可笑しく、叱れないのだが、そこら中に散らしているのは困るので駄目。

 猫の習性だから、動く物や音のする物には、敏感に反応する。大きな音にはびっくりして、子どもは基本的には好かない。飼い主にも依るが、姿が見えると隠れる。孫でも素早く居なくなるのに、他所んちのには唸り声さえ出す始末。相当に毛嫌いしている。銀河は、上の孫だと近寄る。

 すばるも同じだが、これは孫の方が拒む。下の孫は捕まえて無茶苦茶をするので、隙あらば逃げる。皆が居なくなった後では、何で僕んちに来たのよ、と啼いて訴えるのも可笑しい。そういう時には抱っこをせがむ。図書館まで行っていた留守が淋しく、傍のチェアに寝そべって寝息を。

 雨がぱらつきだし、蒲団も干していないので、のんびりできそうだ。介護の勤務には、値に見合う報酬が少ないので、生活も苦しいもの。誰も助けてはくれずで、辞めてしまう者も出る。然し、自分の都合勝手ばかりで辞めるのではなく、切羽詰まってのことだ。それを他人がとやかくは否。

 加えて、そのことを非難して、移動を厭だとは言えまい。人数も最低限の勤務であり、自分都合ばかりは困る。こちらも年齢のことがあるのを、何とか業務に携わる。若い者が、真摯に業務をしていかねば、誰が出来ると言うのだろう。辞めて済む問題なら、こっちが早々辞めております。

 勤務中に、無駄話をするのに注意すれば、仕事の話だと突っぱね、しんどいからと休憩時間の無い者が休むのは、基本的に間違っている。体調管理が出来ていないと、自分に返って来るもので、そうなったら一朝一夕には治らない。根気と言うか、持続するというか、辛抱に尽きるとも思う。

 最近、枇杷葉茶を飲んでいる者が増えたが、これが何時まで続くか、心得違いをしないで遣れるかは別だ。自然治癒能力は、誰にでも備わっていて、遣り方や時期に依っては、効果が表れることもある。方法を間違ったのでは、治る見込みは全くないのだ。それをこちらのせいにされても。

 6月の中旬位から、少しづつ熟れて来る。これはリエさんのだが、思いの外たくさんの収穫が。

 

 

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虫歯の予防に・・・

2018年06月04日 | Weblog

 刀豆の歯磨き粉を使うようになって、歯痛が治まり、肩凝りも減ってきた。価格の高さにビビるのだが、歯医者を予約して行くのも、年齢と共に大儀になってきた。それらを思えば、時間的な拘束がない分、安い物だと買っている。口臭も少ない。疲れての肩凝りなら枇杷葉で治る。

 年金暮らしだけになったら、塩と刀豆茶で遣れば好い。基本的なことは同じだから、口臭予防にもなるし、一石二丁である。刀豆茶は胃腸に効くので、用途を見極めて使えばいい。医者に罹らず、健康を維持するのは、日々の努力しかないのだ。他人のせいや人任せは良くないですよ。

 午前中の勤務で帰宅する。夜勤者が初めてのことなので、何かがあっては困るだろうと出勤したが、事故もなく無事であった。薬のチェックもあって、一人では出来ない業務も。上司の許可も貰っていた。心配は杞憂だったが、夜勤の仕事は大変である。日中の見守り、付き添いもだ。

 帰宅して、大急ぎで蒲団を広げ、洗濯機を回す。その間には、ドクダミを摘み、庭を見て回る。すばるは出窓でご機嫌だが、網戸にしたら、気持ち良くなったのか昼寝だ。眠気はこちらの方だが、そう簡単には休めない。昼食を済ませ、ブログを更新していたら居眠りがつく。いかん!

 何だか気忙しい一日だった。正直、疲れているんだろうな、思考回路が回らない。還暦を過ぎた時点で、仕事も辞めればよかったんだが、そのタイミングがずれてしまった。自分の性格の優柔不断を思う。結構いじいじとしている。何でもないことに拘り、悩んでしまう厭な性格だ。

 チキチキバンバンのDVDを見つけた。前回、よく確かめないで買い、Blu-rayが届いて焦った。デスクを入れたが、幾ら待っても映らない。よくよく見れば、表示が違っているのだ。なんちゅうこっちゃ!スター・ウォーズも、2枚セットだったので娘等に宅配で送る羽目になった。

 子育てをしている時には、テレビを観るというのんびり感はなく、何時も追われるように、家事をしていた。段取りが悪く、切羽詰まって遣るので、失敗が多かった。車の免許もなく、自転車であちこち行っていた。不便さもあったが、自分でもびっくりしている。何も考えずしていた。

 勤務先の冷房が入りだし、半袖が寒くなっている。羽織物を持参しているが、動きが鈍くなったり、冬眠状態に陥ってしまう。自宅には、冷暖房は設置していなく、未だ扇風機も回っていないが、涼しく過ごし易いのは、枇杷葉の間を、風がよく通っていくからだ。あり難い環境に感謝。

 ウィンドウのパソコンの時。エイトマンが手に入ってうれしかった。懐かしく思い出されるのりたま。

 

 

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気分はブルーに

2018年06月03日 | Weblog

 施設の外出も、天気次第であり、その方たちの気分や、職員の声掛けのタイミングにも依る。最低限のことには、職員の寄り添いが重要で、心を添わせる必要がある。本日が最終日で、薔薇は咲き切っているが、それでも名残はあって、訪れる者も意外に多いのだ。午後からの外出で、二往復する羽目に。

 車は二台で、車椅子専用と、タイプの違うので行った。運転手は二人に、助手がわたくしである。人数制限があるので、二往復となった。駐車場からは直ぐであるが、高齢者に取っては長い距離になる。足元がおぼつかなくて、危なっかしいことこの上ない。外出の証拠写真も撮らねばならず、慌てるよ。

 施設に戻って、一息入れて記録を書き、ほっとするが、早4時である。そこから夕食の支度に取り掛かる。職員の分担は決まってはいないので、お互いの出来ることと、見守りをする。この見守りが曲者で、見張りとは大きく違うし、言葉での暴力もあるので添うことが大切になる。さりげなくが難しい。

 宮部みゆきさんの、あやかし草子をやっと読む。挿絵が変わったので、ちょっと戸惑ったが、この方は宮城谷昌光さんのも書かれているので、馴染みは深い。文庫で、泣き童子と三鬼だ出ているので買おう。おちかさんの婚礼が決まり、舞台はそのままだが語りが変わる。三島屋も賑わいをみせてきた。

 指輪物語。DVDは長いので疲れる。活字の場合は、好きな時に読み砕いていけるので、そこまでは思わなかった。好みから言えば、ナルニア国物語の方がいい。それにしても、銀の椅子からがさっぱりではないか。忘れた頃に封切りになるのかな?古典SFは雑なようで、面白さが違う。夏への扉最高。

 蛍の飛び出す季節である。ドクダミの花が咲いたのを、せっせと摘んでは切る。枇杷葉の実も、少しづつ熟れてきた。新月になった頃が食べ始めかな。リエさんのはたくさんの袋を掛けているので、一度には送り切れない。サンタさんも待っていてね。昨年には3粒程だったけど、今年は何とかあるよう。

 月と金星が西の宇宙に懸かる。子どもの頃には、当たり前のように思っていたが、歳を重ねて神秘さが。

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己を弁える・・・

2018年06月02日 | Weblog

 孫の通う中学校の体育祭。こちらは応援も兼ねて、成長を楽しみに行く。そこでのマナーの悪さに閉口した。我が子を撮るのはいいが、他人の居る所を、物も言わずに、然も土足で入り込み、前に陣取ってシャッターを切る。呆れてびっくりしたが、大人がこうでは子どもの躾も。

 かと思えば、遅れて来ての言葉かけもないまま、他人のテントに居座る。これって、どうなんでしょう。此処いいですか?と言うのが出来ないのではない。息子等の物だから、言う権利はないかもしれぬが、普通学校が設置したのでも、後から来れば、一言声かけるものでしょう。

 その後、祖母さんが孫に、菓子を投げてよこした。思わず、食べる物を・・・と言うが、悪びれた様子もない。犬や猫なら未だしも、人に対することとは思えない。我が孫をさん付けで呼び、他人の孫を呼び捨てにも厭きれる。正しいことを言う者には、眼が合わせられないよう。

 昨今の風潮だろうか?一国のトップが嘘を平気で誤魔化し、部下も大言を吐く。文書改ざんにも憤りを感じるが、狭い田舎の事情である。況してや裏に居るのだから、挨拶は無論のこと、最低限の躾はしてほしいもの。息子等は、偶さかであるので黙認するが、気分が悪くなってくる。

 午後からの仕事で、競技も一段落したので、その場を後にしたが空しい。教養を身に着け、徳を積むことは、並みの修業ではない。幾ら、学んでも忘れれば元の木阿弥であろう。そうならない為にも、努力を続ける必要性を思い、更なる精進を心に留めた。人間は愚かな生き物を自覚。

 揚羽蝶の蛹が、薔薇の茎に宿っている。何日位で孵化するんだろう。気温や天気にも依るが、今年は1匹だけであった。通草が、蜜柑を覆って、葉がないのもある。本能は実によく知っていると感心するが、蔓を少し切っておくかな。庭は野生化が進む一方だ。今にジャングルになる。

 勤務に行けば、業務が滞っているのを、手早くすれば出来ていることも、話しをしながらでは、何時まで経っても片付かないので注意すれば、文句たらたらである。何度も言うが疾しい気持ちがなければ、さぼろうとはしないし、同じ態度でするのではないか。まあ、辞めるのも近い。

 年金だけで暮らしが立ち行けば、直ぐにでも辞める。仕事場を変わるのも考えたが無理である。それでは違う職種につくか?と言えば、気が滅入る。然し、表面だけの付き合いも出来ない。やはり、辞める日がそお遠くない。介護の仕事の質と量とが反比例なのだ。贅沢をしなければ。

 丁度、今時分に花が咲く。夏に枯れるので、夏枯草と言われるらしい。膀胱炎に効果あり。

 

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天気回復に・・・

2018年06月01日 | Weblog

 おおっ!天気である。早速に蒲団を広げ、洗濯機を回す。庭の青紫蘇を取り、茗荷の茹でたのを、丁寧に剥いていく。酢飯は混ぜているので、山葵とお酢を用意して、握りにしていった。上司に約束していたのと、他の部署の方にも、何時も野菜をもらうので持って行く。その帰り、Aさんちに寄る。

 水を分けて貰い、イタドリの漬けたエキスを渡す。直ぐに容れ物を換えてくれて、丁寧にお礼を言われるが、こちらこそ、何時もお水を分けて貰っているのに、他ならないのです。枇杷葉の生葉が要る、と言われるが、蒲団を干しているので、一旦帰宅する。ドクダミも摘まねばならないし梅の実も。

 天気が良ければ、することは多々あり、のんびりとしていると、陽は傾く。すばるのトイレも掃除をしておく。枇杷葉茶を飲むので、臭いは酷くはないが、それでも気持ちが悪いだろう。洗濯機を3回回し、乾いた洗濯物を仕舞い、やっとこ昼食にする。握りでなく、茗荷と青紫蘇を散らして食べる。

 明日は、孫の通う中学校の体育祭だ。午前中の休みをもらって、行く予定だが、応援に走ってくれるだろう。日曜日は昼食を作るので、これは休めない。月曜日は、午前中だけの勤務とする。夜勤者が初めてなので、援けてやらねば困るだろう。上司の許可をもらって出勤。自分の立場に置き換えれば。

 その後、郵便局に出向き、桂文我さんの落語チケットを申し込む。枇杷葉の生葉をAさんに届け帰宅。すばるがおかんむりである。お腹が空いているのか、と問えば、違うと答える。ほったらかしが気にいらぬようだ。窓も網戸にしておいたのを、拗ねているのが可笑しい。桑の葉が伸びているのを伐る。

 シモツケと夏枯草を摘んで、備前焼きの壺に挿す。間違って折れたツワブキも入れると、すっかり夏仕立てになる。桑の実に、ヒヨドリが来て啄んでいる。ギャアギャアと騒々しい。時鳥って、真夜中に啼くんだ。夜中に眠ろうとしかけたら、天辺禿げたかと聴こえて来る。生前の父はこの鳴き声が苦手。

 勤務途上の畑にある枇杷が、黄色くなってきていた。袋を掛けていないので、熟れようがよく分かる。序でに、河の土手を見ていたら、藪の向こうに栴檀が咲いていたのに、びっくりした。まさかの大発見である。田舎の事情ではあるが、当地には多くあることにも驚く。だが、どんな目的かは知らずだ。

 我が家の枇杷葉。長崎茂木である。孫が小さかった頃から生り始め、今も鈴生りになっている。

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