枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸入り・葉月

2019年09月20日 | Weblog

 今朝の気温の低さに、思わず身震いする。昨日、蒲団を干し、毛布を出していたのが正解だった。東電の地震から、津波が来るという予測が出来なかった、という無罪判決に、ある程度の気持ちはあった。そうでなかったら、大惨事には及ぶ筈もなく、被害が終わらないというのも納得できる。自然を冒涜するからでしょう。

 日本に居て、日本を知ろうとせず、自分の事しか考えない者が増えている。事が起きれば責任を問うばかりではなく、常に自ずと気をつけての行動が必要だ。電化住宅をうたい文句にするのに、乗せられている現状で、福島の二の舞が何処で起きても、何等不思議ではないのだ。安全な場所等ない日本が、今や世界中に拡大。

 天を観て、雲の流れや有り様に、加えて空気の湿り具合を知り、昆虫や動物に、鳥の様子を見ていれば、或いは、稲村の話を脳裏に刻んでいれば、事故は起きても、助かったかも知れない。でも戻って来ない命だ。人間としての役割があり、それを果たしての帰還かも知れぬ。新しい者への生まれ変わりをしているのかも…

 人間は身体があるから、良くも悪くも生きねばならない。思考や命の長短には、決められた約束事や期間があるのかもしれない。それらの真意の程は、誰も知らず。偶に知っていても、運命の路から外れることは出来ない。故郷の歌にもあるように、山は青き、水は清きという環境を、取り戻すのは容易なことではないのだ。

 でも。こつこつと誰かが遣らねばならない。小さなことでも、やがては地球を救う何かになるやも知れない。見返りを自然に求めてはならない。人間のしていることは、天に唾を吐くこと。そうしてそれは、必ず人間に還って来ることだ。祈りと感謝を忘れずに、生かされていることや、使命の有ることに気づこう。輪廻転生。

 現代農業の9月号に、蒟蒻と枇杷葉の温湿布が載っていた。蒟蒻は、小さくなっても使っている。患部を換えればいいので、あちこちにする。鍋は専用のを用い、何度も腰痛箇所に当てている。就寝時には特に好く、枇杷湯に浸って後なので、気持ち良く眠れる。夜間に起きることもなく安眠できる。枇杷葉茶も飲用し健康に。

 医者に行けば、湿布を出すだけで、冷たいのは効かない。身体は、心臓と虫垂の他は温める。腹痛には特に効果があり、身体の冷えを取ってくれる。市販の蒟蒻では、直ぐに小さくなってしまうが、手作りなら不格好でも長持ちする。頭が痛む時にもよいが、この場合には冷たい儘で行う。枇杷葉の生葉を敷くのは大切ですよ。

 ディズニーランドで見つけ買う。すばるを娘夫婦に任せていたので、土産になってしまった。

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逢いたくて・・・

2019年09月19日 | Weblog

 あの時に逢えなかったことが、ずっと気になっていた人に、夢の中とは言え、遭えたことがとてもうれしい。ちゃんと話も出来て、一番肝心なことを聴こうとしたら、何故か消えてしまった。暁子さん、お遭いできてよかったです。素敵な笑顔で迎えてもらって、とても感激しました。かんりびとさん手作りの料理でのもてなし。

 お彼岸が近くなってきて、気持ちが向いていったものらしい。本日は冷房も切り、蒲団を外に干しての予定だ。買い物にも行き、観葉植物や鹿沼土、すばるのトイレの砂も買い、汗ばみながら図書館に寄って、予約本を借りて来た。鉢物を出しているのを入れたり、所定の場所に置いたりで、そろそろと冬支度を。夏の名残少い。

 手当の甲斐もあって、左足の痺れが軽くなってきた。枇杷葉温圧療法は、実に佳く効く。宣伝だけを丸のみ込みして、そこに気持ちが籠らずなのでは、効果も違うのよ。信念というか、医者に罹らずに遣るからには、責任も自分で持つ。毎日のことでもあるが直向さも、人間性にも依る。敷地の周りは枇杷葉が埋める。酸素も多。

 人間が生きていく為の、酸素を誰が供給してくれる?森林でしょう。草花ですよ。二酸化炭素を吸って、酸素を吐き出すのを、伐ったり焼いたりしてしまってどうするのか!何と言う愚かしさであろう。トランプのジョーカーは、日本への切り札だ。そんな狎れ合いよりも国を守らねば。国民の生活保障も出来なくて国が治まる。

 お彼岸を休もうとしたら、中飛びの休日になり、身体も元に戻り難い。然し、仕事は休めない。介護の仕事、と言っても実にたくさんの業務がある。お八つを持ち込んで、皆に配るのもいいが、仕事優先でしたい。仕事をきちんとするということは、自分の頭で考えて、遂行することでもある。それが出来てこそ物が言えるのだ。

 人間であるから間違いや失敗はある。次に同じことをしないように、心構えをすることでもある。わたくしごとで恐縮なのだが、家を出る時には、仕事モードに切り替えるので、身だしなみは無論の事、業務を怠ることは避ける。そのためには、メモを残して置き振り返る。いい加減なことを遣るのは、他職員に迷惑が及ぶから。

 雑巾の絞り方。床の拭き方。食器の洗いや取扱方。普通の言葉で敬意の話し方。丁寧でありながら素早い対応。個人の変化を見逃さない事。一人ひとりの癖を知って気づこう。与えられた業務以外にも、予定をそれなりに入れておこう。最低限、自分の仕事はきちんとしよう。尊厳ある高齢者の視点を持ち、幼児言葉や態度は否。

 都会で暮らせない者です。田舎での四季と、枇杷葉に囲まれての暮しでないと、息が詰まってしまう。

 

 

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社日・葉月

2019年09月18日 | Weblog

 社日 土地の神、五穀の神を祀り祝う日で、春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日を云う。この日土の神を祀って、春は穀物の生育を祈り、秋は実りの収穫について五穀の神を祀る。常に自然への畏怖を忘れずに、感謝と祈りを行っていた古人は、天への祝福を心に刻んでいたもの。今は、天に唾を吐く。

 台風での被災地には、未だ電気も復旧せず、雨漏りの修繕も成らず、という所もあるようで、文明や化学の進歩はあっても、何等意味の無い事と思えてしまう。人間、いざという時の潔さや、決断・判断の思い切りには、他人任せの事も多い。不自由さに我慢するにも、便利で快適な生活では、無理があろう。

 個人的には、仕事を辞めたら車は手放し、携帯も持たない。連絡方法がないと言う者も居るが、訪ねて来てくれれば済む。それに然したる用事がある訳でもなし、図書館には出向くので、そこを連絡場所にすればいい。毎日とはいかぬが、歩いて行ける距離でもあり、締っていなければ行くので急がないこと。

 晴耕雨読の暮しで、夜はDVDを観たり、宙への散策が出来るので、それさえあれば充分である。蔵書は床が落ちるくらいあるので、忘れている内容を思い出し、本の整理も兼ねて、することもたくさんある。食事は、日に二回で身体を慣らし、贅沢はせず、質素倹約の健康を保つ。医者には罹らないことに決。

 枇杷葉生活であれば、これに加えて塩や醤油は必要だが、常時も非常時も賄える。燃料費も倹約したい。電気の節約で、夜は9時の消灯にしよう。そういったけじめをつけることで、何とか凌げるものではないか。他人に頼ってはいけない。金が無ければ、誰も助けてくれない。介護での世話にもなりません。

 退屈で詰まらない老後だけは厭だ。自分で納得しての暮しで、こと切れればそれでいいとしよう。医者に罹らないのだから、延命措置も必要なくていい。葬式もしなくていいし、墓も要らない。先ず化けて出ることも無い。死んだ後の世界に興味があるから、現世に舞い戻る気も無い。この世の春 注文する。

 ブラタモリで観ていて、一度は行ってみたかった場所だ。最近は、品川で降りることが多い。

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自滅しそう・・・

2019年09月17日 | Weblog

 和太鼓は、休憩を挟んでの2時間の演奏で、その後、自宅に珈琲を飲みに来ないかと誘い、演者の兄にあたるのと、塾の後輩という娘さんを乗せ帰宅。慌てて、珈琲を挽き淹れながら、数十分話をしすぐさま送り、職場の若いのが、駐車場で待っているので、再度乗せて家まで連れ来る。足湯をしてと言う。

 母親の実家は、葡萄で有名な所でお土産だと差し出す。色々な種類が詰め合わせてあり、冷蔵庫に仕舞っておく。足湯をしながら、業務の話をしていたら、既に8時半が近いのに送って行く。お好み焼きやら、菓子パンがあったので、珈琲と一緒に出して、空腹を凌がせる。ほっとしたら9時になっていた。

 ジュリー祭りを入れて観る。疲れた頭には、沢田研二さんの声が心地好い。枇杷葉温圧療法をしつつ、居眠りが本格的に眠ってしまう。明日は早出じゃない!とどうにか起き上がって入浴する。弁当は作らなくてもいいように、給食を注文している。安心が済んでの所で、遅刻してしまう時間に起きた。

 どうにか滑り込みセーフ。然し、頭がしゃっきとしない。休憩時にどっと疲れが出る始末。歳を重ねると無理は出来ない。甘い言葉に簡単に乗ってはいけない。断る勇気も必要なのだと悟る。沢田研二さんのコンサートだけでいい。コツコツと貯めて、愉しんで来たい。義理も人情も棄てねばならない。

 枇杷葉温圧療法を、必死の想いで施行しているので、それが天に通じているのか、じんわりと効いている。痺れも軽くなって来たし、痛みも和らいできた。渾身の想いというのはこういうことかと、自分でも驚く。何よりも、医者に罹らないので、自分での治療しかないのだが、自然からの贈り物です。

 ハード業務を終えて帰宅。Aさんちでおかずを貰ったので、晩御飯は用意しなくてもいい。何でも息子さんの家族が帰省されていて、ご馳走が余ったらしい。塩結びにしようと思っていたから、想わぬご馳走ににんまりする。何時ものように水も分けて貰う。この水で淹れた珈琲の味はた、最高なのです。

 東京駅も煉瓦に変わって新しくなった。外景もモダンであり、レトロな雰囲気も兼ねる。

 

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遅寝・早起き・・・

2019年09月16日 | Weblog

 昨夜は深夜まで、沢田研二さんのジュリーマニアから、ロイヤルストレートフラッシュまでを聴き、風呂に入って寝ていたのを、早朝に携帯が鳴って起こされる。眠いんだよぉ…、と出れば知人からで、和太鼓の観劇に来てくれと言う。休みの日にはゆっくりしたいのだ。本日の予定は手当てに専念したい。

 仕事場の娘さんも、敬老の日で母親の実家に行って、治療にはやって来ない。図書館は休みなので、何処にも行かなくていいと、のんびりできることにほっとしていた。昨日のわだかまりが消えないので、同僚に聴いてもらうがすっきりしない。便秘ではないが消化不良。庭に出て、枇杷葉での光合慾をする。

 鉢物には陽射しが強いので、水遣りも必要だ。柄杓で遣っておく。夕方には水遣りをしておこう。何となく身体がだるく感じられるが、気力の問題もあるとため息を吐く。図書館で本も借りているが、余りにも沢田研二大研究の印象が強烈で、何も手に付かないというのが本心かな。年齢を経てこその魅力が。

 独りで居ると、どんな些細なことにも、幸せを視ることができるもの。考え方には多面性があり、それだからこそ話し合いが必要なのだが、同じ考えでいる方が不気味だ。某新聞の日曜版に、前橋汀子さんが出ていたが、序奏とロンド・カプリ・チオーソ、G線上のアリアが個人的には好きだ。音に乗れるの。

 シャーロック・ホームズも、下手なくせにヴァイオリンを弾く。DVDでは、主演者が素敵で役になり切っていて買った。冷房が中々切れないでいるが、衣装替えをそろそろと、敷くのを綿毛布から毛布に替えた。すばるの寝床も、温かなのに敷き替えておく。消費増税と姦しく、食料品には掛からないのは嘘。

 3%から5%に移行し、8%になった時点から、物価も半分に品質も量も減った。子どもの玩具ではないのか?と言うような百金商品が受け、物に由っては当たりも出るが、殆どがちゃちな作りになっている。消費者は、それしかないから買う。一事が万事買い捨てが主で、修繕等は誰もしないのが当たり前で。

 東京駅の天井にある壁画。この年、運よくシャガール展が来ており、リエさんと一緒に観た。

 

 

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仕事の意義・・・

2019年09月15日 | Weblog

 今月の行事担当が不在で、敬老の集いはしなければならず、日勤者の顔触れにもよるが、咄嗟にどう動くかが分からないでいる。日曜日は、食事を作らねばならない。それも業務の内で、やらせの写真もいる。こういうのってどうなんだろう?何だかそぐわない思いが強くなる。時間ぎりぎりで遣り終える。

 子どもの使いではないので、用事があって行った場所に、必要な物があれば取ってくるのは必須。再度行くのは無駄足である。詰まらないお喋りはするが、肝心な事にはだんまりで、自分勝手に動こうとする。話し合いをしなければ、通じないのよ。それが最初に出来ていないからで、良し悪しではないの。

 勤務者にも依るが、パート等に言う必要はない。とばかりにする者も居る。自分の思うようにしたいのであれば、ご自由にどうぞとしか思えない。でも、それは職員の都合勝手であって、其々の気持ちを汲んだり、尊重してとは違うのだ。カメラに向かって、ピースサイン等、高齢者を莫迦にしている想い。

 介護の業務は、決して一人では出来ないので、協力し合ってのことになる。こちらは精一杯の労力でするのだが、あれもこれもそれもは出来ない。これまで遣って来たのを配慮して、若い者が動くことをしてほしい。10年間してきて、これ以上の労働には無理があるの。自分がその立場になったら分るのかな。

 男女平等であり、自由でもあるが、それには必ず責任が伴う。何もかもやりっ放しで、誰かに片付けさせるなら、それくらい楽なことはない。後始末・尻ぬぐいを、他人が気持ちよくしてくれのかしら?命令でさせるのは出来るが、我慢にも限度が起きて来る。介護の仕事は、若い者だけの考えでは出来ない。

 疲労困憊になって帰宅する。すばるが足元に甘えてくるが、餌がないので催促だ。枇杷葉茶も飲んでしまっている。パソコンの部屋が荒れている。ドナルドが吹っ飛んでいて、一人で遊んでいて落下したようだ。出窓の所で眠っていたらしい。カーテンがぐちょぐちょになっている。明日明後日は図書館休み。

 アラジンの、開けゴマに痺れ、利口な召使に感心した。千夜一夜物語。何度読んでも面白い。

 

 

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葉月、望・大潮

2019年09月14日 | Weblog

 三隣亡である。暦を見ていると、実に多々なる物忌みが出て来る。古の人々は、陰陽師の見立てに素直に行動して、方違えと称して、方角を替えたり、何処にも出掛けず、家に籠っていたりした。夜間には、周りは闇で包まれるので、魔物が徘徊すると信じていて、明け方を待っていた。賢い選択。

 電気が通じて、快適で綺麗な生活に転じて来ると、これは不便極まりない。機械を当てにするので、使えないとなると死に至る。それを想定外等と言うのからして可笑しいが、それだけ依存している証拠だ。原発での汚染水を海に流す、って人類の生活を終わらせる手立てだ。人間でさえなければ。

 でも。結果的には、海に流した汚染水が、其処に棲む生き物に影響するのだから、人類への間接的な繋がりだ。東電も、福島への保証が済まぬのに、よくもまあ問題が噴き出すことか。原発依存の時代が、日本を世界を、退いては人類への滅亡へと近づく。責任転嫁のうやむやさで、押し切れない。

 何だかんだと悩みは深い。これもこの世での修業かも知れないが、ご先祖さまへのご無沙汰にもあるかな。前回の時、来られなくなるよ、とは伝えているので、夢にたつことはないが、墓掃除に行けないのが気にかかる。足が痛くなったのも、そういったことが原因かも知れないな。反省の日々だ。

 祖母も両親も、墓守が居なくなるとは思わなかったろう。跡継ぎが居るから、きちんとしてくれると信じていたろう。そういう楽観でいるから、草ぼうぼうにするんです。路は愚か、墓までの辿りさえ覚束ない有り様で、わたくしも独りでは行けない。そこに棲んでいても、手入れができないもの。

 今朝は、何だか身体がだるいのだが、仕事に行かねばならずで、やっとこ起きた。明日の献立の準備もあり、介護の業務以外にすることが多い。然しながら、それをきちんとしておかねば、明日の昼食は成り立たない。その場しのぎで出来ることでもなく、準備が必要なのだ。手際も大切になるよ。

 沢田研二大研究。読み終えて、深い感動に浸る。ファンの支持にも由ろうが、本人の歌への情熱が、沢田研二さんを創っているとしか思えない。無論の事、お芝居や映画と多々なることにもあるが、歌手は歌が命だ。そのひたむきさに、純粋さに俄かファンは驚く。ジュリーより今の沢田研二さん。

 延々と続くパレード。これって何時まで続くの?夜は就寝タイムでしょう?疲れ果ててしまった。

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月は、兎の都か?

2019年09月13日 | Weblog

 少しく気温も下がり、ほっとする気分での十五夜だが、空は曇っている。仕事場の者と食事に出かけ、奮発しての握り鮨。そこで思い出すのが築地の鮨。時期も好かったのだが、抜群に旨かった。まあ、何度も行くことはないので、しっかりと舌が覚えているようである。ネタが違うんだろうか…

 足湯をしてほしいと連絡があり、食事後でよければと返事する。あ・いかん!拭き掃除をしていない。慌てて帰宅して行い、迎えに図書館まで出かける。足湯をして、枇杷葉エキスでのマッサージを遣り、肩を温めて終了する。長時間の治療に満足して帰る。送って行って、図書館への返却をする。

 然しながら、休日の手当てには心底疲れる。事実、足が悲鳴を上げてきたので、蒟蒻を温め、枇杷葉の生葉を当てる。加えて、疲労から眠いじゃない。でも、こうして頼って来てくれるのだから、放っておく訳にもいかずで、黙って治療をしておく。眠いのは仕方ないが、ジュリー祭りを聴きながら。

 明日は休みたい心境でもある。然し、休むと給料が消えるので、我慢しよう。年金だけでは暮らせない現状として、辛抱あるのみである。枇杷葉の成長を見ながらだが、生きる支えになってくれているのも有難い。たくさんの幸いに囲まれて、枇杷葉と暮らせることの有難さである。しんどいなぁ。

 ネットでの買い物は、ヤフーもあるんだと知る。楽天やアマゾンだけではなく、他にもあるんですね。それでも、あちこちにアクセスすると、情報が漏れる危惧も有、拙い展開になる気がする。詐欺と気づかないことが、最悪恐ろしいのである。責任は全て自分で負う、ということにも自覚が必要ね。

 消費税が上がるからと、先買いを五月蠅く言うが、いいことは余りない。自然のままに、ありきたりの日常が送れればいいので、他所を見ないことも大切。隣の芝生は青いのです。我が家の経済事情では、到底買い物は出来ません。今月一杯で終わりです。カードでの支払い等、狂気の沙汰も金次第。

 既に、夜も深くなり、就寝時間に近づいているので、生理現象で瞼が重くなる。帰りたいよぉ・・・

 

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ゴキブリも迷走する、八せん始まり

2019年09月12日 | Weblog

 白露で涼しさにほっとするどころか、湿気はたっぷり、気温も上昇という異常さに、壁の向こうに棲むごきぶりも、脳天直撃だったらしく、よたよたと這い出して来た。部屋ごとにスプレーを置いているので、さっと噴きかけた。今朝は藪蚊もいて、洗濯物を干す時に入ってきたようだ。すばるが追いかける。

 介護フェスタに向けて、掃除を丹念にする筈なのが、台所からして水浸しにする。黴の原因になることが、長年の経験で分かっているだけに注意をしておく。台所だけにキチンと綺麗に。生ごみを捨てる際にも、水分を直ぐに拭き取れば、容器の縁に黴はつかない。ちょっとした心がけの問題でしょう。違う。

 誰かが遣ってくれる、と言うなら手は出さないでほしい。そういうのを二度手間と言うのよ。何時もの事だが、他人の後片付けに追われる。でも、身体は一つしかない。無理はすまいと思いつつも疲労が重なる。休憩時間に転寝し、食事も忘れて爆睡している自分に、ため息も出る始末。沢田研二大研究後少。

 八せん始まり。耳が痒い!ので、近い内に雨があるかなと外を見遣る。枇杷葉の葉も硬く大きくなってきて、苞の付くのも期待される。駐車場の出入り口のが、一旦は枯れての復活だが、何と大きくなったことか。フェンスに掛かっている枝は剪定しよう。台所の窓外のも伐っておこう。今年は花芽が付くか。

 枇杷葉の生葉を採って、枇杷葉温圧療法に用いているが、身体を温めるには便利で好い。病院に行っても、湿布を出すくらいで、然したる治療もしないだろう。わたくしの特異体質は、他人には出来るが、自分にというと、少々の無理が生じてくる。料金を払ってまでやれない。遠いが、はり灸さんだけで好い。

 桑の木を植えているからか、パソコンへの被害がなかった。蚕という字は、天の虫と書くので、その蚕が食する桑には、雷も恐れ多くて落ちないそうだ。十五夜が近いが、矢張り気忙しい想いに駆らてしまう。季節感がないこともあり、薄も未だ見当らないのも可笑しみを誘う。新暦は、早く速くと急き立てる。

 パレード自体が目的でないので、見えなくともいいが、人様の後頭部や、人垣の間から撮影。

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葉月・二百二十日

2019年09月11日 | Weblog

 リエさんから、昨夜遅くに連絡があり、避難していたとのこと。生活の基準が、復活していない地域もあるようで、綺麗で便利なことが、どれだけ厄しているかが分る。水を心配したが、今回は大丈夫なようで一安心。暦に因る二十四節気や、七十二候には気をつけておくこと。人間の慢心を心得よ。

 一日の業務にも、その日の日勤者のメンバーにも由り、しんどかったり、ほっとすることもある。トイレットペーパーを、箱で運びつつ足が突っ張ってしまう。やはり無理は出来ないが、一日の動きを把握していないと、時間だけが過ぎる。立ちっぱなしで疲れてしまい目眩が…いかん、限界を自覚す。

 八つ時頃から雷が鳴り始め、見る見るうちに滝の雨が流れ落ちる。数分ずれていたら洗濯物が濡れていた。わたくしも雨で溶けていたかも。そりゃないか?帰宅しようと外に出たら、小止みになっていたのが、いきなりバケツをひっくり返す。Uターンして置き傘をだすが、無茶苦茶に叩きつけてくる。

 水遣りを予定していたが、土砂降りに中止とする。Aさんちに水をもらいに行こうとしたが、この雨ではずぶ濡れになると、これも止めておく。図書館も通過して帰宅したら、メールが入っていた。明後日に寄れば済むことなので急がない。足の痺れも、親指までいっており、ジンジンしているよ。

 沢田研二さんが、百万回生きた猫の原作に感動された由。挿絵も然ることながら、ストーリがいいのよね。個人的には、作家も好きだし、猫も好きとあって買ってしまう。亡くなられたのが惜しまれる作家です。灰谷健次郎さんも、末吉暁子さんも、佐藤さとるさんも、個々の深い想いが重なるのね。

 特に、鬼通での繋がりが深く、佐藤さとるさんから戴いた葉書は、一生物の宝物。筆不精で有名な方で、滅多と返事は書かれなかったそうです。それだけに貴重な想いがあって、額に入れて飾っている。自己満足の物であり、至福感は他人には計り知れまい。わたくしが消えれば、ただの紙屑になる。

 夜のパレードは、昼間の疲れが出てきてしまい、足はだるいわ、お腹は空くわ、眠いわです。

 

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