枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

月の満ち欠けと潮の動き

2021年04月10日 | Weblog
 旧暦での暮らしをしていると、朔日に合わせての身体の動きになり草木にも心が向く。仕事を辞めたからでもあるのだが、急ぐことはしなくなりそれまででもゆっくりであったのが更に輪をかける。現代農業の4月号を読みながら考えに差がないことにも納得した。作物は、月の満ち欠けで発芽し育ち実を結び収穫できる。花もまた同じようなサイクル。

 草刈りも自分の都合に合わせてだと直ぐに刈らねばならず、そういう知識があれば成程と思える。肥料を与えるのも書かれていることで納得。自然を相手にすることなので、自分都合は二の次が良いようだ。暦を見ながら作付けや発芽状態を記録しておき、失敗を繰り返さない。他人が遣っていてできたからと真似ても続かないし、其処に工夫が大切。

 木村秋則さんが百姓は地球を救う という本を書かれているが、百姓とは100のことが理解できることとある。実に奥が深い職業である。自然に教えて貰うことも多く、其処から工夫をしたり立ち止って考えていくことも大切なこと。利害関係だけでは成功はしないし続かないようにも思える。枇杷葉を見ながら何と言うことも無く、暫し佇んでいた。

 数年前になるが、枇杷葉の実を購入していた時だった。わたくしは薬効も知っているし、民間療法ではあるが行ってもいたので大量に買っていた。まあ、買い占めて他の人が無いでしょう。癌に効くの?だったらわたしも買わなくちゃ。あなた来週は遠慮してねとのたまった。事細かに枇杷葉の効力の話しを伝え、何度も言わなくてもわかったわ!と。

 その挙句にどうなったか?死にかけて救急搬送されたとのこと。アミグダリンのことも、猛毒であるから生では注意することを言ったのに、あなたのせいで死にかけた。婆さんそりゃないわ、一度に生の種を20個以上も口にして呼吸困難にならぬ方が可笑しい。だから危険ですよと申しました。聞いてなかった。言え証人もいるのにぬけぬけと嘘を吐。

 そういう事態を思ったからこそ、念入りに話したのを聴いていなかったようだ。わたくしの浅学程度では、民間療法の微量も語れません。ネット検索だけでは解らないことも多々あって、少しづつ試してみたりをした上での記載を心がけている。それでも時間には不安に陥ることにもあり、薬効優れた枇杷葉が仇のように思われるのは可なり辛いこと。

 枇杷葉が心から信じて貰っての使用であって欲しい。其々に症状が異なるし個人差も大きいこともあるので、くれぐれも大事に至らないようにして貰いたい。薬は毒に、毒は薬になることも心に留め於く。わたくしも施行していく中でだったり、手当の段階でこれは可笑しいとの違和感を常に持っている。自分の命と引き換えになるかも知れずなので。

 人間の心の中までは窺い知れぬが、時々はっとする写真であったり文章に眼が留まることがある。励ましも慰めもしないが、決して頑張れとも云わない。わたくしがそうであったから、言葉で幾ら励まして貰っても聴けなかった。自分を全否定されているようで何度命を絶ちたかったか、逃げて殻に閉籠って顔も上げられず現世からの逃避ばかりだった。

 枇杷葉を信じていても人間での付き合いはしなけばならず、心の行き場がなかった。仕事を辞めえて収入は無くなったが、心は却って豊かに保てる気がしている。中には通じ合わないこともあり、もどかしい想いに駆られることも多々ある。でも、精一杯に頑張ろうとしなくもいい、と考えられるし想えもする。やさしい方数人に廻り遇えた歓びでも。

 

 
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風が吹くのです

2021年04月09日 | Weblog
 春風なので寒くはないのですが、鉢物の水遣りにうろうろするここ数日。布団を干したり洗濯機を回しての間には、新聞を読み朝食を戴く。あらっ、珈琲を淹れてない。弁当の用意もして数時間を遣り繰りし、何とか昼までに配達を済ませる。これも段取り良くしていかないと、安全運転が出来ない上に事故の元となる。速度は60Km内を守ることで。

 然も今月は交通安全月間であり、急ぐ用事は抱えないことにして外出も避けている。オリンピックの聖火リレーはコロナ対策が優先で、異変種へを防ぐためにも車での走行にされたい。こんな中での走者も大変だが、何となくコロナを広げるのに走っているような気が否めない。経費の莫大さも然ることながら、どうしてこんな非常事態に決行する。

 大阪の万博会場を閉鎖しての走者にすると言うが、コロナ菌は空気での動きもへいちゃらだし無意味じゃない?大阪が万博を遣ろうとするが為の宣伝としか思えないわよ。無駄なことに無理を重ねて、太陽の塔に恥ずかしくはないのか?維新の会の連中の思う儘に走っている大阪、市民を府民を嘗めてんちゃうか。聖火ランナーは辞退が賢明かもな。

 暖かくなってくると黒い物体が台所を疾走し、時にはフライングすることになるが撃退は今だそう。まあ、奴等も生き残る手段として、素早く身を隠して夜間の徘徊に徹すだろう。以前、瓶の口が小さいのにバターを塗っておき、排水溝に立てておくのが捕獲するのに好都合とあった。バターの匂いに釣られるのと、這い上がって行けないからで。

 あ・でもあれが瓶の中にうじゃうじゃいるのを見たら卒倒する、と言う方にはお奨めできません。捕獲した後はどうするのか?貴方にお任せ致します。わたくしは、スリッパで叩くか捕れますのでお陀仏に致します。すばるが追い駆けるので、悲鳴を上げる隙も無くバシッと。百足位なら即お茶湯にして、お釈迦さまに断りを入れておきますからね。

 蝮は長い物を持っていたら飛び掛かられはしませんが、逃がすと後が面倒なので必ず捕獲します。一瞬でも眼を離すと消えるので、頭を狙いますが気絶しているらしいので必ず荼毘に付す。咬まれて血清も二度までらしく、B型肝炎になれば暮らしは一変します。ねずみとりや青大将は、ゴキブリを餌にしているようなので、どっちを優先するか。

 自然界での生きて逝く約束毎には、人間が決めていることの外に多々なる覆せない事柄がある。従って、そういった環境を壊しておいて、怖いだの嫌いだのは間違っているのだと思う。其処に入る時にはそれなりの儀礼もあるのだろうが、人類は自分達のエゴの為に取り尽くしてしまった。今更遅いのか、未だ間に合うかは定かでないのは心許ない。
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花冷えにも…寒いわ

2021年04月08日 | Weblog
 新暦では花祭りとの表示だが、お釈迦さまはこの日には産まれておりません。初夏の時期でそれも梅雨走りの辺りで、むせ返る気温と降り頻る雨の中を突如として止んでの天上天下唯我独尊。産まれて七日間産声も上げなかったとかで母親のマーヤは死去。昔は、いいところの王子・跡継ぎは乳母が育てる伝承。感の強い我儘な子どでもあったようだ。

 実際には遭ったことも無いので事実は伝記のみだが、悟りを開くまでが苦難の道のように思える。沙羅双樹と夏椿は違うのか、と時々思ってみるが罰当たりかも知れずだわ。枇杷葉での手当を行っていたということで充分、薬効は秘密裏にされていて門外不出だったらしいことに驚く。それ位の効力があり、そんじょそこらの扱いではなかったのね。

 昨日、体力の無さか年齢的なことか或いはAさんのかは定かでないが、症状が悪化しているのを感じた途端危険を感じる。背中に生葉をお腹には枇杷葉温圧療法を、何度も貼り換えて行い寸での処で援けて貰った。感能力もこの処強くなっており、誰かの症状が被さったものと思っているが一安心だ。援けられる命のあったことは実によろこばしいこと。

 で。昨夜はぐったり君で延びてしまっていたのだが、スマホにメールの着信がある。既にシンデレラタイムは優に越してのことで、足湯に行って良いかの内容だった。一応了解の返事にしておいて今朝連絡を入れ、弁当配達があるので昼にして貰うことにした。そこではっと気づきブログの更新をしている。夜勤明けで来るので眠ってだとは思えるが。

 予定は未定でも事前に連絡してのことであれば、文句は言わないでいる。特に何かをする訳でもなく、来訪して来るので構わないで居られる。気詰まりの勤務を離れて暫しゆっくりしたいらしい。わたくしは自分のすることもあるので、起こさないようにはするが。すばるが歓迎するので、この娘さんが大好きなのだ。猫にも相性はあるのでしょう。

 気温が低くて霜が心配なのだが、薔薇の蕾も枇杷葉の実や新芽が出て来ての状況ではと案じる。新芽はあっという間に枯れて茶色に転じる。寒冷紗をその時一晩だけ掛けるのもで、実行には移せないでいるのも横着者故。今年は生り年であるが、寒さが厳しかった時期でもあって数は昨年止まりかな?サンタ枇杷の花芽が随分と落ちているのも悲しい。

 暁子さんのやリエさんのには例年通りで、りささんのに剪定後生ってくれた。白枇杷にもある程度の数が見えており、何とか贈れそうだと胸を撫で下ろす次第だ。自然のからの恩恵には、日々の祈りと感謝の気持ちが必要だと教えられる。当たり前ではないことにも気づかされる。今までにもこれからも、沢山の命を分けて貰える歓びを忘れまいとも。
 
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ブログ更新は

2021年04月07日 | Weblog
 最近の訪問に来て下さるのも行かせて貰うのも愉しいので、ルンルン気分が上昇している。わたくしにはテレビを観ることもなく、何処かに出かける意志も少なくて唯一が図書館。活字がなくては気が狂う位の本好きで、児童書始めとして好きな作家さんのは片端から読みまくる。記憶力が好いのかは別として、内容も鮮明に思い出しての独り言。

 映画もコロナの影響でとんと観に行かぬが、志村けんさんの代役を沢田研二さん出演とあってキネマの神さまだけは。まあそれも直ぐにDVDになるかも知れずで思案中。年金暮らしの懐具合にも因るので、待っているのがいいのかもと思う。今朝は、快晴で風もやさしいため布団を広げて、庭を見廻っていたらクリスマスローズに新しい花を発見。

 小米花は、数輪しか咲かずで散っている。ヘレボレス・フェチダスが、沢山の花を咲かせているのにびっくり。以前に買っていたのは枯れたが、何と苗が数本育っていて昨年移植した。この花色が好きなので増えてくれるのはうれしい。我が家では失せてしまう花も、勢いがよく蔓延っているブロ友さんもいていいなぁ。自分ちのでもないのにね。

 通草が物凄い勢いで繁殖中、受粉をするのをどうしようかとちょっと手にしたら折れた。それをあちこちにちょ一寸つけてみたが、どうなのかしら?酢と水を容れての散布も、薔薇や桔梗に芍薬へと掛けている。容器さえあれば直ぐに出来るのも有難い。雨の後には必ず散布しているが、見落とすこともあって薔薇の蕾が消える。バッタ見つけた。

 新聞にデータの大量漏れが載っていたが、あれは情報を専門に盗んでいる機関ではないのか?国は一本化を強引に推し進める算段だが、きっと恐ろしいことが起きる。詰まりは、庶民の生活管理をして泪のおこぼれもないように税金を搾取するんだろう。その手には乗りません。オリンピック有り気で、コロナ対策等何も手打たず懐具合だけです。

 最近はとんと買い物に行かぬので駐車場での車の停め方を見てはいないが、以前出入り口の表示してある場所に、健常者のどでかい車がこれ見よがしに置かれていた。ふ~ん、見せびらかせているのかとも思えたが、身体の不自由な方や年配の方用に駐車とあるのが読めないらしい。其処に停めなくても場所は空いているのに、真に不便極まりない。

 買い物籠も放置するわ持ち帰るで、自分さえ良ければの態度であった。首輪をつけ耳や腕にも鎖を揺らす馬鹿丸出しのブランド趣味だ。田舎にはこういう人種を時々見かけるが、注目されているのではなく見下げているのに気づかない。それよりも飲んだ缶を投げ捨てず、高齢者の荷物をさり気なく持って車に積んであげる方が目立つ行為なのだが。

 お金が腐る程あれば、絶対に隠してないと言い張り、庶民の血税を受け取っているから湯水の如く配れるんです。可哀想な者ですわ、今になってそれは通じませんからね。同じ言い訳でももう少し頭を使って言え!職務も出来なければ行いも最低では誰も出しません。もっと早くに辞めていればと臍を噛むが、上の大物は未だに二階からの指示。

 
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季節は正直ですねぇ。

2021年04月06日 | Weblog
 今朝はぐんと冷え込んでいるのですばるが騒がしく、ストーブを点けると大人しい。出窓にも陽が射しているが、気温は低く寒いので動かない。桜はソメイヨシノは散り終わりを迎え、八重咲の濃い目の桜に転じている。木々の芽吹きは鮮やかで新緑の眩しさに変わっていく。山吹が山裾を彩り、藤が蕾を膨らませているのが遠目に見えている。

 数日前の気温を思えば寒く室内で過ごすのに、慌ててコートを羽織る。陽気に浮かれていては体調が崩れてしまうので、年寄りの冷や水とならぬように気をつけよう。世間では早くも冷房を点けての事情には驚くが、自分の身体を守る意味でも冷やさないのが前提なの。癌細胞は居心地の良い場所では繁殖活動する。冷たい物には手を出さない。

 季節の旬の野菜や生き物を摂っていれば、身体は頗る悦ぶし体内の細胞への指示もまんべんなく出来る。それを胡瓜やトマト等の夏野菜を今からたっぷり口にすれば、均等な細胞を壊して病の基を創ることになる。お金さえ出せば何でも手に入るから、買うことへの自由もあって止めはしない。個人的な思考であり、信念を曲げてまではしない。

 枇杷葉茶を飲用していれば血液はサラサラになり、細胞は各々の働きを行うので無駄な抵抗をしなくても佳い。年齢的な衰えは否めないが、徘徊する訳でもなく自粛していても足腰の衰えは感じない。自律神経を刺激しないのでゆったりできることもうれしく、自然への祈りと感謝で過ごせるのも有難い。他人をやっかむことなく平穏な暮らし。

 わたくしは医者嫌いであり出不精なために、自分自身を守る方法で考えた結果のことだ。従って試してみても続けるかどうかは自由で、本人の意思で遣って欲しい。愛猫が死んだ時の悔しい想いをしたくなくて、すばるにも飲ませているが、実に明確に健康なのには驚く。猫も人間も生き物であるから、以って非なる感じかな?として想像する。

 ブロ友さんにも意思の疎通が可能な方や冗談も真面目さも通じない方も居て、その対応には苦慮することも儘ある。尤も、一度も会ったことはなく今後も恐らく遇うこともない、書かれてある文章から推し量ることで判断するしかないので。時々訪問者数ばかりを誇示する方には、違和感を覚えて遠慮したくなるが黙って押していることも有り。

 素敵な内容は誰が見ても読んでも押せるし、強制しなくても賛同者は増えると思うのだが?唯、肝心要のことに気づけないでいては、相手が誰であれボタンだけの関係となる気がする。わたくしの記載は枇杷葉のことが殆どで、最近は画像が多過ぎると掲載せずで殺風景な限り。訪問者さんには実に多くを感謝するばかりで有難い。うれしさが増す。

 昨日来た人は、珈琲を淹れて自宅に持って帰るだけなのだが、時折訪問しては我が家で喋って行く。枇杷葉茶も花芽や種を大量に上げているが、飲んだ時の感触が違うと言う。それが判るから持って帰らせているのだが、こちらとしては料金を催促した覚えはない。だから枇杷葉茶も送って上げられるが、着払いをお願いするのは年金暮らしの為。

 働いていた時には遣り繰りでどうにかなっていたが、不要の支出をしてまでは押し付けない。偶に視えてしまって、これは放っておけないという方には送るが、お返しは必要ないので貰わない。それよりも体調を一日も早く戻してくれるのが願いで、相手に取っては要らぬ事であり迷惑なお節介とも承知している。信じるしかないのだが心許ない。

 
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徒然に・・・

2021年04月05日 | Weblog
 今朝予定は立てていなかったが、薔薇が気になって青虫を数匹捕り酢を水で薄めたのを散布する。通草も蔓をどんどん伸ばすので絡ませたり下に巻き付かせたりとしておく。太陽の光・光合成のためだが際限なく広がって、花も沢山付いているので切れずである。ちょっとこっちに来てね、と声をかけてやるが知らない人が聴いたら怪しい。そりゃね、誰との会話だろうって。

 枇杷葉の枯れた花芽を樹を揺すって落とし、青い実を見れば親指大になっているのもある。来週が弥生になるのでと予定ではあるが、少しづつ袋を掛けていくかな。雨が降ったことで花木の勢いも半端でなく、ドイツスズランが小さな鈴を見せてきた。アネモネやクリスマスローズはしっかり咲き、スイトピーも大きくなってそろそろかな?木香バラは数輪が咲き始めているよ。

 初夏に咲く筈の物が、何だか気温の異変で一気に綻びてきた。芍薬も今年は芽が出て伸びて、これで霜でも降ったら一大事だわと気が気ではない。椿が今頃に咲きだしたのにびっくりする。今年は、蕾は見えるが咲かないものと、思っていただけにうれしい反面心配も尽きぬ。自然の物はあるがままで好いのに、自分都合で愉しもうとするからなのだとちょっと反省もしている。

 昨夜、珈琲を明日貰いに行っても良いかと連絡があり、飲む分と持ち帰り用とを淹れて待っている。Aさんちで水を分けて貰えるようになったので、味の違いが判れば本物嗜好?珈琲の挽立てを布の濾しで淹れるのが最高なのだが、そこまでの手間はしない。否相手にも依ります、これは自分用と決めているので。時間はたっぷりあるし暇ではないが多忙でもなく使い方工夫。

 PCがあるのだから、リモートも出来るとは思うのだが操作方法に固い頭が馴染めない。まあ、基本はブロ友さんとはここでの行き来だけの方が確執がないだろう。親しき中にも礼儀を弁えていないと、お互いが気分を害してしまう。特に病の進行状態を知っていても、慰めや励ましはしたくない。余計に気分がどんよりしてくるし、身も知らぬ方にまで言われたくもないわよ。

 只でさえ気分が落ち込んでいるのに、励ます心算でも更なる追い打ちをかけることになろう。頑張って等言わないで!と怒鳴りたくなる。精一杯やってきたのを全否定されてしまうし、頑張れと出来ぬから弱音も吐くのだ。やさしさの裏返しは自分に厳しいことと、相手を思い遣れることかもしれない。個人的には話題に触れず全く違う文面にして、それが判る人で居たいもの。

 自然は厳しいけれども、援けを求めていけば応えてくれやさしい。倉本聰さんの書かれた北の国からには、人間の根本でのやさしさがあった。それをさり気なく演じた田中邦衛さんは、役者というよりも人間そのままの方だったと感じている。樹木希林さんも、役どころを演じているというよりも芯が座っていた。笑わそうとするよりも、泣かそうとしなくても感応してしまう。
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清明・下弦・小潮、三隣亡

2021年04月04日 | Weblog
 二十四節気 清明 春の日差し強く、天空清く、晴れ渡ると言う意で、清明と呼ばれる。毎年四月五日頃である。今朝は曇りであるが雨を含んだ気配で、本日の花見に影響があるのは確かだ。まあ断れば好いようなものだが、雨天でも行こうとの誘いを無下にも出来ない。晴れていればという気持ちでなく、その日の花を愉しめばいいのだから。自然の成り行きには必ず意味もあるもの。

 独り暮らしを心配して、実の娘よりも来てくれるので有難い。何をするでもなく有るでもないこの場所を、歓んでくれているのもうれしいもの。お互いに干渉し過ぎにはならないように、出来ることでのおもてなしにしている。スマホを自由に操っているので、退屈もしていないようだし頃合いも知っている。独身であるとか性別でのことも無くて援けられる。おんぼろ家が良いとか…。

 一理あるのだ。大きな家で掃除も完璧装飾品もブランドで、というなら窮屈極まりないとのたまう。それは褒めているのかどうかだが、居心地が好いのならそれで充分かな。何よりも、此処に来れば気持ちが落ち着きゆったりできるそうだ。思わず笑ってしまうものの、我儘を言うのでもなく身体を伸ばせている。従ってこちらも気を使わずで済み、何時も通りのことが出来る有り難さ。

 小さな親切にも大きなお世話となれば、却って気持ちも塞ぐもので一声掛けるのも難しい。わたくしの趣旨に反することには違和感を感じるので、病の感知はしていても見守る以外にはないと心得ている。慰めも励ましもしないでそっとしておきたい。然しながら枇杷葉茶での援けは惜しまない。何人か枇杷葉茶や焼酎に漬けてくれた方の体調が気にはなるが、自分での判断に任せたい。

 そうしてでないと、他力本願となって何時も自分では決められなくなる。結果的に良ければ言葉で有難うで、悪く出れば非難してくるからだ。そういう心の貧しさが病を招き、悪化するということに気づけない。自然に任せると言うのは、己の努力が大きいものだし誹謗中傷には至らず及ばないもの。人間は産まれたら死ぬ生き物で、それが何時かはわからないから歩んでいるのだもの。

 自分で決めたことであれば許容範囲と認めざるを得ない。何かを相談するにも略こうであると決め兼ねてのことで、話した時点で決心もする。でも聖人君子でも悟っているのでもないから、悩むことにも苦しみにも遭遇する。心の中で泪しても、人前に出る時にはそれを見せたくない。弱さも気づけぬようにしているが、稀にそれが判ってしまう方に飛び込んでしまうこともあるのです。

 何もないと云うことには与えて貰える歓びが多いし、祈り感謝を怠らねば努力し続けられて進め、逝ける路があるということかもしれない。それが判らぬから生きているのだとも思う。小難しい屁理屈を垂れなくても、死ぬ時には何も持ってはいけない。子ども等はわたくしが死ねば、何もかも塵で出すことは予測できる。それまでに欲しい方に譲れる物は差し上げれば好いことも有。

 
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遠山金四郎出現か!

2021年04月03日 | Weblog
 今朝は、予定通りの早起きをして朝食も何処へやら、新聞も流し読みにして巻きずしに取り掛かる。巻くのは直ぐだが卵焼きやら材料を切ったりの作業と、何やかやと手間取るのに歳を感じる。本日はご飯5合での巻きなので、材料も少なめにしたのが正解で残りなく済む。定番の蒲鉾・竹輪・沢庵と、ほうれん草に高野豆腐・卵焼き・干瓢を入れシーチキンが無くマグロフレークに。

 弁当配達予定だったので無理はせず3本を、自分用に2本除けて入学・入園祝いに持ち帰らせるのに4本巻いた。酢飯を海苔に広げる段階で多く乗せたら失敗で、やっぱりご飯は少なめに控えたのが巻き易い。弁当を届けてAさんちに寄って頼まれ物を置き、役場に用事があって行くが留守番職員が頼りない。まあ、出直すかなと思ったが上司に聞いてくると解決して済む。臨機応変だよ。

 桜は見事に散っている有様で、運転中を忘れてしまう桜吹雪にびっくり!束の間、タイムスリップして遠山金四郎のお白洲に迷い込んだ。あ・でも大岡越前の加藤剛さんの方がいいなぁ。などと不謹慎な発想をしつつ川辺の花筏を眺めるのでした。八重桜が咲きだしている、御衣黄桜も、今年は早いなぁ。春の期間は長いのだが、花が咲きだしてからの日々が目まぐるしいのに慌てる。

 で。それに釣られた訳でもないのだろうが、既に鯉幟のはためきも見える。おおっと!それを出すのは雛飾りを仕舞っての4月4日以降だろ?若い者が物を知らないのではなく、話したり聞かせる者がいないからだが、自分達の都合勝手に依り過ぎ。今は、出したらそのままで5月5日までで終う。違うんだなぁ…と胸の内では思うが莫迦らしくて物云わずに。旧暦ではないからいいの。

 薔薇の蕾が沢山見えるのでうれしくしていたら、あららっ緑の毛虫が葉を齧っている。夕方にも今朝も一匹づつ手で捕っている。農薬はかけません。これね、化粧水にするのでしないの。ドクダミも蓬も草木にも、農薬は一切掛けない。呼吸をする時や庭を徘徊していてあの臭いを嗅ぎたくなく、自然のままの花の匂いに酔えるのが好いのだ。癌細胞が喜ぶようにはしたくはない。

 花殻を摘む時や枇杷葉の枯れた花芽を落とす時にも、一寸いいかな?ごめんねと言ってしまう。先日も、よろけて新芽を踏んでしまい、痛かったろうと謝った。折角の花も咲けないのでは申し訳ない、人間の眼を楽しませ心を潤すことをしてくれて感謝するばかり。乙女椿がようやく咲きだし、白椿(カミーリア)は寒さにやられた。自然の厳しさを何等文句なく甘んじる草木だ。

 クリスマスローズもその殆どが満開となって、種を作っている。ブログ仲間にしてくださった方で、黄朱色の花を見事に写されていたので思わずこれは太陽の雫に見えると書き込んだ。そのまま書いてくださってびっくりしたが、とても恐縮しながらもうれしかった。多くのファローさんもおいでなので躊躇もあったのだが、兎に角撮影される被写体のどれもが心を捉え魅了される。
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施行には全神経で・・・

2021年04月02日 | Weblog
 Aさんの手当に行き、全力投入での気をして帰るが反動が強く出てしまう。生半可の治療では済まないことは承知しているが、検査入院すると言われ全神経を使う。何時もならそうでもなく終えられるのが、ここでは身体に伝わる物があって取り去るのに難儀となる。見えない物が視えるという体質も、好いことばかりではないのを知り乍らでもあるが応えた。頭痛が止まない。

 帰宅してみれば毛布と敷布団とが、風に煽られて落下している。仕方がないと洗濯機に放り込み洗って干した。通草の蔓がどんどんと伸びており、ぐんぐんと上に登っても困るので下に誘引させる。庭に出ればすることが多くあり、時間を忘れてしまうのも難題ですなぁ。気温は高いが以外に外は冷えるので要注意だなと中に入り、背中が殊の外痛いが誰かの症状を受けたらしい。

 是は如何と腹部に枇杷葉の生葉を貼ってブログ更新をしているが、直ぐに効果が出て来て毒素を排出した。わたくしの手当はお金目当てではないので請求できない処が弱み、自分が対処すれば好いことなので何とかしよう。沢田研二さんの、DVDやCDを観たり聴いたりで治るのも有難い。あと○○さんのブログに往けるのも好く、あの写真を観てると癒され心が落ち着くのが佳い。

 林檎の花が咲くかしら?実が生らないのは接ぎ木をしないからだそうで、その手の器用さは持ち合わせていない。足長蜂が数匹飛んでいて、巣をつくる場所を物色している。木香バラの辺りを徘徊しているので注意、風通しを良くしてあるのに上手く隠れる。紋白蝶が飛んでいる。揚羽はこの時期に飛来したら、卵を産み付けているので柑橘類やパセリ・セロリでは孵化させるよ。

 昨年、はり灸さんの所で越冬した揚羽は孵化して飛んでいるのかな?自然の生き物は、自分の身体のサイクルを実によく知っているので、条件が揃えば活動し始める。人間は厄介この上なく表面上で出てくるのはいいが、内部に異変があると心の持ち次第となってしまう。枇杷葉はどんな症状にも効果が大きいので、先ずは枇杷葉茶から始めてみられるのも好いように思えるのだが。

 この時期の枇杷葉は、新芽を出して夏場に備えていますから古い堅くてごわごわの葉を採ります。それを洗って水滴を拭き取り患部に当てて、温めた蒟蒻を乗せたりします。先日、焼酎に漬けられた方は色の変化がありませんか?エキスを少量飲用(小スプーンかペットボトルキャップ1杯)されるのも患部に当てるのも良く、帯状疱疹等痛みも和らぐ。枚数にも因るので確認を。

 で。その際の大切な心掛けに、これで援けて貰える感謝と祈りを忘れないで。どんな物にも命があるのですから、使わせてもらうわね、ありがとうねは必要です。自分勝手な願いだけでは治して貰えないことを添えます。自然からの恩恵を分けて貰い戴くのですから、そのことへの想いは多くを語らなくても通じ、加えて見返りを要求しないのも自然のありのままの姿なのですね。
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4月馬鹿に

2021年04月01日 | Weblog
 何時も無意識で?発言内容を確認せずに話せばお叱りを受けるが、本日は正々堂々と嘘が吐けます。どんな嘘も多めにみてくれるなら、ここは年金を増やすとか消費税は取止めを発表して。庶民の懐には何等思惑も無く、自分等の貰うべきものだけは仕事をしていなくてももぎ取る。コロナのせいにしているが嘘で塗り固めた引継ぎに、庶民は騙されないが手立てを遮る。

 花見に浮かれてどんちゃん騒ぎをしても、減給で済ませる馬鹿さ加減にうんざり。マスクの義務化だのマンボウ化を進めても、感染防止は止められません。オリンピックを中止にして、自国民を安全且つ生活していけるように手立てを講じないと経済は回るまい。老後の年金も二千万円もの貯蓄なら、平気の平左で嘯けるだろうが僅かだろうが苦しい実情を思えない愚策。

 次期選挙でのトップの座に首を幾ら挿げ替えても、裏で糸を引き操っているので中味には無意味でもある。だが、流石に前・現には飽きているので出ないでくれ。給料自体を無給にすれば、誰も出る者は居なくなろうし国策も本気で取り組むかな?オリンピックの諸費用の膨大さにたまげ、庶民の血税の行方に茫然自失。税金に縛られての生活だが、これには如何とも。

 弁当配達の日であるので今朝は早起きで作り、洗濯も回して干し布団を外に出し新聞を流し読みにして珈琲を飲む。豆を挽いて淹れたいのだが壊れたので出来ない。接触不良であると思うのだが自分では直せないので、新しいのを買うかなと思案中である。Aさんに枇杷種を粉砕したのを持って行こうとして、途中から動かなくなったのだ。何てことだ!今後は粉にする。

 庭の水仙が咲いてくれ一輪だけかと思っていたら、小さな蕾が後ろに見える。通草は蔓を伸ばして勢いが良く、花も咲きだしているのに受粉してみた。おおよその数だが300近く下がっている。トイレにドクダミを植えこもうと鉢に移植してみた。花が咲いたら飾るがまだ先のことで、今時分ならお浸しや天麩羅が美味しい。農薬を掛ける前に活用方法を考えてみたい。

 農薬も濃度に依ったり種類にもあるのだろうが、身体への影響は否めません。自然の声を聴く心はありませんか?土の利用には10年が掛かることを考えれば、地球への嫌がらせです。自然を傷つけない方法で対処できるのを、簡単で手早いと時間を惜しむ。吉沢久子さんが書かれている本には、何が大切なことかが載っている。人間だけが生きているのではありません。

 住井すゑさんも畑は猫の額さえあれば充分だ、と言われていたことを思い出した。橋のない川は余りにも有名だが、生き方は清貧の暮らしをされていた。明治期から大正・昭和へと激動の時代を生きて来られ、人間の命の重さを尊さを小説に書き上げた。映画にもなったが衝撃は鮮明。丁度高校生の頃でもあり、多感な想いに揺れ動いた。差別は無くならず形を変えて。

 旧暦では如月で、弥生は4月12日からとなる。従って4月はエイプリルと呼ぶのが正しく、新暦も旧暦もごっちゃ混ぜには違和感が強い。英語を喋るのは不得意だが日本語は正しく使いたい、決して喧嘩を売っているのではなく疑問を感じる故です。東京オリンピックか?スポンサー企業ばりの物なのか?コロナのせいにして行うだけの価値があるんだろうか不思議?
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