二十四節気 穀雨 春の太陽が強さを増してき、この頃の雨は、五穀の成長に、天の慈雨と言う意で、穀雨と呼ばれる。毎年、四月二十日頃である。今朝も家内は変わり映えもせずの寒さで、ストーブを点けては見たが外は陽気に溢れている。布団を広げていると汗が出る始末だが、体調に異変が起きていてそれどころではなかった。
緊急事態発令となり、枇杷葉の生葉を5分間隔や10分措きでの交換となる。大体の予測はついているが、わたくしの持っている力の限りを贈っていなければと遣る。1時間も経った時点から少し楽にはなって、弁当配達に出られた。すばるの餌とトイレ砂をJCBの金券で購入し、燃料補給をして図書館に寄り帰宅する。疲れてしまう。
地元の図書館は例年のことだが、大型連休は長期の休館に突入するのでその間の貸し出しが延長となる。魔女の目覚めが中々読めないため、これで2回目の延長を自動的にしてくれた。新刊の場所に、なかにし礼さんの著作を見つけ借りる。あ・この手の二枚目に弱い。筒井康隆巨匠の新刊とエッセイ数冊も予約して気分は爽快。
帰宅した途端、枇杷葉を見ながら気分が落ち込む。沢田研二さんが、ジュリー祭りで80曲歌った後半時に未だ終わんないのか…!と言った件でとは似てもいないが、後幾つ掛けたらいいのだろう。応援と助っ人を依頼したが、遠いのかつれない。あの年に700袋掛けた時には必死でしたが、3年経過すれば体力も気力も低下するんだ。
毎朝に庭を徘徊するのだが、薔薇の蕾をバッタに齧られていた。3㎜程の小さいのが飛んでいるのだが、見つけても捕まらない。夕方には巣に帰ってきた脚長蜂を見つけて、隙を狙って落とした。この処風が強いので、枇杷葉の葉の陰に巣を作っていた。今朝は洗濯物干し場を飛んで、早めに退治せねば遅れたら危険となるのは確実。
この数日、気温の変化が激しいので体力が付いていかない。昨日は午後から足湯に来ての夕方まで滞在していたが、肩凝りと言うのかリンパ腺が腫れていてエキスを塗布して揉む。足裏もマッサージを繰り返して施行したのだが、それが伝わって来たのも確かだ。一人手術をされた方が居て、全身全霊で力を注いで疲れたのも。
病への予感と言うのか予兆が視えることが偶にあり、こちらからは流石に言うのにも差し障りが出る。どうか気づいて、と念を贈っていても通じない人も居るのは仕方のないこと。わたくしの力がもっと強かったり、有態に云えばいいのかも知れないが命のことなので無理。偶に察知してくれてだと、心に違和感がなく受けれる。
それには言葉での表現だけではないので、それを相手に分かって貰おうとしてもできない。何が要因で繋がるか?或いはそれが判るのかは不明なのである。森羅万象のことを、熱心に研究された福島正信さんの著作を読まれてください。藁一本の革命。また哲学の本を紐解くのもいいかもしれませんし、迷いを祓う経本もよい哉。
でもこういった経験や体験には、己の欲があれば成就出来ない気がする。修験者のように山に籠り、粗食を口にして質素堅実な暮らしは誰にでもが可能でもない。最低限の生活を保障とあるが、テレビも無ければ車も持たず、電話もスマホやPC等除外でしょうねぇ。税金だけをあらゆる物で強制的に没収されて、残ったのは何も無い。
緊急事態発令となり、枇杷葉の生葉を5分間隔や10分措きでの交換となる。大体の予測はついているが、わたくしの持っている力の限りを贈っていなければと遣る。1時間も経った時点から少し楽にはなって、弁当配達に出られた。すばるの餌とトイレ砂をJCBの金券で購入し、燃料補給をして図書館に寄り帰宅する。疲れてしまう。
地元の図書館は例年のことだが、大型連休は長期の休館に突入するのでその間の貸し出しが延長となる。魔女の目覚めが中々読めないため、これで2回目の延長を自動的にしてくれた。新刊の場所に、なかにし礼さんの著作を見つけ借りる。あ・この手の二枚目に弱い。筒井康隆巨匠の新刊とエッセイ数冊も予約して気分は爽快。
帰宅した途端、枇杷葉を見ながら気分が落ち込む。沢田研二さんが、ジュリー祭りで80曲歌った後半時に未だ終わんないのか…!と言った件でとは似てもいないが、後幾つ掛けたらいいのだろう。応援と助っ人を依頼したが、遠いのかつれない。あの年に700袋掛けた時には必死でしたが、3年経過すれば体力も気力も低下するんだ。
毎朝に庭を徘徊するのだが、薔薇の蕾をバッタに齧られていた。3㎜程の小さいのが飛んでいるのだが、見つけても捕まらない。夕方には巣に帰ってきた脚長蜂を見つけて、隙を狙って落とした。この処風が強いので、枇杷葉の葉の陰に巣を作っていた。今朝は洗濯物干し場を飛んで、早めに退治せねば遅れたら危険となるのは確実。
この数日、気温の変化が激しいので体力が付いていかない。昨日は午後から足湯に来ての夕方まで滞在していたが、肩凝りと言うのかリンパ腺が腫れていてエキスを塗布して揉む。足裏もマッサージを繰り返して施行したのだが、それが伝わって来たのも確かだ。一人手術をされた方が居て、全身全霊で力を注いで疲れたのも。
病への予感と言うのか予兆が視えることが偶にあり、こちらからは流石に言うのにも差し障りが出る。どうか気づいて、と念を贈っていても通じない人も居るのは仕方のないこと。わたくしの力がもっと強かったり、有態に云えばいいのかも知れないが命のことなので無理。偶に察知してくれてだと、心に違和感がなく受けれる。
それには言葉での表現だけではないので、それを相手に分かって貰おうとしてもできない。何が要因で繋がるか?或いはそれが判るのかは不明なのである。森羅万象のことを、熱心に研究された福島正信さんの著作を読まれてください。藁一本の革命。また哲学の本を紐解くのもいいかもしれませんし、迷いを祓う経本もよい哉。
でもこういった経験や体験には、己の欲があれば成就出来ない気がする。修験者のように山に籠り、粗食を口にして質素堅実な暮らしは誰にでもが可能でもない。最低限の生活を保障とあるが、テレビも無ければ車も持たず、電話もスマホやPC等除外でしょうねぇ。税金だけをあらゆる物で強制的に没収されて、残ったのは何も無い。