神戸・新在家「ぐいぐい酒場 カシモト」。この日で長年の営業を
閉じると聞き、行ってきた。
神戸製鉄など重厚長大な産業が盛んだった時代、ここは工場帰りの
軽く一杯ひっかけて帰るオッサンたちで大いに賑わった。
最終日ということで、多くのファンが詰め掛けていた。
燗酒と湯豆腐。これをもう一度食べたくて来た。
ソーセージには、皿盛り・明治屋の缶詰・魚肉の3種類あり。
神戸の師匠は常は缶詰ばかり、皿盛りを頼んで感動したと言う。
長年通った人は、センチメンタルな気持ちにもなろう。
壁の振り子時計は85年1月17日の阪神淡路大震災の日に
停まったままだ。
9時には閉店。もう肴は何にもなくなった。
ここは酒屋併設だが、それもひとに貸してしまうのだと聞いた。
常連ではないので、一歩先に店を出る。
サヨナラだけが人生なのである。
酒場の空気は店の姿勢もさることながら、客が醸しだすものだなぁ…としみじみ思います。
そんなふうに客を仕向けていくのもまた、店側の姿勢だったりします。お客様は神様です…といって、何でも受け入れておもねるのも方法ですが、あくまで立ち飲みなんですから、客は安く済まそうと思っている。ならば客にも最低限、店側に協力する姿勢っつうのが欲しくなりまさぁ。そうでない客は自然と居辛くなる。判る客が残り、みんなで盛り立てて行く。そうして地域にとって大事な店になることが立ち飲みの存在理由みたいな気がするんですなぁ。