千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成19年 9月度定例会
1.開催日 : 平成19年9月28日(金)
2.参加者 : 57名
3.集 合 : 千葉NTT前7時15分
日 程
千葉駅7:30発 大型 満席1台 → 木更津・アクアライン経由・川崎 → 大山・追分(ケーブル)下社 → (ケーブル)下社 → 大山寺 → (ケーブル)
下社 → 昼食(美味しい中華料理) → 武相荘 → 千葉NTT前到着19:00
57名の会員を乗せた満席の は一路有名な なアクアラインへ到着。
に恵まれ、窓外の景色に皆さん大満足 久し振りにお会いした方、初めて隣のお席になられた方もパンフレットを手に早くも親しくうち解けられ、役員の皆様の素晴らしい企画に感謝の
お言葉があちらこちらから聞こえて参りました。
先ず 下車後、384段の石段 を登り → → 下車 →
1.大山阿夫利神社(あふりじんじゃ) <祈雨・祈晴の神>
御朱印 本社登山口 途中まで挑戦した会員
下社拝殿(678m)。下社には「大天狗の碑」、「とうふ塚」があります。
本社(海抜1253m)は、往復2時間半を要しますので今回は登りませんでしたが下から見上げる急な階段に時間がありましてもとてもとても登れそうにありませんでした。
大山名水「神泉」を戴きましたり、境内の散策に爽やかな秋の風情を堪能いたしました。
2.雨降山 「大 山 寺」
→
「歴 史」 (大山寺パンフレットより)
大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝 7年(755年) に開山したのに始まります。
行基菩薩の高弟である光増和尚は開山良弁僧正を継いで大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立。
その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。
明治初年の廃仏棄釈により、現阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。
「国宝大山不動尊五檀護摩法要」 (大山寺パンフレットより)
五檀護摩供は古来天皇家の大事にのみ行われた修法でありましたが、今や日本国中当山だけに残る大祈祷会です。との事です。
この度は、役員さんのご配慮にて住職さんに説明をしていただく機会に恵まれました。
国宝大日大聖鉄(くろがね)不動明王を拝顔することも出来ました。
3.町田・武相荘(ぶあいそう)<旧白州邸・昭和18年から以来60年住む>
入場券 素敵な門構えの入り口 レストランの灯りの見える園内
(パンフレットより転載)
白次郎氏は、総理大臣吉田茂に請われGHQとの折衝に従事。
日本憲法の成立に深くかかわる。GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」と言われた人。
正子さんは、樺山伯爵の二女。幼児より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。
戦後小林秀雄、青山二郎らと親交を結び、文学・骨董の世界に踏み込む。
銀座に染織工芸の店「こうげい」を営む。
出版物も多数あります。
「武相荘」とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因んでまた、彼独特の一捻りしたい気持ちから無愛想をかけて名づけたようです。
娘・牧山桂子さん が管理。桂子さんは主婦ですが、料理の達人で料理の本を出しておられます。
として、囲炉裏風景にはお料理の達人、桂子さんの秋の味覚満載のお料理が又、正子様の素敵な秋の和服が所狭しと展示、
更には愛用の書斎がそのまま残されており、ご主人様から の素敵な 膝掛け に皆さんから「まあ~素敵」 の感想が聞かれました。
茅葺き屋根も見事に改修され、昔懐かしい風情に心和む思いでございました。
訪問先希望アンケートに沢山のお方がこの「武相荘」をお書きになられた事を伺いましたが、私も「是非行きたい」希望者の一人でした。
お陰様で待ちに待った「武相荘」のお庭での記念撮影と、記念にご夫妻をご紹介されている一冊の本を求めることが出来ました。
爽やかな秋の一日、皆様と親しく有意義な見学が出来ましたこと、役員の皆様に感謝を申し上げながら未熟な記録ですがまとめてみました。
役員の皆様に改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。