千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成20年 12月度定例会
12月3日(水)は “千葉県木更津市” を訪ねます。
千葉 ・ 木更津と言えば 證誠寺の童謡 “狸ばやし” で有名ですが、證誠寺の住職から講話と “狸ばやし” の由来等を聞きます。
また、成就寺 で住職から講話を聞き「波の伊八」の彫刻 “狛犬” (こまいぬ)源氏物語屏風一対を見学します。
木更津には古墳が多くあります。
「金鈴塚古墳 (およそ 6 世紀後半)」からおびただしい副葬品が出土され、その中に“5 個 の純金の鈴” が出てきました。
昼食は、母子二人の 創作ランチ です。下見で美味しく満腹なりと!
上記のご案内に大勢の会員が参加を致しました。
1.開 催 日 : 12月 3 日(水)
2.集合場所 :JR木更津駅改札口 9時30分
3.参加人数 : 69名
4.木更津市について
その昔、大阪城へ徳川家の水軍徴募に応じた木更津の水夫24名は、遠く淀川口に奮戦して生き返る者数。
やがて徳川家は江戸開幕に際しこの地を徳とし、上総房州の旅人 ・ 物資は専ら木更津より渡海すべきの特権を与えた。
以来「木更津船」は江戸期を通じて威風あたりを払って江戸湾を往復し、港街木更津は繁栄して遊侠の風おのずから漲りその盛名と共に繁盛は房総随一の活気を呈したと言われていたそうです。
5.訪 問 先
(1)木更津市郷土博物館・金のすず
(イ) 太田山公園
木更津市を一望できる小高い丘全体が公園となっていて、桜やつつじの名所でもあります。
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの丘に立ち、荒海を鎮めるために身を投げた弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んだと言う伝説ゆかりの地である事から 「恋の森」とも呼ばれ
ています。
公園内には、フィールドアスレチックや遊歩道が設けられ、県立上総博物館、金鈴塚遺物保存館、旧安西家住宅もあり、木更津の歴史と文化の拠点となっています。
又、「きみさらずタワー」(日本武尊と弟橘媛のブロンズ像がデザインされた全高28mのタワー) から展望する景色は、晴天時には横浜ベイブリッジや東京湾アクアライン、新宿副都心
などが見渡せるところです。夜間は、ライトアップされます。
「きみさらずタワー」
(ロ) 木更津市郷土博物館(元上総博物館)
平成20年10月1日(水)午後1時オープン!
長年親しまれてきた千葉県立上総博物館は、木更津市に移譲され、装いも新たに「木更津市郷土博物館金のすず」としてオープン。
新しい博物館は金鈴塚古墳から発掘された、数々の貴重な出土品をはじめ、木更津の歴史や文化を展示しています。
入 場 券
(ハ)金鈴塚遺物
出土した金鈴は5個。
直径1cm、重さ1.25gほどの小さな鈴で,純度の高い金で上部と下部を別々に作り、ロウ付けして合わせる手の込んだ造りをしている。
中には小石が入っていて、出土した時、すずやかな音色で鳴ったという。出土状況から、太刀飾りか腰帯の装飾と考えられている。
なかでも 5個の純金の鈴 は、国内でも唯一の貴重な出土例であることから、ここに「金鈴塚」の名がついたのです。
金鈴は、国の重要文化財に指定され,市の旧金鈴塚遺物保存館(昭和31年~平成20年)で保存・展示していた。
平成20年10月からは、旧県立上総博物館と統合した新郷土博物館「金のすず」で公開されています。
5個の純金の鈴
(ニ)旧安西家住宅
太田山公園に昔懐かしい茅葺の民家が建っています。江戸時代中期の建築とされる市内草藪・安西家の住宅で、ここに移築復元したものです。
安西家は旧草藪村で代々組頭を勤めた農家で、上総地方最大級の民家の一つです。
建築当時は居住部分と土間が別棟となった分棟型の民家でしたが、江戸時代末期に現在の直家型に改築されているそうです。
(2)昼 食 (割烹・田園) 母子二人の創作ランチです
大通りからちょっと路地を入った静かな佇まいのお店でしたが、美味しい和食を心ゆくまで楽しむことが出来ました。 又、お訪ねした ~ い 多くの皆さんの感想でした。
(3)證 誠 寺(しょうじょうじ)
住職さんの話術に魅了されながら、心の安らぎを覚え、また、有名な「狸ばやし」の童謡のお話などについて講話を頂きました。
證誠寺(しょうじょうじ)は木更津駅西口の市街地に位置し、樹木が生い茂った趣深い寺です。かつては寺子屋として名高く、境内には、市内文人の筆を納めた筆塚があります。
しかし、何と言っても證誠寺といえば「狸ばやし」でしょう。
月夜の晩に和尚さんとおはやしの競争をして、3日でついに腹の皮が破れて死んでしまった大狸のおかしくも哀れな伝説で、群馬県館林市茂林寺の「分福茶釜」、愛媛県松山市の「八百八狸物語」
と並んで「日本三大狸伝説」のひとつとして語りつがれており、大狸を葬ったという 狸塚 があります。
「しょ、しょ、證誠寺、證誠寺の庭は…」 誰もが口ずさんだことのある「證誠寺の狸ばやし」は、大正8年にこの地を訪れた詩人・野口雨情 作詩、中山晋平 作曲 以来愉快な童謡として全国で親し
まれてきました。
昭和31年には境内に童謡碑(雨情・晋平両先生の直筆)が建てられ、現在では毎年10月下旬には地元の小学生が、狸や和尚さんに扮して童謡にあわせて踊る楽しい「狸まつり」が催されている
そうです。
證誠寺住職の講話を伺いました ぶらっ~と訪れた 山下清 画伯の作品
狸 塚 童 謡 碑
(4)成 就 寺
室町時代応永 33 年建立。大菩薩峠に登場する「剣豪・中村一心斎」の供養塔。
初代波の伊八の彫刻「狛犬」 (こまいぬ)。
木更津甚句で全国に木更津の名を広めた芸者「若福(本名 小野キク)」のお墓がある。
小野 キクさんのお墓
(5)八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)
源頼朝が鎌倉開幕に当たり、神領を寄進して神殿を造営したといわれています。拝殿の天井には、狩野派の技法で風景・花鳥・動物などの装飾画が描かれており、18世紀の作品です。
(6)木更津会館 (見番)
木更津の花柳界は大正から昭和 30 年代にかけて全盛を誇り、最盛期には 200 人もの芸者が在籍していたそうです。
その中心的建物として「木更津会館 (見番)」は当時のまま保存されています。現在では「踊りや小唄」の稽古場所として活用されているそうです。
(7)光 明 寺
光明寺本堂 切られ与三郎の墓
木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。
実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な「切られ与三郎の墓」があり、現在でも歌舞伎役者の香華が絶えず、
墓の脇には坂東玉三郎や片岡仁左衛門の卒塔婆も見られました。
(8)選擇寺(せんちゃくじ)
選擇寺本堂 こうもり安の墓
選擇寺の現本堂 は、平成12年 国指定の登録文化財 です。
「与話情浮名横櫛」で、 “切られ与三郎”の相棒だった「こうもり安の墓」があります。
また、上総飯野藩初代保科正貞の兄正重親子、幕末の豪商で文化人でもあった稲次東渓の墓もあります。
文化年間(1804~1818)には、小林一茶が度々当寺を訪れていたと伝えられています。
(9)逆さ狸「きぬ太くん」 木更津駅前にあります
野口雨情の童謡にあるように月夜の晩に和尚さんと狸達が踊り明かしています。
その中で逆立ちまでして楽しげに踊る一匹の狸が「きぬ太くん」です。
『時には逆さになって見てみよう。今まで見えなかったものが見えてくるはずです。
新しい発想で市民一人一人がこの街を見つめ直した時、それぞれの力はささやかであっても、それは大きな力となります。』
ときぬ太くんからのメッセージです。季節によって装いが異なり、クリスマスを間近にした現在は、サンタさんの姿でした。
会長さんを初め、役員の皆様のおかげで郷土・木更津市の歴史を学ぶ機会に恵まれましたことに心から感謝を申し上げております。
昼食は「割烹・田園」での創作ランチを心ゆくまで楽しむことが出来ました。
おかげさまで、万歩計は14,000歩を記録、健康的な有意義な散策が出来ました。
貴重な資料及び会長さんが撮影された素晴らしいお写真を頂き「旅の思い出」が綴れますことも喜びとするところでございます。
未熟なブログですがお読みいただきまして、訂正箇所などご指摘頂けましたら幸いに存じます。
歴史倶楽部の益々のご発展と役員の皆様並びに会員の皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
今年一年大変お世話様になりまして誠に有り難うございました。