毎日大不況のニュース、そして心から大きなを贈らせて頂いておりますノーベル賞授賞者の近況などの報道に一喜一憂しております。
しかし、67年前の12月8日 はどんな日だったのでしょうか。
戦後生まれの人口が多くなり遙か遠い事と風化の途に在る現在「難しい事実は解りません」事を前置きにして、誤った国策、戦争責任者は誰!に
戦争犠牲者の一人として真実を記憶し、伝え継ぐ者として に学びました。
一話目は
平成20年12月7日(日)「最後の戦犯」
「戦争犯罪」に問われた若者の心の葛藤を自ら綴った膨大な手記をもとにドラマ化したものでした。
「人を斬ったときの感じは忘れられない」 と苦しみ自分の命よりも 「命の重み」 に罪と向かい合い、自らの覚悟、決断に感動致しました。
二話目は
平成20年12月8日(月)
「3月10日 ・ 東京大空襲 語られなかった 33枚 の真実」
地獄の写真を撮り続けた男 ・・・ 石川光陽氏 の写真をもとにドラマ化されたものでした。
今回は2回目の放映でしたが、前回、筑紫哲也さんがご存命の 3月に放映され、とても辛く悲しい衝撃を覚え 2008年3月10日のブログに記録しました。
「東京都慰霊堂」の存在を知る人も少なくなり又、空襲に焼かれた人々の脂が言問橋に「黒じみ」として遺されておりますことなどを切々と語られた筑紫さんの
生前のお言葉に当時を偲びました。
放映を見て詠んだ歌です。
六十三年甕に隠して守られしフィルムは三月十日を証す
東京の惨状写す三十三枚一枚一枚問いかけ巡る
背負ひゐし黒こげの赤子はかたはらに落ちゐて母の背のみの白く
空襲に焼かれし人らの脂にて言問橋に黒じみ残る
慰霊堂に空襲伝ふる写真展予想を超ゆる惨状ばかり
三月十日の映像いく度もくり返す焼夷弾の雨と焼け跡の叫び
B29のワッペン帽子に付けて元操縦士ら言ふ「戦争だったから」