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日本遺族通信 平成22年2月15日号 遺書と九段短歌

2010年02月25日 08時31分33秒 | 日本遺族通信


                    平成22年2月 靖国神社社頭に掲示された遺書
                     福岡県出身 海軍大尉 松枝 義久 様 24歳
                   昭和20年2月20日 比島コレヒドール沖にて戦死 合掌
                      
                      遺   書
生ヲ皇国に享ケ天恵洽(あまね)クシテ楽々悠々タル二十有余年
君恩ノ宏遠深厚ナル一死以テ酬イントシテ余リアルモノニ候
義久斯(ここ)ニ大任ヲ拝シ恐懼(きょうく)感激措(お)ク處ナク唯々身ノ光栄ニ戦(おのの)
クモノニ候一髪尚軽ク君命ノ重ナル今日程痛感セル事ハ御座ナク候
身更ニ生還ヲ期セズ 親ニ先立ツ不幸ノ罪何卒御許シ下サレ度候
(註)恐懼(きょうく) = 恐れかしこまること (辞書で調べました)
            中 略  ・  後  略
最後ニ謹ンデ大日本帝国ノ萬歳ヲ御祈リ申上候
  昭和十九年十月                          義久
ご両親様

たのしみは 彼方の空の紅を たヾ一すぢに 思ひ込むとき

上記は遺書の一部を綴らせて戴きました。
身更ニ生還ヲ期セズ 親ニ先立ツ不幸ノ罪何卒御許シ下サレ度候
ご両親様はどんなお気持ちでこの 「遺書」 をお受けになったことでしょうか。
何故こんな惨い事に、戦後64年経た今も遺族の悲しみは失せることはありません。
新しい政権は靖国神社に代わる 「国立追悼施設建設」 に意欲を示しているようですが、
鳩山首相を初め、議員の皆様はこのような多くの遺書に目を通しているのでしょうか。 
多くの英霊の皆様は靖国神社で安らかにと願っております。

私達遺族は散華された多くの英霊に追悼の誠を捧げ、後世に語り継ぐ使命が有ると存じます。
夫を、父を、親族を永久に偲び、悲しみを歌に詠んでおります。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたのでご紹介させて頂きます。
ご一読頂きましてご理解を頂きたく宜しくお願い申し上げます。

   歳重ね写真の父より実物の父に会ひたしと募る思ひに       滋賀県 女性
   真青なるビスケー湾に叔父眠る六十余年の潜水のまま          横手市 女性
   戦争の無き世を切に願ひをり遠き花火を夕べ聞きつつ       青森県 女性
   終戦を知らずに征きし兄の日記母に代りて今年も曝(さら)す   加須市 女性
   引きあげの新聞見ては舞鶴へ迎へ行く日を楽しみ待ちて      大阪市 女性
   夏逝きぬ収骨の日のさまざまを偲べば切なさ深まるばかり     出雲市 女性
   戦なき世を願ひての大祭ぞ慰霊に飛ぶか靖国の鳩         篠山市 男性
   父在れば九十七歳になりにしやわれ古稀となる秋の彼岸会       名古屋市 女性
   兄の碑に赤トンボ来る遠き日に汽笛残して萬歳の声        京都市 男性
   父恋し母恋しやと追悼の式に臨みて面影たぐる          尾道市 男性
   哀悼の「靖国の家」の標識も語るも今や知る人少なし       千葉市 私

ホーロー引きのプレートに 「靖国の家」 と、大きさは6cm×20cmぐらいだったでしょうか。
今では全く見ることがありませんが、戦死された家の玄関に掲げられておりました。
幼かった頃の光景を思い出して詠みましたが、お訪ね戴きました皆様には珍しい光景と存じます。

コメント (4)
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