全国戦没者追悼式会場 武道館
オーケストラによる「君が代」斉唱 遺族・来賓など6000人の参列者
黙祷を捧げる天皇・皇后陛下 お言葉を述べられる天皇陛下
最年長者埼玉県の青柳よし乃様(99歳) 最年少者横浜市の中島馨君(10歳)
終戦から68年を迎えた平成25年8月15日(木)気温
およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
式典には、全国の遺族の代表などおよそ6000人が参列しました。
天皇皇后両陛下が、菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、安倍総理大臣が「貴い命をささげられたあなた方の犠牲の上に、今、私たちが享受する平和と、繁栄があります。
歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります」と式辞を述べました。
そして正午の時報とともに、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。
続いて、天皇陛下が「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し世界の平和
と我が国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。
そのあと遺族を代表して、昭和20年に奄美大島沖で夫を亡くした東京・練馬区に住む遠矢みち子さん(92)が「最愛の夫を、父を、兄弟を、そして子を失った私たちの
悲しみは深く、切なく、とても言葉では言い尽くせるものではありません。
悲惨な戦争の教訓をしっかりと心に刻み、すべての人々が平和で心豊かな世界となりますようたゆまぬ努力をいたしますことをお誓い申し上げます」と追悼の辞を述べました。
終戦から68年を迎え、遺族の高齢化が一層進み、参列した遺族の73%が70歳以上になりました。
最年長の参列者で、埼玉県宮代町に住む99歳の青柳よし乃さんは、昭和19年に夫の好男さんをサイパン沖の戦闘で亡くしました。
戦地に出発する前に好男さんが告げた「子どもたちを元気に育ててほしい」という言葉を胸に、畑仕事や内職などに励み、3人の子どもを育てたということです。
青柳さんは、「夫のことは一日も忘れたことはありません。夫に、子どもも孫もみんな丈夫に育ったことを伝えたいと思います。家族が死ぬのは嫌なので、絶対に戦争はして
ほしくないです」と話していました。
また最年少の参列者で、横浜市戸塚区に住む10歳の中島馨さん、ひいおじいさんの石井吉三さんが終戦のよくとしの昭和21年に抑留されていた旧ソ連で亡くなりました。
祖母に連れられて遺影を抱いて参列した中島さんは、「ひいおじいさんは日本に帰ってくることができず残念だったと思います。世界中から戦争がなくなって平和になって
ほしいと思います」と話していました。
式典では、参列者が式壇に菊の花を手向けて、およそ310万人の戦没者の霊を慰めるとともに平和への誓いを新たにしました。(以上HPより転載させていただきました)
読売新聞の報道より転載
参 列 し た 遺 族 4672名人
戦没者の妻 16人 ( 8人減)
兄弟姉妹 508人 (80人減)
子 3116人 (46人減)
孫 209人 (64人増) ※カッコ内は前年比、功労省調べ
本年、8月15日は千葉県忠霊塔拝礼式に千葉市遺族会として参列のために 予約をして出かけました。
ビデオ・新聞報道により記録をすることが出来ました。
千葉県からは200名余のお方が参列しました。
参列予約は5月頃には完了させますので暑さ厳しき8月15日の体力が把握出来ずに、当日の参列者の確認に多忙にします。
申し込み時に於いては最高齢の参列者の出席予定にインタビューを受ける予定になっておりましたが、酷暑当日は99歳のお方をはじめ80代のお二方、
急遽3名のお方が不参加となり、最高齢者のインタビューを受ける事が出来ませんでした。
戦争も遠くなりましたが私たち遺族は事実は事実として、子どもたちに戦争を語り継ぐ使命があると思います。
恒久平和を願いますと共に、被災地の一日も早い復興を願い平成25年8月15日の記録と致します。
最後までご覧頂きまして有り難うございました。