二日目 5月29日(金) 気温
華山 ホテル 8:00 スタート → 棟方志功記念館「愛染苑」・「鯉雨画斎」・「青花堂」3カ所見学へ
記念館は、棟方志功の人物像と制作姿勢に感銘を受ける。
棟方志功の才能を知る高坂貫昭氏(光徳寺前住職)らは、棟方が存分に制作できる拠点を求めようと、独立した建物の工面に奔走しました。
当時、富山の戦災跡地の住居建築を担当していた波多製作所が、昭和21年、棟方のためにと一棟を融通したのが、現在の「鯉雨画斎」です。
棟方ははじめて持った自分の家にことのほか満足し、アトリエとして使用していた8畳間の板戸に書きなぐったといわれています。
「滝登りの鯉」「雨に打たれた鯉」にちなんで「鯉雨画斎」と名づけました。
この住居では、棟方の家族6人が過ごしたほか、芸術関係者が多く訪れ、夜通し語り合ったといいます。
8畳間の板戸の鯉や鯰のほか、厠には生き生きとした天女や菩薩が描かれ、住居跡全体から棟方志功を感じることができます。
説明者も待機しており、棟方の魅力を存分に楽しめます。(富山県南砺(なんとう)市の広報より転載)
愛染苑所以之記 = 想いゆたかにして風光さかんな美しいこの所は心おなじくする愛ふかく思い大きく染むる人たちを多く迎いおくり、また待ち
つづけます。
愛染苑と称ぶ所以であります。
文豪谷崎潤一郎先生がもってそれを賛して命記の筆を執ってくれました。 昭和二六年霜月十七日
棟方 志功
「愛染苑」とは当時の棟方住居の呼称でした ← の展示品の一部 紫袂の柵
旧棟方志功住居 鯉雨画斎(りうがざい) ← の展示品の一部 厠(かわや)の天井画
「鯉雨画斎」 = は当時、画室名でしたが、今は旧棟方住居全体を指しています。
画室とした8帖間の板戸には鯉や鯰等が描かれ、厠(かわや→トイレの事)には生き生きとした天女や菩薩が描かれています。
民藝館 青花堂(しょうげどう) ← の展示品の一部 石崎俊彦の旧居の愛蔵品
「青花堂」=棟方志功が石崎俊彦に与えた堂号です。
石崎は棟方の良き理解者として住居「愛染苑」の土地を貸し与え、自らその隣に家を建て棟方から版画の摺りを任せられたほどの人物でした。
「民藝館青花堂」=石崎俊彦の旧居を改装したものです。
石崎が、棟方や民藝の指導者たちの交流の中で培った自らの目を通して蒐集した愛蔵品の数々を展示しています。
に恵まれ、のどかな田園風景を左右に眺めながら訪ねました「棟方志功記念館」には、9:00開館を待つ大勢の見学者がすでに並んでおりました。
多くのボランティアの皆様が待機され、手順良く説明、誘導がなされ、棟方志功の作品はもとより、素晴らしい奥様とお子様達、又多くの知人、友人に恵まれました
ご生涯と伺い、初めて知る多くのことに有意義な見学が出来ました。
あるお方が、「目の不自由な遺伝はなかったのですか?」に「遺伝性のご病気では無く、お子様たちに全く影響はありませんでした。」に安堵致しました。
又、お子様達もそれぞれにご活躍ともお伺い致しました。
富山県護国神社参拝
素晴らしく管理された富山県護国神社 宮司様の丁寧なご案内を頂く
「遺芳館」 英霊の遺書・遺品を保管展示 御英靈たちが、戰地から送られた便りや、お父様お母様兄弟へ
最後の気持を綴られた遺書等を創建九十周年(平成十四年)の
記念事業として発刊されました遺芳録を頂きました。
護国神社参拝記念 宮司様から特別に 頂きました短歌集(378ページ)
護国神社参拝から昼食会場 → 五万石へ
五万石で富山の味ひとすじに朝獲れたてのキトキト魚介や豊かな野の恵み四季の旬の素材鮮やかなランチを頂きました
に恵まれました富山県の旅も10名の参加者全員が元気に昼食会場へと足を運ぶことが出来ました。
郷土料理に舌鼓をうちながらも名残惜しく語り合い、28年度当番幹事の福井県の佐野さまより富山県幹事の竹腰さまとご協力頂きましたご主人様へ御礼と
福井県へのお誘いのお言葉を頂き、JR富山駅15時散会といたしました。皆様どうぞお元気でお過ごし頂きまして平成28年度の佳き日に福井県でお会い致しましょう。