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「千葉空襲」平和祈念碑が完成

2015年07月05日 17時05分45秒 | 千葉の事


              熊谷俊人千葉市長を迎えての除幕式および建立された「平和祈念碑」     はNHK首都圏ニュースより

千葉市における戦災の状況(千葉県HPより)

空襲等の概況

千葉市は、明治末期から太平洋戦争中にかけて、千葉聯隊区司令部、千葉陸軍病院、 鉄道第一聯隊、千葉陸軍兵器補給廠、気球聯隊、陸軍歩兵学校、千葉陸軍戦車学校、
千葉陸軍高射学校、陸軍市下志津飛行学校などの軍事施設が設置され、蘇我地先の埋立地(現川崎製鉄千葉製鉄所付近)には、軍需工場の日立航空機千葉工場が設置され、
「軍郷千葉市」と呼ばれていた。

太平洋戦争中、千葉市への空襲は数度あったが、米軍が千葉市を目標にした空襲は、昭和20(1945)年6月10日と7月7日(七夕空襲)の2回であった。
この空襲で中心市街地の約7割(約231ha)が焼け野原となりました。
この2度にわたる空襲により死傷者は1,595人、被災戸数8,904戸、被災者4万1,212人に及んだ。(千葉戦災復興誌より)

(参考:昭和20(1945)年12月末の人口は、9万5,903人)

この度の「千葉空襲」平和祈念碑が完成の事は7月4日(土)NHK首都圏ニュースで放映されましたので知ることとなりました。
そして本日、千葉日報の紙面に大きく掲載されておりましたので、合わせてご紹介させて頂きます。
焼け野原になりました当時の千葉市に思いを致し、犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げたく存じます。
祈念碑が建立されました場所は、我が家からも近くですので家族でたずねて平和の尊さを語り合いたいと思います。

コメント (2)
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