独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

大賀ハスと千葉市立畑小学校の思い出(徳さん様より)

2017年05月02日 00時27分00秒 | 千葉の事
いつもお世話になっております「徳さん」様は元校長先生でいらっしゃいます。
退職されまして後は音楽を通して地域活動をはじめ、施設の訪問、小湊鉄道「歌声列車」のアコーディン奏者のご尽力に平成29年4月16日(日)は50回記念を
迎えられたばかりでした。
この度の「大賀ハス」につきましても先生には懐かしい思い出がございますことに  と共に感想をお寄せ頂きましたのでご紹介させて頂きます。
尚、 の記念写真部分は私の思い出に添付しました。

「頂きました先生のメールより」
昭和34年4月1日新卒としてはじめて赴任した学校は「千葉市立畑小学校」でした。
6学級の290人の児童数でした。3年生を受け持つこととなりました。それから4年間同じ子供たちを受け持って卒業させました。
同じ名前が多く「伊原」「秋山」「市原」「雑賀」「中台」が主な名前でしたが、屋号で「ちょうちんや」「床屋」「醤油や」「でんぷんや」などと呼んでいました。
ここに有名な「大賀はす」があったのです。通勤途中に東大グランドがあり、其処「大賀はす発見」の場所でした。
当時の花園中3年の女子生徒が発見したといわれていました。(現在は名前が公表されています。)この種は伊原醤油屋さんや雑賀さんたちが大事に育てていました。
新卒当時でしたのでそんなに有名なものか知りませんでした。世界的発見と聞いて驚いたものでした。
現在でも小学校の3年の社会科の副読本「わたしたちの千葉市」に詳しく書かれています。新検見川から畑までの道路もすっかり整備されてきれいな町並みとなっています。
もうあれから60年以上がたっています。
懐かしい名前がたくさん出てきてすっかり昔を思い出しました。伊原醤油屋さんの長女幸子さんを3~6年まで受け持ちました。
バスを乗り過ごすと1時間に1本ですので、新検見川から畑小学校まで約1時間ほどですがよく歩いたものです。
大賀はすはすっかり有名になりましたね。懐かしい思い出となっています。


                JR新検見川駅の表示板             新検見川~畑町まで整備された町並み
       徳さん様が初めて赴任された畑小学校           わが母校木造の畑小学校3年生当時

    現在の母校千葉市立花園中学校       昭和26年3月3年西野真理子さん古代ハスの実発見碑      昭和30年花園中学校3年C組私の卒業記念
                                                              (校舎は平屋建)                                   
             
大賀ハスの魅力ご紹介  http://www.chibacity-ta.or.jp/oogahasumiryoku

「最初の大賀ハス1輪を咲かせた伊原茂様の思い出」HPより
伊原家(伊原醤油屋)の広い庭の中央に醤油の豆をむすために使った古い鉄釜を据え、博士からの指示どおり田の泥を入れ、泥に植えて、育てられた。
このかいあって昭和27年7月18日見事な淡紅の花を開いた。
ほかでは開花しないで、ここだけ開花したのは、ひとえに伊原さんの一年間の丹精のたまものである。(HPのお言葉より転載)

歴史倶楽部でお世話になっております元会長永井 明様からメールを頂きましたので保存させて頂きます。
ブログ拝見、徳様のお話から「大賀はす」の発見経緯を知ることが出来ました。
東大グランド横の「大賀はす池」を通ることがあり、由来を読むことがありましたが発見の経緯が解りました。
身近なところに大発見がありますね、先日の「新川 ・ 花見川を掘る ~印旛沼掘割普請~ 」のお話とも併せ近くに歴史があります。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする