頼朝伝説の島「名勝・仁右衛門島(にえもんじま)」 のご紹介
仁右衛門島は、その名の通り南房総の海にぽっかりと浮かぶ約3万平方メートルの“島”で、千葉県指定の名勝で、新日本百景の地としても選ばれています。
昔から所有者の平野仁右衛門が一戸だけ住んでいる所から“仁右衛門島”(にえもんじま)と呼ばれています。
現在でも風情あふれる、珍しい二丁櫓の手こぎの渡し舟に乗って島へと渡ります。
源頼朝や日蓮聖人の伝説で知られ、島内には、歌人たちが仁右衛門島の四季を詠んだ句碑などもあります。
また、島には四季を通じて花が絶えることがなく、金銀針茄子(きんぎんはりなす)という珍しい植物も自生しています。
千葉TV放映より 千葉県鴨川市「名勝・仁右衛門島(にえもんじま)」全景
珍しい二丁櫓の手こぎの渡し舟に乗って島へと渡ります 島主38代目 代表 平野 泉様から観光案内を頂く
乗り場〜仁右衛門島は、手こぎ船で約5分。朝8:30〜夕方16:30まで絶えず往復しています。
「観覧料金」 ※1人1回往復の渡し船を含む
大 人 1,350円
中学生 1,050円
小学生及び5歳以上幼児 950円
昔から所有者の平野仁右衛門様が一戸だけ住んでいる所から“仁右衛門島”(にえもんじま)と呼ばれています
「島主住居」 について
代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目。治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を
隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられる。
現在に至るまで平野仁右衛門一族がこの島を守り伝えている。島の東部には日蓮が朝日を拝したと伝えられる神楽岩や石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟があり、
正一位福女稲荷大明神が祀られている[1]。
しかし、この伝承は資料に乏しく『仇討ち事件と房総のアワビ漁』(北総ふるさと文庫)[2]よると、花房藩の資料に平野家は江戸時代に和泉国から太海の地にやってきたという記述があり、事実は
判然とせず、あくまでも伝説である。
現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたとされたもので、観光客に公開されています。
仁右衛門島の四季を詠んだ芭蕉句碑 芭蕉が詠んだ歌の風景と思われると説明あり
「源頼朝の隠れ穴」 島東部の「神楽石」で日蓮聖人が朝日を拝んだ場所と言われています
1180年(治承4年)8月22日の「石橋山の戦い」で敗れた源頼朝が、「安房の国」に逃れて来た時に仁右衛門がかくまったと伝えられる洞窟。
以上、千葉TVに学びました。
鴨川方面に旅をしました折に「仁右衛門島」を眺めながら次の機会にと思いつつ、いまだに訪ねることができないでおります。
この度の放映に是非お訪ねしてみたい!と思っておりますが?です。