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NHK12月9日放送 ネタドリ! “戦禍の傷”(紹介)

2022年12月11日 02時31分38秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                                 NHK12月9日放送 ネタドリ!
                               「“戦禍の傷” 親子に連鎖した苦しみ」
                                    太平洋戦争81年


                                                    証言者のお一人73歳の女性
「73歳の証言者の女性より」
 酒を飲むと父のどなり声が…恐怖と緊張の毎日だった
 私、鈴木頼子(仮名・73歳)は終戦の4年後に生まれました。子どものころはよく、父から戦地の話を聞かされました。「ほらここ、ヒューンって弾がかすめたから、傷ができているやろ」と。
 父が体の弾痕を指さすのを見て、戦争ってなんて恐ろしいんだろうと思ったのを覚えています。
 父は戦時中、中国大陸に出征し、終戦後は旧ソ連のシベリアに抑留されたと聞いています。復員後は、戦争のトラウマからアルコールに依存するようになりました。
 酒を飲むと声が大きくなり、どなり声のようになることもあって、家の中には常にぴりぴりとした緊張感のある空気が漂っていました。
 子どものころ、一度見た忘れられない光景があります。父が母を動かなくなるまで殴ったり蹴ったりして、私をガッとにらみつけてきたんです。
 あのときはとても恐ろしく、寝るときに毎晩、夢に出てきました。
 父の言動の影響で、私は引き戸を乱暴に閉める音などを聞くと、恐怖心がわくようになりました。他の人がなんとも思わない音でもだめなんです。
 男性への恐怖心も持つようになり、家に引きこもりがちの生活を送っていました。
「私は子どもを持たない」とはっきりと感じたのは、高校生か大学生のころです。私自身、誰かを愛することを学ぶ機会がなかった。ものすごく生きづらさを抱えてきました。
「父の心をむしばんだ“戦争”を知りたい」
 何が父をあんなにも苦しめてきたのか。私は、父の戦争体験をたどることにしました。
 軍歴証明書を調べると、父は終戦の6日後、ソ連軍などに抑留され「生死不明」とされていたことがわかりました。その2年後の11月に日本に帰還したと、あとから記されています。
「昭和12年 南京攻略戦に参加」
 旧日本軍が多くの市民を殺害したなどとされる「南京事件」。その時期、父は南京での戦闘に参加していたと記されていたのです。

 これを見たときは思わず涙が出て、それ以上記録を読み進めることができませんでした。
 父は私に言えることしか言わなかった。こうした体験は言いたくもないことで心の中にガッと押し込めてかぎをかけていたのでしょう。本当にしんどい思いをしてきたことがよく分かりました。

「多くの人が“長年語れなかった”その背景は」
 体験を語ってくれたのは、73歳の上記の証言者他多くの皆様から頂きました。
 長年、自身の苦しみを周囲に明かすことはほとんどありませんでした。しかし最近、自分と同じような境遇の人たちが経験を語るのを見て、「戦争で苦しんでいるのは兵士だけではない。
 家族にも大きな影響を及ぼすことを知ってほしい」と、私たちの取材に応じてくれました。
 女性のように、元兵士が負った心の傷や、それが家族に大きな影響を与えていたことについて、長年語れなかったという人は少なくありません。
 戦争とトラウマの関係について研究する、広島大学大学院の中村江里准教授は、元兵士の心の傷を国が隠してきたことが、大きく影響しているのではないかと話します。

             

                           広島大学大学院 中村江里准教授
「戦時中の新聞を見ると、国は、戦争の恐怖による精神疾患が、敵軍の兵士には見られるが、日本軍には見られないとしていました。国民の士気を上げるためです。国家によってそうした病気の存在
 が否定されるということは、精神疾患を患った元兵士や家族にとっては、自己を否定されることに等しいわけですね。そうした父親の存在や、家庭のなかでの暴力というのは、周囲には話せないと
 感じた人も多かったと思います」
 中村さんが話を聞いた元兵士の家族の中には、戦後も苦しみを語ることは難しかったと話す人も少なくありません。元兵士が復員しても「戦争に行って大変だったね」と受け止める人はほとんど
 おらず、むしろ「なぜ帰ってきたのか」となじられるケースすらあったといいます。

「自分が傷ついたことを、安心して語れない社会だったわけですね。そのことが、その後もさまざまな歪みをもたらして、それが戦後世代にも引き継がれてしまっているのだと思います」 
 体験を周りに語りづらかったことが、元兵士や家族の苦しみをさらに深めたのではないかと話す専門家もいます。

             
                                 甲南大学の森茂起教授               

心理学が専門でトラウマについて研究している教授は「トラウマを経験した時に、その体験を言葉にして語って、人に分かってもらうことが回復につながります。しかし家の中で戦争の話がタブーとされるような状態が続くと、元兵士やその家族の感情表現は制限されていきました。そのために影響が残ってしまった人も多いと思います。このことが、この問題を複雑にしています」
太平洋戦争開戦から81年が経った今もなお、世代を越えて続く苦しみの連鎖。戦争は歴史上の出来事ではなく、私たちの家族が関わった地続きの悲劇であるという事実が突きつけられています。

「ネットより」
1941年(昭和16)12月8日
、真珠湾攻撃、日本のアメリカ、イギリスへの宣戦布告で始まり、1945年9月2日、日本の降伏文書調印によって終わった戦争。 日本の指導者層は大東亜戦争と呼称した。 1931年(昭和6)の満州事変に始まる日中十五年戦争の発展であり、日中戦争を重要な一部として含む。

この度の放送に新たな悲しい事実を知ることに驚きながら「長年語れなかったという人は少なくありません」の放送に涙しました。
昭和20年8月15日の終戦から令和4年は77年目を迎え、戦後生まれの国民が9割となりました。
戦争の記憶も風化の一途を辿っていますが、この度「“戦禍の傷” 親子に連鎖した苦しみ」をみて再び戦争の惨禍を繰り返すことが無きことを願わずにはおられませんでした。
父戦死の事実から悲劇の主人公?と思い続け、お父さまが無事に帰還されましたご家族団らんのご様子を想像して羨ましくも思ってまいりました。
しかし、ご家族の中には幸せばかりではなかった事実を知り愕然と致しました。

父が戦死しなかったならばと幸せを夢に描き続けながらも永遠の恋人?と写真に見る父に憧れて参りましたが、証言者の多くの皆様のご苦労を知り、今まで以上に父を慕い続けることができます
幸せに感謝を致しました放送を見ての感想でした。

コメント (2)
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